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9.3独立記念日

📷:内容物


一歩、踏み出す日が来た。

明日、独立をする。

独立という言葉を使うと、すごく大層なことのように聞こえるが、明日私は人生で初めて親元を離れて暮らす。

大学で上京して一人暮らしをしている人や、就職を機に転勤に伴って実家を出た人も私の周りには数多くいるが、私が仲良くしている人は親と同居している人ばかりな気がする。

そんなこともあってか、親元を離れて暮らすというのがどういうことなのか、前日になってもいまいちピンときていなかった。

就職をして、未だ望んでいた職業では働いた経験がないが、安定して不毛なままの今の環境は独立をするには適したタイミングだった。

6個年上の姉は、大学の卒業と共に一人暮らしを始めた。

今の私よりも3年早く親元を離れたのだ。

姉は早くに家を出たがっていたし、就職というキリの良いタイミングでもあったので、卒業と共に慌ただしく引っ越しをした。

私も、全国に配属される可能性のある会社に就職したため、配属次第で一人暮らしを始めなくてはならない状況であった。

都内や近郊でなければ、姉と同じように引っ越すことになるのだろうとなんとなく思い描いていた。

実際には配属やなんやが決まるも何も、会社が休業に追い込まれてしまったので私が実家から出るタイミングは消えた。

それから約2年と半年。

気づけば、私は明日家を出るそうだ。

引っ越しが決まってから約3ヶ月。

コロナに罹って内見に行けなかったり、もろもろ予定通りに進まないこともあった。

いざコロナから復活してからは、家電を見に朝から晩まで歩き回ったし、荷造りで全身が筋肉痛になった。

つい先日には初めて引っ越し先の家を見に行った。

どこか現実的な性格の私は、新しい生活を始めることに不安や心配も多く抱えていたが、それを上回るわくわくや楽しさに心が躍った。

引っ越しまで3週間を切ったある日、父がふと「あと3週間か、どう?」と私に話しかけてきた。

「どう?」と聞かれても正直よくわからなくて、「うーん、楽しみなような不安なような複雑な気持ち」と答えた。

父は「寂しくなるなあ」と漏らした。

その一言から、なぜか私以外の家族が私よりも寂しがるようになってしまい、それに釣られて私の心でも寂しいキャンペーンが始まってしまった。

小学生や幼稚園だった頃の荷物を片付けていると、その一つ一つを捨てずに取っておいてくれていた母の想いを感じ取ることができた。

父は毎朝私の部屋のドアを開けて「あと○日だね」とカウントダウンをしてきた。

弟も「寂しくなっちゃうな」と、ぼそぼそっと言ってきた。

先週末には離れて住む姉も帰宅して、私が母にリクエストしたおいしい韓国料理を一緒に食べた。

姉が帰ってきた日がうちの家族は1番明るくおしゃべりになる。会話が止まらず、みんなが笑顔でいる。

もともと姉が出てから4人で暮らしている間も、仲が悪いわけではないけど、全員が成人してからは揃ってご飯を食べることも減ったし、血がつながった家族であるとはいえ、他人と住むことに不便さを感じることだってあった。

毎日私とよく喋る母だって、価値観が違うなと感じることが多くあった。

姉が実家から自分の家に帰宅した後、私たちは自分達のテンションがみるみる下がっていくことを感じる。

5人暮らしのため、たくさんあった食器や生活用品は、半数以上が倉庫の奥に眠っていた。

母が使わなくなった食器などを私に持たせてくれるというので、一緒に倉庫を整理していると懐かしいものがたくさん出てきた。

幼稚園の頃使っていたトトロのお弁当箱。

セットで買ったはずなのに他は割ってしまって2つしか残っていなかったマグカップ。

一時期母が熱中していたけど、今では微塵も触らなくなったパン作りの道具たち。

常に家族のために美味しい料理をたくさん作ってくれていた母のせいか、学校のアルバムを整理するよりも、食器の整理をする方が私は懐かしさを感じた。

一通り荷造りを済ませると、やらないといけないことリストが減ったことに私は安堵してなんだかすっきりした気持ちになった。

残すは、身体ごと出ていくだけ。

がらんとした自分の部屋を見渡すと、少し実感が湧いてきた。

最後の1日は、役所で引っ越しの手続きをとったり、買い忘れた引っ越し用の買い物をして過ごした。

夜、母の作ってくれたご飯を食べた。

なんだか、どこか、なんとなく、父と母は口数が少ない。

独立前最後の日の過ごし方を私は知らない。

家族で集まってお酒を飲んだり、いつも通り過ごしたり、好きに過ごせばよいのだろうけど、私は家族で哀愁に浸るのはまだ少し恥ずかしいと思ってしまう。

ご飯を食べて、さっさと部屋に戻った。

本当は、すごく寂しくて、でも考え始めてしまうときっと泣いてしまうから、テレビ千鳥を見始めた。

仲の良い友達や家族に、感謝の心や自分の本心を伝えるのは少し苦手だ。

感情がブワァとなってしまうと結局何が言いたいのかわからなくなる。

テレビ千鳥では、ノブが大悟からヘンテコなことを言われていて、いつもなら笑ってしまうはずの内容も、なんだか頭に入ってこない。

母が私の部屋から荷物を取るついでに、「なんか実感湧かないね。多分しばらくは湧かなそうだよね。」と言った。

「そうだね、湧かなそう。」とドライに返した。

テレビ千鳥を見ながら、気持ちを伝えられない私は家族に手紙を書き始めた。

書き始めると止まらなくなりそうだから、長い便箋ではなく短いメッセージカードにした。

メッセージを書いていると、突然私の涙腺が決壊した。

特に何を考えたわけではないが、私がいなくなった後のこの家を想像すると、自然と涙が出た。

もう25歳になる立派な社会人なのだから、家を出たってそれは特別なことではないし、ごく普遍的なことだ。

それでも、生まれてからずっと大事に育ててくれた親に寂しい想いをさせてしまう(図々しいな自分)と思うと、申し訳ない気持ちが湧いてしまった。

はたから見れば、テレビ千鳥を見ながら手紙を書いて泣いている気持ち悪い図である。

明日は朝が早い。

のにこんな時間になってしまった。

寝て起きたら、私はこの家を出ていく。

世間からしたら、何ら特別なことではない。

ごく一般的な社会人の人生だ。

それでも私はこの独立という瞬間とその前後を深く記憶するだろうし、自分の人生のターニングポイントとして記録するだろう。

育ててくれた親への想いは本人たちに伝えるとして…

とにかく今日はしっかり自分の気持ちを記したかったので、久しぶりに記事を投稿する。


私のこれからの人生は、どんなふうに進んでいくのだろう。

私のこの一歩はどんな世界に導いてくれるのだろう。

 


9.3に引っ越すことが決まった時、恋人に「9.3独立記念日だね」というと、

「ドラえもんの誕生日だよ」と返ってきた。



よんぴ

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