見出し画像

アニメとカメラと小市民

いま日本で毎日テレビ放送や配信、あるいは映画として公開されている商業的なアニメ作品は言うまでもなく絵として描かれています。
絵は基本的には人の目を基準に描かれます。号数やA3、B4などのサイズやいくつかのアスペクトのフォーマットはありますが、カメラ(レンズ)で切り取られる映像とは違いアップやロングといった描画時のモチーフに対するサイズの違いはあれど、基本的にレンズで用いられる焦点距離という概念やその他の特徴はあまり取り入れられません。

その中でアニメは絵画やイラスト等と同じ絵としてのスタイルを基盤としながらもカメラやレンズを強く意識している特殊なメディアです。絵コンテなどを見てもその指示には広角や望遠、またレンズで撮影されることによって発生する光学現象など細かい指示が書かれているのを見ることができます。
なぜアニメーションはカメラを意識するようになったのでしょうか。

  • 漫画やイラストでもカメラ(レンズ)を意識して描かれているものはたくさんありますが、静止画であることとアスペクトが自由であることを考えるとアニメーションとはまた違った見方ができると思いますので、今回はひとまず置いておきます。

作画アニメーションは描かれた絵を連続的に表示することで動いているように見せるものです。すなわちこれが動画です。
この動くことが重要で、動く絵は絵であっても実写的な性格も持ち合わせることになります。
動くことで物語が生まれ、そのストーリーに信憑性を与える必要が出てきます。そのためには実写に擬態するのが最も手っ取り早い方法です。現実に撮影された時に起きる現象を絵の中でも再現できれば実写との相似関係を築けます。そうなれば実写映画にあるのと同じ表現(記号)であれば画面の中で描かれているシチュエーションが現実と同じ条件であると容易に理解することができます。

映像効果的側面で見ると、アニメは絵具など物理的なマテリアルではなく光でスクリーン(モニター)に描かれるものです。この点も制作自体はデジタル化されてもプリントが主となる写真とも大きく異なる点です。絵でありながらも最終的な視聴環境が光に依存することで光学的な効果が紙や印画紙に定着されるものに比べ遥かに現実に近くなります。なにせ実際に光るわけですし。

レンズ効果の顕著な作品といえば、今年『きみの色』の公開が控えている山田尚子監督ですね。

まさにアニメをレンズを通して見る感じで『響け!ユーフォニアム』ではクローズアップでのシャロ―フォーカスやレンズの収差などをかなり強めに押し出した演出でキャラクターの心情を表現していました。
『けいおん!』での表現から『たまこまーけっと』での萌芽を経て『聲の形』では表現主義的に、その後の『リズと青い鳥』ではさらにリアリズムを突き詰めた表現へと進んでいきます。実際『ユーフォ』以降明らかに日本の商業アニメーションの表現の方向性が変わったと感じていて、アニメの演出にレンズの言語を大きく持ち込み新たな方向性を見せたと言えるでしょう。


そして今回この記事を書くきっかけになったのですが神戸 守監督の『小市民シリーズ』でもカメラを意識した面白い表現が用いられています。
ただしこちらは今までの流れと違ってカメラの”位置”や”向き”にこだわりがあるように見受けられます。

まず第一にこの作品は地デジフォーマットの中でシネスコのアスペクトで作られています。シネスコは現在アニメ映画で採用される例が増えていて、中国資本のTV作品もシネスコが多いですが、日本のTV作品ではまだ珍しい例です。2021年に放送された『MARS RED』がシネスコサイズでしたが、その他は演出として一部シーンで用いられる程度です。(*シネマスコープは20世紀フォックス社の商標ですが、用語としては”シネスコ”として一般化しているのでこの記事ではシネスコを用います)

前提として、シネスコサイズをTVで用いるには色々とマイナスな面があります。まず上下が切れるため画面が狭くなリます。その分上下に太い黒枠が入るためフレームを強く意識させることになります。当然ピクセル数も少ないので画質的にももったいないですね。上下が狭いため一般的に用いられるレイアウトの自由度も下がりますし、そもそも収まりがかなり難しくなります。
プラスな点もあります。相対的に左右が広いために背景に置ける情報が多くなります。これはキャラクターをアップで捉えても左右の余白が広く背景で語れる情報が増えるということでもあります。また画面を水平にした場合の画面の安定感や広い範囲が見えることでの状況説明のしやすさや客観的視点の提示のしやすさなどがあります。
この作品はこのような特性を踏まえてシネスコを採用しているようです。それはオープニングのラストカットを見ても感じられます。そこまでフレームの内側に描かれていた映像がラストカットで狼(と狐?)がフレームの外側から内側に飛び込んで行く様子が描かれ、外の世界とフレーム内の世界を繋ぐかのような表現になっています。これだけでも制作者がこの作品の作品性に対して自覚的にこのアスペクトを選択したと感じることができます。

そして作品を見てみるとアニメとしてはかなり特徴的な構図で描かれており、どのカットも実写的カメラ位置を意識したと思われるカット割りになっています。会話シーンでの切り返しが多く、その際の人物のサイズと位置が同一でカメラ位置が固定されているのがわかリます。実写で言えば1カメでそれぞれ会話する人物を撮影してから編集でカットを構成したような感じですが、もちろんアニメでそんな必要は無いわけで、わざわざそのような構成にしているはずです。
カメラ位置に制限の無いアニメにおいては通常カットごとに大きく位置が切り替わることが多く、山田監督の作品でもそこは踏襲されています。その点でもかなり異質とも思えます。とはいえ会話シーンでのサイズが統一されているので切り返しでのリズムが生まれていて見やすいですし話も入りやすいです。

カメラのアングル(角度)も水平が基準になっていて、画面に奥行き以外のパースが生まれないような配置になっているカットが多くなっています。実写でも三脚に据えて撮る通常のカットではカメラは水平に構えることが多いですが、アニメは配置に制限が無いこともあり説明的な意味で俯瞰や仰角が多く用いられます。角度が付くことで空間をストップできるので制作の手間も減るという理由もあります。水平だと空間の奥まで見えるのでレイアウトや背景を描く上での作画の手間が増えるのです。角度があると床や天井で空間がストップしますし、空なら手前に少し構造物が入っても面積の大部分が無限に抜けとなります。

先にも書きましたが水平基準だと画面の中の線を構成する要素も水平垂直となり安定します。安定感がもたらす緊張感や不穏な空気を醸成する効果もありますし、安定を崩した時の効果が増強されインパクトが強くなリます。
また角度のあるカットではその主体と意図がはっきりします。実際作品中でも斜めに見下ろすカットなどは主観的な見た目になっています。

このように『小市民シリーズ』はいわゆるレイアウトが非常に実写的であり現在主流のアニメ作品と比較してもかなり異質に見えます。しかし作品の持つ静けさと非常にマッチしていて昨今の激しい動きや凝ったアングルを見慣れているとホッとします。どのような経緯でこのような形式になったのかそのうち調べてみたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集