見出し画像

喜怒哀楽センサーの劣化とアップデート

テレ朝の関ジャムで『令和に活躍するアーティストが選ぶ平成の名曲』の回を見て『真夏の果実』を聞いたら涙が溢れまして。


自分では(良くも悪くも)あんまり変わってないような気がしてしまうけど

映画とか音楽とか文章など誰かが世に生み出してくれた作品を通して、自分の喜怒哀楽センサーのバージョンの変化を実感することが増えてきた気がします。


『真夏の果実』昔から好きだしいい歌だなぁとは思ってたけど、ダイレクトに涙腺にヒットしたのは初めてで

当時は号泣しながら見た映画も「…あれ?こんな感じだったっけ?」ってキョトンしたり

子供のわたしにはあんまり響かなかった『天空の城ラピュタ』や『魔女の宅急便』を見て「え?あ?そう言うことだったのか」と何日も考えさせられたり

面白さを理解できなくて途中で読むのやめた本が今になって刺さったり

ちょっと意地悪で嫌いだった脇役のあの子、わかりずらいけどすげぇイイやつだったんじゃんって気づいたり

めちゃくちゃ感情移入してたドラマの主人公のセリフに「正気かお前?」レベルの衝撃をうけたり


世の中まだまだ知らないことだらけだけど、やっぱり10年20年と生きているとわかることも増えてきて、知りたくなかったことも知ってしまって

同じもの見ても聞いても同じ感想や感情を持つことは難しいのかなやっぱり

と思うたび、いつかやろうの先延ばしは最小化して今できることは今やろうって決意…しては何かと理由つけて先延ばしをし、改めて決意をしては先延ばしをし、時々決意を行動に移してえいっ!て実行するスタイルです。


ちなみに、子供の頃は「苦っ!マズっ!」って思っていた山菜を美味しく感じるのは味覚が劣化したから説については妙に納得してしまうし

こと感受性においては見聞きしたものの量と比例してハイスペックなセンサー搭載してたら情緒がパンクしちゃうし(oversensitiveな自覚あり)

センサーの精度落とすっていう意味では劣化も必要なアップデートの1つかもしれないなと思ったのでした。

#最近の学び

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?