2015年7月、初の展示会「人が語るモノが語るー信州と戦争の時代展」を開催
他の方の戦時企画におじゃまして得た経験を生かし、自分が伝えたいことを伝えられるような独自の展示会を開く気持ちが固まり、2015年が敗戦後70年の節目であることから、構想を練り始めました。まずは展示会場です。適度な広さで会場価格もお手頃で、人も来やすい場所として、さまざまな人の助言を頼りに、長野市の善光寺近くの中央通り沿いにある「かんてんぱぱ門前ギャラリー」で交渉することに。
相談に行ったところ、展示内容が分かるように社長に説明できるよう、企画書のほか、ブログを作ってほしいと言われました。そこで、無料のナガブロでホームページ風のブログを作ったのが、ネット世界への進出のスタートにもなりました。その結果、一階が店舗、ギャラリーが二階ということもあり、会場に花を置いてほしいとの条件付きでOKが出ました。雰囲気にギャップを出さない狙いでしょう。これは結果的にプラスになり、いいアドバイスになりました。
展示会の狙いとして、戦争終結からこれまでの日本や世界の歩みを振り返り、今後の道のりを考える節目の年と言われるならば、戦後を語る前に、その原点にあった「戦争」の時代を伝えたいという思いがありました。
戦争の時代は庶民が「戦争のため」との理由でさまざまな束縛を受けました。そして、国内外で命や財産を失った方も大勢いました。戦後は戦時中の国債乱発による激しいインフレからの出発でした。そんな体験を経た方たちが基礎となり、築いたのがこの70年です。
戦争と庶民のかかわり、戦争の時代のにおいを、当時の現物資料と体験で、わずかでも感じ取っていただきたい。戦後70年の原点に触れ、先人が何を思い、何を託して歩んできたか。そして自分たちが今後どのような選択をしていくか、考える糧にしていただきたいとの思いで構想を練りました。
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展示は、1937(昭和12)年から1945(昭和20)年までを区切りとしました。1937年7月に盧溝橋で日中両軍が衝突したのをきっかけに、中国と「事変」と名付けた宣戦布告なしの全面戦争(日中戦争)が始まり、1941(昭和16)年12月には米国などとの太平洋戦争も勃発。1945年9月の降伏調印まで、戦争状態が8年間、切れ目なく続いた象徴的な「戦争の時代」だからです。それで開催日も7月としました。
そして、ひとたび戦争の歯車が回ってしまえば、庶民は、社会はどうなるか。基本的に時系列を追って展示品と若干の解説文を並べ、合わせて長野県出身者の戦場体験のパネルを展示したいと思いました。
そこで、前の年に連携した戦場体験放映保存の会の協力を得たいと相談したところ、ありがたく受け入れていただき、当日のお手伝いもしていただけるということに。長野県出身者の戦場の証言パネル製作を依頼しました。もちろん、製作費は当方持ちです。
展示会に来ていただくには、ポスターやチラシの用意も必要でしたし、図録の作成をしたいという構想も持ってしまいました。それにはどうしてもデザイン経験者の助力が必要です。行きつけの画材店で「若手のデザイナーを紹介してほしい」と相談し、紹介していただいたのが、現在まで一緒になって活動してくれている木下事務局長です。
木下さんは、仕事を受ける前に、どんな考えでどんなものがあるかをきちんと知りたいと自宅に来てくださり、長時間にわたって物を見せ、意見交換をしました。そのうえでポスター、チラシ、図録のデザインと印刷発注を引き受けてくださいました。製作費はおまけしていただき、もちろん私が出費しました。わたしからの注文はポスターなどの原画にもなる図録表紙が「戦争の本とは見えない戦争の本」という無茶苦茶なお願いでした。そしてできたのが表題写真のチラシや、下の図録です。図録各ページのデザインも、ありがたいできになりました。
県内の全部の高校にポスターを送ったり、知人にチラシをお願いしたりしつつ、展示用パネルの製作、展示品のキャプションなど、やることは山盛りです。最終的に、徹夜でほぼ完成に至りましたが、説明文をハレパネに張る作業などは当日午後の開場前にまでかかりました。
何とか開場したところ、新聞で紹介していただいたこともあり、3日間でおよそ200人の方に来ていただき、図録も多数ご購入いただきました。また、これが縁で、別の展示協力要請にもつながりました。わずかな時間の展示にとどまり、展示物もぎゅう詰めでしたが、皆さんじっくりご覧になられていて、とてもありがたかったです。
とにもかくにも、家族や木下さん、戦場体験放映保存の会の皆さん、展示会場を提供いただいたかんてんぱぱ様、貴重な人をつないでくれた画材店のお姉さん、大勢の協力で展示会を実現できました。その過程でブログやTwitterも始め、「信州戦争資料センター」として対外的な発信に踏み出したのです。働きながらでも、個人でも、思いがあればここまでやれる、次はもっとやる、という気概を大事にしていきます。
ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。