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栄養剤「わかもと」も国策に沿って特に学校、遺児を支援ー疎開先に持ち込み可能に

 ビタミン補給や消化吸収を助ける栄養剤「わかもと」は、1933(昭和8)年1月15日設立の株式会社栄養と育児の会が製造、販売していました。設立時、あたかも満州事変の最中でした。

戦前の「わかもと」の瓶と箱。数錠残っていました

 その後、日中戦争が勃発すると、さまざまな国策にそった事業を展開していきます。収蔵品は、主に子どもを対象とした取り組みを行っていたことを示しています。まず、購入者には「わかもと物識絵本」を進呈したり、安価で販売しています。

はがきサイズ16ページ
何種類も出ていました
日中戦争中の第9編「誰からもほめられる小学生心得絵本」

 この第9編「誰からもほめられる小学生心得絵本」は日中戦争中の1937(昭和12)年12月の発行です。まず皇国民として、皇室に忠誠を誓い、教育勅語を覚えて良い日本人となり、君が代を唱和して一致協力皇国の為に尽くし、国旗を護って国威を発揚させるとしています。ほかにも礼儀や教訓、さまざまな学校の取り組みを紹介します。 

各地の取り組み紹介

 また、箱に入っている教育掛図の応募券を集めて送ると、学校で使える教育掛図を提供しました。

国民学校へとあるので1941(昭和16)年以降のもの。6枚集めて掛図に

 そして、戦争続きで戦争遺児が増えてくると、掛図の一つの靖国神社を特別に送るほか、わかもと愛用者と出征軍人家族を招待する映画大会なども催しています。

遺児に送られた掛図
掛図贈呈趣旨
靖国神社掛図
映画大会招待券
1ページは広告になっています

 そして、報国特売として、空き箱で弾丸献納をし、抽選で債券が当たるという日中戦争当時の販促品も。裏面には研究成果や、満州事変の際にわかもとで夜盲症が解消し士気を回復したというお話も載っています。

報国特売のチラシ
「慰問袋に」を忘れてはいけません。実戦談とともに説得。

 なお、わかもとは学童疎開で持って行って良い物とされることが多く、空腹をまぎらすため飲んだという話も残っています。
 さまざまな形で戦時を支えたわかもとは、現在社名も変わりましたが、引き続きわかもとの製造に取り組んでいます。


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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
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