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<戦時下の一品> 防空姿の土人形
こちら、置物や子どもの遊びに使われたであろう、土人形です。普通はかわいい兵隊さんや騎馬上の乃木将軍とかがテーマになっているのですが、これはかなり特殊。防空頭巾、手には水がいっぱいのバケツ、動きやすいもんぺという、防空姿の土人形です。
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防空演習は、1928(昭和3)年に大阪市で初めて行われて以来、国内の緊張感を高め戦時体制の組織つくりにも役立てる狙いで各地で開かれます。当初は限られた人が参加し、多くは見物人という形でしたが、組織が整ってくると共に、大勢の人が当事者として参加するようになります。1933(昭和8)年の関東防空演習では、広範囲で灯火管制に各家庭が参加しています。
ちなみに、この時の演習を長野県の地方紙信濃毎日新聞の主筆桐生悠々は、国土に敵機を迎え撃つことを前提とした演習は無意味で、暗闇は混乱を増幅させるだけと正論で批判します。しかし、これが軍部を大きく刺激し、「天皇から意義第なり」とお沙汰も下っているのに「嗤う」という言葉で批判するのは不敬だと、正面からの議論ではなく、側面から攻撃し、信毎も不買運動を用意され、桐生を護ることができませんでした。既に、この程度の正論を展開することも許さない空気を軍が作り出していたのです。
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この土人形がいつごろ作られたかは定かではありませんが、こうした防空演習が各地で頻繁に繰り返され、子どものおもちゃの原料も規制されてきた日中戦争(1937年)以後のものでしょう。実際の防空時の姿もよく捉えた土人形で、資料的にも興味深いものがあります。
子どもたちがこの人形で遊ばねばならないような世の中を、二度と出現させたくはありません。
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