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生産を輸入に頼る国が戦争を始めてたどる、当然の帰結ー戦時下のモノ不足は統制しても配給にしても足りない

 戦争といえば、米国と開戦したハワイ空襲からと思っている方が多いでしょう。金属回収も、それからだったと勘違いしている人もいるでしょう。しかし、当時の大日本帝国は1937(昭和12)年7月から中国との間で日中戦争を続けながら、太平洋戦争に突入しています。
 その間に第二次世界大戦の勃発(1939年)もあり、物資不足で日中戦争を継続できなくなってきた日本は、当時のフランス領インドシナ(現・ラオス、カンボジア、ベトナム)に1940年と1941年に進駐、南方のオランダ領インドシナ(現・インドネシア)の資源を視野に入れたことで米英蘭戦争、いわゆる太平洋戦争を引き起こすことになります。

 戦争は、ひたすら物資を消費します。元々資源の少ない日本では、本格的に戦闘が始まった1937年9月には早々に「輸出入品等臨時措置法」を制定し、輸出入される物資を軍需優先に確保することとします。皮革やゴム、綿糸などは、真っ先にこの対象になりました。

 間もなく民需品は国内のストックをくいつぶし、物不足が生じてきます。そうなると需要に満たない分しか生産できない状態で、自由に販売することは不可能なので、配給割当(有料)が各地で導入されることになります。
 どれほど不足していたかというと、開戦翌年の1938(昭和13)年12月24日の信濃毎日新聞には「500人に1足 上田の配給ゴム長靴」という記事が出るほどでした。また、1939(昭和14)年1月12日夕刊には、下伊那郡を含む長野県の南信地区で、1町村20足程度の割当なのに、全体で500足も足りないとして経緯を追及するという記事が出ています。

 こうした混乱から、政府は同年11月に配給要項を決定しますが、農林省と商工省で協議して需要団体先別に数量決定という、配給割当の責任や流通経路を明確にしたにすぎず、モノ不足解消に役立つものではありませんでした。特に1939年から1940年にかけての冬場は、あらゆるものが不足して大混乱となり、そんな中で、配給切符制(割当・有料)の導入が広がりました。

 そんな状態ですから個々の商店は仕事にならず、小売商をまとめた統制組合ができ、実績主義で、商品を多く取り扱ってきた店が統制組合の配給所となっていきました。下写真の看板がいつから使われたかは明確ではありませんが、ちょうど1939年から1940年ころの日中戦争下に設けられた組合のものではないかとみられます。

下伊那は長野県南部の町村

 共同配給所といっても、ただで配ってくれるのではありません。割り当てられたモノが入荷すれば配給日を通知し、切符などで割当分を販売する仕組みでした。ゴム靴は特に生産数が減り、抽選で当たった子供のゴム靴を床の間に飾っておいたという話も残っています。
 また、長野県を含む雪国にゴム長靴の特別配給が1939年から1940年の冬にかけて行われますが、第一回分は15人に1足の割合で、各校とも「内申書より難しい」と悩まされたようです。日本は中国との戦争で、もうふらふらだったのです。

 ちなみに、配給機構から外れることになった商人は、組合員ではありましたが、やがては満蒙開拓や軍需工場の工員にと散っていきました。

モノのない組合という寂しい証人

 また、1941(昭和16)年12月8日に太平洋戦争が勃発し、翌年の1942(昭和17)年2月からは、衣料切符が導入されます。切符の点数に応じて衣料品を割り当てる仕組みで、運よくモノがあれば購入できました。この結果、衣料品店も、商店から「配給所」に衣替えします。下写真は、大阪の西成にあった元衣料品店の「配給所」看板でしょう。太平洋戦争下に作られたものとみられます。

大阪の西成にあった配給所の看板

 戦争を続けるのが精一杯なので、民需の品はこうして細る一方でした。そして、配給所となった商店の中には、配給品の横流しをしたり、お得意さんをこっそり裏口から優先させたりする不正をする事例もあったといいます。横流しの品が、闇市で販売されることもあったでしょう。
 戦争が物資を吸い込んでいった結果、庶民の生活がどうなるか。当時の為政者や軍の頭の中には、つゆほども浮かんでいなかったでしょう。だらだらと無目的な日中戦争を続け、1940年2月、斎藤隆夫議員の「なぜ中国と戦争をしているのか」との質問に答えられなかった軍と政府の無能ぶり、下々のことなど考えない様子がはっきりと表れています。これらの看板は、そんな無能ぶりを、後世に伝えてくれています。

戦争が庶民に与えたしわ寄せの証人



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