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幼児教育や児童の芸術運動に取り組んだ方も、天皇主権国家体制だとこんな感じになっていました

 絵本「岸辺園長のお話 バンザイバンザイ」は、1934(昭和9)年4月3日発売のものです。何が「バンザイ」かというと、前年の1933(昭和8)年12月23日、皇太子(現・上皇)が産まれたことに「バンザイ」なのです。

表紙裏の文で、皇太子誕生を2度のサイレンで全国に伝えたと分かる

 この岸辺園長、実は鳥取県出身の幼児教育家、口演童話家の岸辺福雄で、1903(明治36)年に東京で最初の私立幼稚園を開き、その後も1910年に東洋家政女学校、1927年に岸辺幼稚園を開いた、幼児教育の先駆者でした。愛知県出身で現在の長野県上田市で農民美術や児童の自由画教育を提唱した山本鼎らと、大正期には児童芸術運動も行った方で、この絵本の絵画主任、現在の長野県岡谷市出身の童画家、武井武雄とのかかわりも、そうした流れの中で作られていったのでしょう。
 それほどの人物でも、大日本帝国時代の価値観を肯定していたならば、上のような文章となり、下写真のような作品となるのでしょう。

梅の木にとまった鶯との会話形式で。扇子に日の丸だ。
そして、ウグイスも皇太子誕生をお祝いと。

 皇太子誕生関連の絵は、ほかにも掲載されています。これらは当時の光景の記録でもあります。そして子どもにはこの繰り返しで、天皇家への敬愛を育てさせる効果があったでしょう。

おみこしも出て「バンザイバンザイ」
夜には装飾した花電車と提灯行列の波。桃太郎も出てバンザイです。

 このあとは、特別に皇太子とは関係がないお話ばかりになりますが、どれも「バンザイ」を効果的に使っています。これは、幼児もついつい「バンザイ、バンザイと言いたくなるでしょう。

陸軍の兵隊に「バンザーイ」
海軍も。敵の軍艦が沈んで「バンザーイ」
そして日の丸、君が代で「バンザーイ」

 この後は、学校のリレー、アシカのサーカス、虫の船遊び、工作、砂遊び、釣りといった、さまざまな場面が登場します。言葉はなくとも、バンザーイの格好で表したり。しかし、前半の皇太子バンザーイと一線でつながっていくのです。

学校のリレー

 皇太子が産まれたことは、天皇家の存続を確実にさせたという意味があります。そして戦前の天皇主権下では、天皇家が続くのは大日本帝国が継続していく絶対条件でした。岸辺は戦前の児童教育家として、その時代に求められる教育・絵本を見事に作り、その相方が、武井武雄だったのでした。
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 岸辺はこの後、太平洋戦争中の1944(昭和19)年に幼稚園と女学校の校舎を軍に徴用されたり閉園を命じられることとなります。武井武雄は1945(昭和20)年、東京の自宅が空襲に備える強制疎開の対象となって取り壊され、岡谷市に引き上げます。同年には青山に疎開させてあった膨大な郷土玩具のコレクションが、空襲で灰となります。
   両者は、その道の先端を行く人たちでしたが、それゆえ、時代に従ったこの絵本は、天皇の権威を絶対化させる効果的な手伝いとなっていたと、ページをめくっていくうちに感じました。善悪ではなく、そうした時代の流れに沿っていくうちに、戦争に翻弄されていった共通の姿から、何かを学ばねばならないと思わされました。

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