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主婦之友の付録も「御国の為」にあふれー1939年1-5月の「愛国絵本」を見る

 戦前の婦人雑誌で一番売れていた主婦之友は、日中戦争下の1939(昭和14)年1月号から5月号まで「主婦之友愛国絵本」と題した16ページ全カラーの絵本を付録に付けます。日中戦争では南京、徐州、武漢三鎮と拠点を占領したものの、蒋介石は重慶に移って徹底抗戦の姿勢を崩さず、終わりが見えない状態だったころです。
 そこで、あらためて御国に尽くすことや天皇の権威を示すことを、次代の子どもの絵本という形で示し、国家への協力姿勢を示したのでしょうか。以下、いくつかの内容をお示しします。

1月号付録「菊花のかをり」より

 神武天皇の先祖の神々をまつり孝心を示す場面。ここでも出てきます「日本は神の国であります。(略)ああ、尊い神々の御恵み。ありがたい皇室の御恩。私共ほど幸福な国民はありません」と、とにかくほめたたえています。「菊花」は天皇家を指す言葉で、この号では天皇の「ありがたい」話をまとめてあります。

2月号付録「日本の光」より

 2月号では「日本の光」と題して聖徳太子や東郷平八郎、野口英世といった歴史上の重要な人を取り上げていますが、圧巻は「豊臣秀吉」。「日本国中を平らげた秀吉は進んで朝鮮、明と仲よくしようとしました。が、明の国は非常に強く朝鮮をいじめ日本をばかにしたので、秀吉は大軍を送ってさんざんに打ち破りました」…えー、突っ込みどころはいっぱいあるのですが、高圧的に出たのは日本で、朝鮮全土を戦場にしたのですが…。

 気を取り直して後半。「明の王は恐れて仲なをりの使者をつかはしましたが、その手紙の中に秀吉を日本国王にするという無礼な文句があったので『我が国には尊い皇室が上にましますのじゃ。わしを日本国王などとは何たるたわごと。この不とどき者めが』と雷のように叫び、使者を追い返し、再び大軍を送って日本の国の勢いと皇室の御威光を海のむこうまで輝かしました」…後半、ほぼ創作ですけど、こうして何度も天皇を擦り込むのが狙いだから、歴史上の事実なんて関係ないでしょうね。

3月号「輝く皇軍」より

 まず、軍隊が天皇の軍隊であることを、あからさまに示します。その後は勇敢な場面の連続となり、死んでもラッパから口を離さなかった木口小平、上海事変の爆弾三勇士などが登場します。

3月号「輝く皇軍」より。爆弾三勇士の説明も現実とかけ離れています。

 しかし、死ぬ話ばかりでは夢がないと考えたのか、二人の少年航空兵が的中に不時着し、一人がいさぎよく自殺しようと言ったのを、相方が否定し「もっと御国のために働きたいのだ」とし、「ああ、そうだ。この命は御国と陛下にささげた大切な命だ。生きるだけ生きて国家のためにもっともっと働かねば」と一致。なんとか本体に帰りその後も活躍したとしめています。ここでも出てくるのは国家であり、天皇なのです。ちなみに「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓が登場するのはまだ先のことです。

3月号の逃げ延びる少年兵の話

 4月号は「桜の日本」とし、桜と人の話題に。5月号は「靖国の花」と題し、靖国神社に祀られている人の紹介です。有名な広瀬中佐のほか、従軍看護婦も登場させていて、男女ともに国家のため身を尽くせということにしていくのです。

5月号「靖国の華」
5月号より広瀬中佐
5月号より「白衣の観音竹内喜代子」

 竹内看護士は、南京野戦病院の伝染病棟で活動し、自身もコレラにり患して亡くなります。ここでも看護への礼をいう兵士に「あなたは天皇陛下の兵隊さんですよ。私は天皇陛下の兵隊さんに一日も早く治っていただきたいのです」と返事させています。ああ、とにかく天皇のためなのだ、と。これだけ繰り返されると自然に受け入れますよね。
           ◇
 あらためて、中の人は叔父が合祀された靖国には行きません。それは天皇のため、と人々を縛る空間だから。

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