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スピリチュアルレフト(精神的左派)について

ある書籍で、アメリカ人の一部に「宗教的左翼」という政治思想があることを知りました。

単純な右翼・左翼という枠組みで捉えることの難しいパターンで、個人レベルでも社会レベルでも倫理的責任感を強く感じている集団である。(注:後述)

「宗教的左翼」を検索してみると、「宗教的左派」で出てきました。

宗教的左派(Spiritual Left、精神的左派、霊的左派とも訳せる)とは、左翼的な政見(社会正義、平和活動、経済的平等、環境保護など)を支持するが、政治思想の上では自由主義ではなく伝統的な宗教を基盤にしている層。(Wikipedia)

Spiritual Left で検索してもさほど情報は出てこないので、英語圏でもあまり一般的ではないのかもしれませんが、以下ふたつの寄稿がとても示唆に溢れていたので翻訳してみました。(記事のニュアンスと、宗教左派:Religious Leftとの区別を明確にするため、Spiritual Left の訳は「精神的左派」を用いました。)

1.ウィリアム・ダグラス・ホーデン 「変化とスピリチュアルレフト」

2.アリエル・レヴィテス 「スピリチュアルレフトは彼らが見たいと思う変化を起こすことができるでしょうか?」

宗教学や政治学を専門的に学んだ方にとっては浅い内容かもしれませんが、あらゆる社会問題を読み解くヒントになるのでは?と感じたのでご紹介します。(英語が得意ではないので、誤訳などあればご指摘ください。)

補足:宗教右派 Religious Rightとは「自分たちの保守的信仰理解と価値観とを政治に反映するために、積極的に行動する人びと」、宗教左派 Religious Leftとは「主にキリスト教の保守的あるいは右派的な宗教的諸価値に対して、進歩的・左翼的な政治的立場を主張する勢力の総称」(Wikipediaより)

個人的な所感

さて、ぼく自身には現在、特定の支持政党はなく、お墓参り以外の宗教的な習慣もありません。(趣味でヨガクラスに通っていますが、過去に工学を履修したせいか、精神世界の話は科学的に解釈しています...(^_^; )

ただ、生きていく上で大切にしたい「信念」や「倫理観」は何となく持っており、それが時には心の支えとして自身の言動の拠り所になってきました。仕事をする上でも、他者からの信頼の獲得や、成果を出す秘訣につながっているはずですが、一方では他者と軋轢を生じさせる諸刃の剣でもあります。

異なる属性のメンバーでチーム編成されるプロジェクト案件では、技術的な課題よりも「価値観や目的意識の違い」による内紛に翻弄されることが圧倒的に多く、ぼくはこの組織のメカニズムに強い関心があったため、実践的にチームをマネジメントする機会を求めて場数を踏んできました。時には欧米のクライアントを相手に、アジア拠点の多国籍チームをまとめる経験を積んだりしながら、このテーマに取り組んできました。

しかし、やがて「ソリの合わない人」を生み出している原因が、ぼく自身の問題解決能力、論理的な思考回路であることに気づかされます。行き詰まった挙げ句、いったん合理性を手放して自身の価値観を見つめ直す必要に迫られたのですが、そんな葛藤の中で手に取ったのがこちらの本でした。

平積みされていて目に飛び込んできた帯の文字「リベラルはなぜ勝てないのか」で衝動買いしたこの本からは、社会科学の豊富な学びが得られました。その中でも「右派(保守)と左派(リベラル)では道徳規範が異なる」という点は食い入るように読みました。

日本人にはそのまま当てはまらないとしても、少し違和感を覚えた この調査(Moral Foundations. Questionnaire)について調べてみたところ、以下の書籍に日本語訳されたものが詳しく掲載されていました。

設問に回答して点数化したものをアメリカ人の平均と比べると、ぼくは(意外にも)リベラルに偏っておらず、近い属性として「宗教的左翼」の存在を知ることになります。(前記 注:政治的信条とモラルファンデーションの関係 P35)そこから、冒頭で紹介したふたつの寄稿に辿り着いたわけですが、双方から浮かび上がる特徴は心に響くところが多く(そこまで清廉潔白ではないにせよ)価値観の正体と弱点を言い当てられている気がしました。

これを「宗教と政治」の問題という偏見を捨てて「変化と思想信条」の関係から読み解いてみると、変革の推進派と守旧派のグラデーションが俯瞰できそうです。開拓者精神に溢れるはずのアメリカ人も、実は大多数が変化に対して保守的で、大きな抵抗を受けながら(時には揺り戻されたりしながら)少数派が社会を変化させている構図が見えてきます。

スピリチュアルレフト(精神的左派)の特徴とされる「伝統的な価値観を尊重しながらも、新しいことに果敢に挑戦する」という一見矛盾する態度は、武道や職人芸のロールモデル「守破離」に通じるもので、日本文化(東洋思想)の強みと重なるように感じました。しかし、創造的破壊が求められるような、スピード重視でドラスティックな変革期には、こういった姿勢は弱みに転じてしまいます。

長く続いてきた伝統の多くは、常に柔軟に変化し続けてきた結果でもあると言われます。科学技術の進歩と社会の変化には相互作用がありますが、変化を大きく捉えて継続的に発展させる局面と、全く新しい潮流に思い切って飛び込まなければならない局面があり、両者における法則性や最適解は異なります。どちらが正しいではなく双方の観点を兼ね揃える必要がありますが、現状維持を好む人間の本能は、いずれにしても変化に対して停滞を生じさせます。その結果、雪崩を打つように極端な変革期を招いてしまうのです。

二種類ある変化の局面、停滞期と変革期、それに対する推進派と守旧派の振る舞い、これらの特徴を企業の組織改革やプロジェクト推進に当てはめてみると「なぜ変革プロジェクトがうまくいかないのか」理解するのに役立ちそうです。国家レベルの政治と、ビジネスの現場では条件が大きく異なりますが、このコンセプトの理解は有効な切り札となる可能性を感じました。

少なくとも、ぼく自身の過去の経験からは、成功例と失敗例に共通するパターン、そのターニングポイントに潜んでいたメカニズムが明確に把握できました。プロジェクトの成功を単純には保障はできませんが、失敗パターンに陥ることを防いだり、その予兆に警告を発することは確実にできそうです。( 結局、また理屈っぽい話になってしまいました・・・ (T_T) )

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