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常に冷静に自己との対話を重ね、進むべき道を切り開く── 東京支店代表・藤巻剛にインタビュー

こんにちは! センス・トラスト株式会社です。

私たちは「想像を超える、未来の創造」を理念に掲げ、京阪神間を中心に不動産の買取再販、売買仲介、コンサルティング、リフォーム等の事業を展開しています。

そんな私たちの会社の魅力をお伝えする『SENSE TRUST Inside』。今回は、4月に東京支店代表に就任した、藤巻剛が再登場。これまでの経歴や仕事に対する思いなどを、たっぷりと語ってもらいました!



努力せず後悔だけしている自分が心からダサいと思った── 受験での失敗が自分と向き合うきっかけに


── まず学生時代のことをお聞きしたいです。藤巻さんはどのような学生でしたか?

小学生のころから野球をやっていて、高校でも野球部に入りました。実は、副社長の小松も同じ野球部のチームメイトだったんです。その当時からの友人で、気がつけば長い付き合いですね。

高校は地元京都の公立高校で、野球部も決して強豪校というわけではありませんでしたが、真剣にやっていたと思います。毎朝6時ごろから朝練をして、そこから授業。夕方は比較的早く練習が終わるのですが、その分家で自主練をするという毎日でした。監督もかなり厳しくて、野球のことだけでなく基本的な礼儀や人間性などについてもきっちりと教えていただきました。今となってはとてもありがたいことだったなと思います。

── 大学時代はいかがでしたか? 進学先や学部などはどのように選んだのでしょうか。

それに関しては自分の中で苦い思い出ですね(笑)。高校時代、部活ばかりの生活を送っていたので、引退後は思い切り遊びたいという気持ちが勝ってしまって、気持ちが全く受験に向かなかったんです。もともと成績は良い方だったので、先生からも「もっと上を目指せる」と言われていたのですが、楽をして大学に入れるというだけの理由で、指定校推薦で入れる大学に決めてしまいました。その当時は理系も文系もよく分かっていないような人間だったので、目の前の楽しさが勝ってしまったんです。大学に入ってから、この決断を本当に後悔しました。

── どういう部分で後悔したのですか?

頑張るべきときに努力せず、妥協してしまった自分自身に対して一番がっかりしましたね。何も考えずに決めた大学だったので、入学後は勉強をする環境とかいろいろな部分が自分に合わないように感じました。その思いは2年、3年と学年が上がるにつれて強くなって、他の大学に進学した友だちの話を聞いても、大きなギャップを感じていました。高校3年の時に自分さえ努力をしていれば、違う道を選ぶことができたのにという思いが強かったです。努力した結果ダメでそこにいるなら納得できたと思うのですが、自ら楽をしてその道を選んでしまったので「俺は何をしてるんだろう」という気持ちが拭えませんでした。

でもその苦い経験のおかげで、自分自身の意識が大きくかわることになりました。成り行きで適当に生きてきたのですが、それではダメなんだと。やはり自分がやり切った上で後悔するならいいけれど、何もやっていないのに後悔している自分が猛烈にダサいと思って、そこから考え方を改めようと思いました。

── 具体的に何か取り組んだことがありましたか?

とにかく現状の自分を変えなくてはと思い、自分の気持ちを外に向けるようにしました。他の大学の学生との交流も積極的にしましたし、いろいろな人と出会って、その人たちに勧められることを手当たり次第やってみるという感じでした。例えば、路上で靴磨きをしながら夢を語るという、自己啓発のようなものにハマって一生懸命やっていたり(笑)。親を含めて当時僕の周りにいた人たちにはかなり心配されました。実際に、その経験から何か手応えを感じたわけではなかったのですが、当時はじっとしているよりも何かをしていなければという思いが強かったのでしょうね。とはいえ、今となればその全てが良い経験だったなと思います。

逃げず怯まず、実力を身に着けるために全力で挑んだ大手不動産会社時代

── 新卒で大手不動産仲介会社に入社されていますが、就活では最初から不動産業界に的を絞っていたのでしょうか。

そうですね。僕の実家は祖父も父親も不動産で自営業をしていたので、その影響が大きかったと思います。一般的に不動産業界というのは「稼げる」というイメージが強いと思うのですが、僕の実家も人並み以上の生活はできていたものの、バブルの影響を受けたりして決して簡単に稼げるという感じではありませんでした。でも、大変なことがありつつも必死で頑張っている父親の姿を見て、格好いいと思っていたんです。特に自分が就活をするようになって、父親が仕事を頑張ってくれて、自分たちを育ててくれていたんだということを改めて感じて尊敬の念を抱きましたし、同じ仕事で父親に認めてもらいたいと思いました。

── 前職を選んだ決め手は何だったのでしょうか?

学生の時は、いち早く稼いですぐにでも独立したいと思っていましたが、就活をしていくなかでそれは違うなと感じました。まずは地に足をつけて、基本をしっかりと身につけて力をつけることが大切だと思ったんです。それなら、ベンチャーよりも大手に就職するべきだなと思いました。

それに、僕は就職するタイミングで東京に行きたいと思っていたので、全国展開している大手であればそれも叶うだろうと考えました。自分のなかで大学受験のときに挑戦しなかったことが後悔として残っていたので、今度こそ新しい場所で挑戦したいという思いも芽生えていたのだと思います。

── 実際に大手不動産会社に入社した後はいかがでしたか?

社会人になったら全力で仕事をして力をつけたいと思っていたので、入社後も学生気分が抜けないみたいな感覚はなかったですね。研修期間を終えて実際に営業に出るようになって1ヶ月で最初の契約を決めることができました。自分の中で「まずは支店で1番になる」という目標を掲げて、当時は朝から夜遅くまで必死に働きましたね。

周りの人にも恵まれていましたし、仕事も基本的には順調に進むことが多かったので、勤めていた8年間のほとんどは楽しんで働くことができました。

── 苦労したことや大変だったことなどは特になかったですか?

前職で働いてきて唯一つらかったのが、神奈川から京都に異動になったときでしたね。京都は新しくできた支店だったので、大手と言っても京都ではほとんど知名度はなく、競合他社の後塵に拝するような状況でした。しかも京都は不動産のなかでも難しく独特な地域ということもあって、自分の力が全く通用しなかったんです。自分の地元なのにもかかわらず、転勤して最初の半年は本当に何の結果も出せませんでした。自分が今までやってきたことは何だったのかと、完全に自信を失いましたね。

そうかと思えば、友人の小松は同時期に別の不動産会社で働いていて、京都でバリバリ結果を出していたんです。しかも小松は中途で不動産業界に入っているので、業界歴で言うと僕よりも短いにもかかわらず、経験値や実績、実力など全てにおいて衝撃的なぐらい完敗でした。話をしてもレベルが違いすぎて、いつの間にこんなに差ができたのかと愕然としましたね。

── その状況を打破する突破口はなんだったのでしょうか?

今振り返ると、神奈川で4年半働いていたときは仕事がそこそこできたので、新しいことにチャレンジしてこなかったんです。大手不動産の看板のもと、会社が用意したフィールドで与えられた情報をさばいていて、それを器用にこなすことができていたので自分が仕事ができると思い込んでいたのですが、実際はそうではありませんでした。そういう看板やフィールドがない状態で京都に行って、やはり自分の足でかせぐということが何よりも大切だということに気づいたんです。

圧倒的な手数と勉強、今まで扱ってこなかったような収益物件や事業用地など規模の大きなものにも挑戦してみようと思いました。当時の上司にも、自分の足でルート開拓をしていきたいということを伝え、反響営業という選択肢を自ら断ったという感じです。

もちろん、最初は分からないことだらけでしたが、半年ほどかけてトライ&エラーを繰り返していくうちに、少しずつ手応えを感じるようになりました。この経験は神奈川にずっといたらできていなかったと思うので、辛い期間ではあったけれど自分にとっては良い経験だったと思います。

30歳という節目の年にセンス・トラストへ転職── 新たな挑戦の舞台を東京へ

── 京都支店で2年半勤めた後、次は大阪へ転勤になったと聞きました。その時の気持ちはいかがでしたか?

正直いうと、その時はかなり気持ちが折れた瞬間でした。2年半京都で頑張ってきて、やっと結果が出てきたところだったのに、大阪でまたゼロからのスタートというのが心理的に辛かった。しかし当然、人事異動は会社の事情もあって仕方のないこと。ですが、はじめて「転職」という言葉が頭をよぎった瞬間でした。

── それでも辞めずに人事異動に従ったのはなぜですか?

とりあえずは受け入れてやれるところまでやってみようと思いました。やってみた結果、気持ちが変わるかもしれないですし、まずは置かれた場所で自分自身を最大化してみようと。サラリーをもらっているわけですから、その責任はきちんと果たすべきだと感じていました。

それに、もともと後ろ向きな理由で環境を変えるのが嫌だったんです。転職をするにしろ、独立するにしろ、今の環境が嫌だからという理由ではしたくありませんでした。そういう思考では、何をやっても上手くいかないと思うので、自分のなかで気持ちの整理をつけて、納得したうえでステップアップとして環境を変えたいと思っていたのです。

── その後、センス・トラストに転職することとなった経緯は以前のインタビューでもお聞きした通りですが、前職での経験が藤巻さんにとってどのような武器になると思いますか?

神奈川4年半、京都・大阪で3年半勤めたのですが、年齢的にもバランスが良くて、30歳という今の年齢で首都圏、関西圏のどちらでも営業経験があるというのは自分の強みになると思います。特にどの物件を買ってどのくらいの値段で売れるという相場感は、不動産を扱う上で何よりも大切なことです。これまでの経験でそこを身につけられたこと、さらに前職で築いてきた人脈もあって、その両方を活かせるというのは大きな武器になるのではないでしょうか。そういった意味では、辛い経験もありましたが、前職の環境や経験には結果的に感謝をしています。

── 前職の大手不動産を退職して、創業5期目のセンス・トラストに転職することに対して、不安や迷いなどはなかったですか?

今中さんや小松から東京支店を任せたいと言ってもらえたときは、素直にとても嬉しかったです。とはいえ、まったく不安や迷いがなかったというと嘘になってしまいますね。誰にも相談はしませんでしたけど、将来のこととか、大手の看板を捨てるということに対して、ひとりで考えることはありました。

でも、最終的には、最初に声をかけてもらって嬉しかったという自分の気持ちを大切にしたいと思いました。大学受験のときのように、やる前から諦めて後悔するということだけはしたくなかったんです。自信がないからという理由で、やらなかったら後から絶対に後悔することはわかっていましたし、万が一うまくいかなかったとしても、自分ができるだけの努力をしたのであれば納得できると思いました。

── 藤巻さんにとって、今中代表や小松さんはどのような存在ですか? またセンス・トラストの魅力についてもお聞きしたいです。

今中さんも小松も、僕にとっては目標とすべき人ですね。それぞれキャラクターはまったく違いますが、どちらも尊敬できる存在です。今中さんは、誰に対しても分け隔てなく、常に平等に接しているところや、熱い思いを持っているところ、人を大切にする姿勢など人間性が本当に格好いいと思います。男が憧れる男という感じですね。
その今中さんが率いるセンス・トラストの魅力は、やはり同世代の若いメンバーが多く、会社全体がエネルギーに溢れていることではないでしょうか。一人ひとりが「センス・トラストという名前を不動産業界で認知させたい」という思いを持って頑張っていて、そこはやはり大手とは違うなと感じます。会社に対する思いというのは、熱量に変わると思います。

東京支店を大きくするために、地に足をつけて一歩ずつ前進していきたい

── 東京支店は立ち上げたばかりということで、今は藤巻さんお一人だとききました。

そうですね。気楽さを感じる反面、常に自分との戦いみたいな感じですね。甘えようと思えばいくらでも甘えられる環境なので。今までは出勤したら多くの人がいたので、まだ少し慣れない部分もあります。

とはいえ、サラリーマン時代から誰かに無理強いされて働いていたわけではなく、働くことが好きだったので、今の状況で働くことは何の苦にもなりません。そもそも、僕が東京に来た意味を考えれば、自然とやるべきことが決まってくるという感じですね。今中さんや小松さんが僕を抜擢してくれた思いに答えたいですし、東京支店をゼロから立ち上げていく楽しさもあります。今後はメンバーを増やしていくことになるでしょうし、早くその域に達せれるように、まずはそこを目標にがんばっていきたいですね。

でも本音を言うと、会社でも一人、家に帰ってきても一人なので、たまに無性に寂しくなることはありますね。自分がこんなにも弱かったのかと(笑) これも良い経験だと前向きに捉えて頑張っていきたいですね。

── 最後に、藤巻さんが今後挑戦したいことについて教えてください。

僕にとって今は毎日が挑戦ではあるのですが、将来的には絶対に東京支店を大きくしなければいけないと思っています。

具体的な仕事としては、これまでは僕自身は売買仲介を中心に扱ってきましたが、これからはビルやマンションなども建てたいですね。「センスレジデンス」みたいなセンス・トラストの名前がつく建物を建てて、形として残していくことができたら嬉しいですよね。

東京支店で掲げている今期の売上目標を達成するためにも、まずは地に足をつけてひとつずつ目の前のことに取り組んでいきたいと思います。


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