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子どもたちのハレとケの、ケも知りたくて教員へ。学校現場から研究サポートすることで見えてきた、生徒一人ひとりのリアルな姿

三田国際学園中学校・高等学校の理科教諭として、生徒の研究活動のサポートをしている秋山佳央さん。

前職では、企業の側から研究活動に取り組む生徒をサポートしたり、実験教室の企画運営に従事。「企業の人」として見る教育現場と、「学校の先生」として子どもたちの前に立ったときに見える景色はどう違うのだろうか。

企業と教育現場、2つの立場から学校や生徒を見てきた秋山さんにお話を伺いました。

生物の研究に没頭した大学時代

——まずはじめに、秋山さんの教員歴と現在の業務について教えていただけますか?

現在、三田国際学園中学校・高等学校の教員をして2年目です。

本校には、メディカルサイエンステクノロジーコース(MSTC)というコースがあり、そこでは生徒一人ひとりがテーマを設定して研究活動を行うプログラムを行っています。自ら計画を立てて研究を進めていく中で、自律した研究者としての姿勢を培っています。授業の他に、そのクラスの研究サポートを受け持っています。

——秋山さんご自身も、学生時代は研究に長く携わっていらっしゃったそうですね。

はい。大学時代は生物学を専攻していました。生物学を専攻した理由の一つに高校の先生の影響がありました。また、塾でアルバイトをしていて教育関係の仕事に興味があったので将来の職業の可能性を広げるために教員免許を取得しました。

ただ大学卒業後は、もう少し研究に携わろうと思い大学院へ進学し、学部から取り組んでいたカタツムリの研究を継続しました。

大学院の卒業を前にして、博士課程への進学と迷ったのですが、研究を生かした上で教育に携わるような仕事がしたいと思い、科学教育や科学を世の中に出す仕事をしているリバネスへ入社したという経緯です。

——リバネスではどんなお仕事をされていたのでしょうか?

出前の実験教室の企画運営や大学発ベンチャーの支援、若手の研究者を応援する研究費を必要な人に届ける仕事などをしていました。やりたいと思ったことがあれば企画書を書いて先輩社員に相談し、自ら営業へ行くこともありましたね。

学校への支援として、マリンチャレンジプログラムという、海・水産分野・水環境に関わる研究に挑戦する中高生研究者をサポートする仕事にも携わっていました。

転職のキッカケは、「ケ」を知らない自分へのもやもや

——企業でも、教育に関連するような仕事をされていたのですね。学校現場に転職しようと思われたきっかけはなんだったのでしょうか?

大きく2つあります。1つは、中高生の日常や気持ちについて、実はそんなにわかっていないのではないかという問いが生まれてきたことです。

実験教室を運営することで子どもたちと接する機会はありましたが、あくまでも彼らの一部を知っているにすぎません。ハレとケでいう、彼らのハレの部分だけを知っているという感じです。

彼らの日常、ケの部分を知らないにも関わらず、知っているかのように理想の教育を語る自分に、もやもやとした違和感を感じていました。

——実際のところはよく分からないまま、理想の教育について語ることに疑問を抱いたわけですね。

はい。もう1つのきっかけは、学校の先生との会話です。仕事柄、学校の先生に企画の提案をすることがあったのですが、その際に「やりたいけれど、なかなかできない」と言われるケースがありました。

それが具体的にどういうことなのかが分からず、ひっかかりを感じました。どういう忙しさなのか、どんな困りごとがあるのか、何を助けたらいいのかなど、具体性に欠けていて、いくら話を聞いてもはっきりつかめない。

「学校現場ってどうなっているんだ?」という疑問を抱くようになりました。私はもともと自分で経験しないと納得いかない性格なので、ここでも「いくら話をきいても他人事になってしまう」ことに違和感があったんです。

——そこから実際に転職に至るまでにはどんな経緯があったのですか?

科学分野のリテラシーやマインドセットを育てるメディカルサイエンステクノロジーコース(MSTC)を担当する現在の勤務校の先生から声をかけていただいたことがきっかけでした。実際に学校現場で中高生の「ケ」を見るチャンスだと感じ、専任の教員という形ではなくても関わりたいという気持ちでした。

その後、コロナ禍となり学校が閉鎖になってしまったため、一度話は立ち消えてしまったのですが、落ち着いた頃に改めて声をかけていただいた先生に問い合わせ、幸運なことに研究指導もする理科教諭という形で枠を設けていただきました。

最初に声をかけていただいたところから始まり、結果的には自分から扉を叩いてチャンスをたぐりよせた形です。

学校現場から観察した生徒の様子

——ご自身で学校現場に足を踏み入れてみて、かつて秋山さんが営業で学校の先生たちから聞いた「やりたいけれど、できない」の理由は分かりましたか?

外部のプログラムを取り入れたいと思っても、「誰に相談すればいいのかが、分からない」ということに気がつきました。

学校の組織構造は企業のそれとは少し違うイメージを持っていて、ある先生が何かを「やりたい」と思っても、なかなか学校全体に浸透しないことがあったり、「一緒にやろう」と言っても、動きたくても動けないといったことがあったりします。

誰に相談したら企画が進んでいくのかが分かりづらい構造をしているからかもしれない。そんなことを最初の頃は感じていました。最近では、「どの先生がどういう強みを持っているか」「どの役職の人に相談をすればいいのか」が少しずつ分かってきて、多少やりやすくなりました。

——教員になってみて、子どもたちに対する見方そのものは変わりましたか?

大きく変わりましたね。教員になるまでは、生徒たちを「中学生」「高校生」と一括りにして見ていました。

企業で実験教室をしているときも、「これぐらいの年代の子どもはどういうことを考えているのかな」と想像したり、以前に実施したときの事例を思い出して「前回はああいった感じの子どもたちだったから、今回も同じような感じの子が来るかな」という考え方をしたりしていました。

教員になってからは、「あの子だったら、こういったことをするかな」とか「あの子だったら絶対やらないだろうな」というように、子どもたち一人ひとりの顔が浮かぶようになりました。

もしかすると研究者の視点で子どもたちを観察しているのかもしれませんが、学校現場に身を置いたからこそ起きた変化だと思っています。

——「子どもたちの研究のサポート」という側面においては、学校の外側から関わるのと、内側で関わるのではどんな違いを感じていますか?

リバネスでは、学校のチームを月1回程度サポートしていました。研究の方向性づくりのお手伝いはできましたが、実際の学校現場に入れないもどかしさがありました。

1カ月間で進捗のないチームに対して、外側からだと「このチームは進捗がなかったな」と思うだけになってしまうのですが、現場にいると「最近どう?」と声をかけることができます。進捗がなかったとしても、彼らの様子から理由もなんとなく分かったりします。「どういう声かけをしたらいいのか」「彼らのモチベーションはどうしたら上がるのか」ということが自然と思い浮かんできます。

研究がなかなかうまく進まない、進められないこともあったりします。そんな彼らに少しずつ声をかけることで、ほんの少しでも彼らの意欲をかき立てられる可能性があるところが現場に来てよかったと感じることです。

——より解像度が上がったのですね。最後に、秋山さんの長期的なビジョンがあれば教えてください。

学校を、子どもたち自身が心から好きだと思えることを見つけ、のめり込めるような場所にしたいと考えています。

リバネス時代には、好きなことに邁進できるとがった子どもが増え、彼らが活躍できる場所が増えてきたと感じていました。しかし、実際に学校現場に来てみると、成績を気にして好きなことが何かよく分からないまま受験期に入り、勉強モードに入ってしまう子や、好きなことなんてやっても意味ないと思ってしまう子はやっぱりまだまだたくさんいて。

そのような子たちに、何かに夢中になる楽しさや、いずれ必ず自分の武器になることに気づいてほしい。学校現場に飛び込んでみたからこそ、今の子どもたちの現状に気づけたのだと思います。

どんな子どもたちにとっても、好きなことが見つけられる、そして安心してその好きなことにのめりこめる場所にしたいなぁと思います。

取材・文:野崎 浩平 | 写真:ご本人提供