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体育教員、起業、そして校長として再び学校へ。「遺伝子にスイッチが入る」人材育成に取り組むFC今治高校里山校って、どんな学校?

2024年4月、愛媛県今治市にサッカー日本代表元監督の岡田武史氏が学園長を務める「FC今治高校里山校」が誕生した。

この学校の初代校長として就任したのが、辻正太さんだ。辻さんは、大学卒業後、高校教員として11年間勤務したが、教育現場に違和感を感じて転職し、その後起業した。

一度は学校の外に出て、大人たちを巻き込んだ学び場を作っていた辻さんが、なぜ教育現場に戻ってきたのか。学校内外で働いた経験を経て、改めて感じる教育現場のやりがいとはどこにあるのか。

「遺伝子にスイッチが入る」人材育成を目指す辻さんの新しいチャレンジや教育現場、子どもたちに対する思いについて詳しくお話を聞いた。

新しい学校のモデルが作りたくて、再び学校現場に

——まずはじめに、辻さんの現在のお仕事について教えていただけますか?

私は、2024年4月愛媛県今治市に開校した「FC今治高校里山校」の校長を務めています。

この学校は、建学の理念に「命をつなぐために、生きることの本質を問い、実践する」を掲げる私立高校です。学園長はサッカー日本代表元監督の岡田武史さんで、これからの社会の「キャプテン」を育てていこうと始まった学校です。学校には寮を設置していて、地域の子どもたちはもちろん、全国から生徒が集まっています。

学校の特色として、各分野の先駆者たちをゲストに招き、その生き様を学んだり、毎週水曜日の午後は3時間を使って野外体験教育という授業を行ったりと、体験から学び続ける場を子どもたちと共有することを大切にしています。

先日も山を2つ越えるウォーキング体験「20kmウォーク」を実施したのですが、学校を飛び出してやるような授業については、私自身も可能な限り全て同席をしています。ちなみにFC今治とあるのでよく聞かれるのですが、決してサッカー選手を育てる学校ではありません(笑)。

——辻さんは新卒で教員となり、その後転職と独立を経験されたそうですね。

はい。大学を卒業した後は、「卒業した後も会いに来れる先生でいたい」と思い、私立高校で体育教員として働く道を選びました。

高校教員時代の辻さん。生徒たちと

その後、大学時代の先輩が経営していた東京のコンサルティング会社へ転職し、その後独立。2016年7月には青森県弘前市に移住し、弘前駅前に「HLS弘前」というコワーキングスペースを開業しました。

HLS弘前は、コワーキングスペースとしての機能だけでなく、人や組織や地域の学び・成長をさまざまな角度からサポートし、誰もが自由に学べる社会づくりを目指して、子どもも大人も学び合えるような場を提供する場所で、学校の外で大人も子どもも学び合うような、新しい学び場づくりに挑戦してきました。

教員になってからの日々は、本当に楽しかったです。その一方で、学校と社会との間にどんどん差ができているような違和感を次第に感じるようになったため、転職を選びました。

——辻さんが抱いた違和感とは、どのようなものだったのでしょうか?

学校で働いてみて感じたのは、実際に民間企業で働く仲間たちの話と、自分が学校で教えていることとがつながっていないという違和感でした。

受験がある関係で学校では、どうしても「好きなことは一旦傍に置いておいて、大学入学に向けて勉強をしよう」という風潮が強くて。でも私自身は、仲間たちの話を聞けば聞くほど、とことん好きなことに打ち込んだ人の方が、結果として答えが一つに定まらない社会で生き抜けるのではないかと思うようになっていったんです。

当時米デューク大学の研究者であるキャシー・デビッドソンが「2011年に小学校に入学したアメリカの小学生の65%は、今までにない仕事に就くだろう」という研究データが発表されたこともあり、「学校で教えられることとは、一体何なんだろうか?」という思いが強くなっていきました。

——それで現場を離れて独立されたのですね。そんな辻さんが、なぜ校長として再び学校現場に戻ろうと思われたのでしょうか?

「学校の中で子どもを育てるのは限界だ」と思って外に出たはずなのに、「9割以上の子は学校に通っている」という事実に改めて出会いました。そうすると結局、学校が変わらないと何も変わらないのではないか?と、考えが堂々巡りになってしまって。

HLS弘前で、学生と交流する辻さん

私のこれからの10年をもう一度学校現場に身を投じ、学校の新しいモデルを作り広めて、どんどん増やしていくことに力を使いたい。

そう思っていた矢先に、FC今治里山校の前身である今治明徳学園のリニューアルを検討していた、サッカー日本代表元監督の岡田武史さんに出会いました。

岡田さんとオンラインで打ち合わせをする中で「歴史を動かすキャプテンシップを持った人材を育てたい」という思いにとても共感し、家族の後押しもあって今治に行くことを決意したという形です。ただ、家族は愛媛にはついてきていないというオチが付くのですが(笑)。

子どもが本来持つ、育つ力を邪魔しない

——転機となる出会いがあったのですね。具体的に、岡田さんのどのような部分に共感されたのか、もう少し詳しくお聞かせいただけますか?

岡田さんは1998年のFIFAワールドカップで、それまで監督経験が全くなかったのにも関わらず、急遽サッカー日本代表の監督に就任されました。

そのとき岡田さんは、大きなプレッシャーを背負い、極限の状態まで追い詰められたそうです。そんな追い込まれた状況の中、あるときご自身の「遺伝子にスイッチが入った」感覚があったのだとか。

「遺伝子にスイッチが入る」とは、開き直ったようにして自分の意思に基づいて行動している状態のこと。これからの時代は、今までのように正解が1つに定まらない、いわばロールモデルが世の中にいない状態だからこそ、これからは遺伝子にスイッチが入った人材を育てていかないとまずいと岡田さんは語られていて。その考えに非常に共感しました。

——「遺伝子にスイッチが入る」という言葉、私の心にも響きました。開校して半年経ちましたが、生徒たちの遺伝子にスイッチが入ったエピソードがありましたら、教えてください。

ある日の19時半ごろ、10数人の生徒が教室からぞろぞろ降りてきたことがありました。「こんな時間まで何をしていたの?」と聞くと、彼らは「どうしたらこの学校をもっとよくできるかについて喋っていたら、こんな時間になっちゃってました」と。

自分たちがこの社会を作っていくとか、この学校を作っていくという思いが強く、誰も頼んだわけでもないのに自分たちでできることを考えている。このときの彼らの顔つきは、もちろんまだまだ未熟で、不安に満ちた表情ではありましたが、自分の意思で行動を起こそうとする遺伝子のスイッチが入り始めているなと感じました。

その裏側で、 生徒たちはやりたいことが多すぎるがあまり、いっぱいいっぱいになってきているのではないかということも最近は感じています。「全部やり切りたいのだけど、どうしたらいいのだろうか?」という葛藤から、泣きながら私のところに相談に来る生徒もいます。そういう瞬間は言い換えると、遺伝子スイッチが入る前段階に来ているのではないかなという感覚はあります。

——生徒さんたちは、具体的にどのようなことにチャレンジされているのでしょうか?

実は現在本校に通っている生徒たちの約1/3は過去に不登校を経験しています。そのため入学時点で「こういう社会、世界にしたい。世の中の『不』をなくしたい」と 考えている子たちがたくさんいて。

例えば、1日も中学校に行っていなかったとある生徒が、「1クラスに大体1~5人ぐらい不登校がいた。それが中学校全体で20〜25クラスとかあるから、その学校だけで100〜150人不登校がいるんだ。 これって異常だ!」と言っていたんです。

その経験から彼は「孤独のない社会を作りたい」と、今はそれに向けていろいろな活動をしています。「孤独のない社会を作る」をミッションに、さまざまなゲストの話を聞いて自分の興味関心を広げたり、自分の心が震えるような新しい発見をしていたり。そしてそのゲストに、今度は自分で連絡をしてもっと話を聞きに行こうと行動しています。

他にも、土日にFC今治の試合の運営ボランティアや、FC今治スタジアム内に事務局を構える野外学校の運営サポート、地域のお祭りの手伝いなど、チャレンジの機会がたくさんあります。生徒たちは、そんな機会に出会うと全部に手を挙げてしまう。そんな状況ですね。

——日々生徒たちの活動を近くで見守っていらっしゃる辻さんが、生徒と関わる上で大切にされていることは何でしょうか?

生徒の主体性を引き出すことを特に大切にしています。

例えば、主体性を引き出すために、学校改革で有名な工藤勇一さんが何か問題が起きたときに使っている3つの質問 「どうしたの?」「君はどうしたいの?」「先生に何かできることある?」を、私たちも日々実践しています。何か起きたら、まずは自分で判断をするということを大事にする関わり方を、職員全員で大切にしています。

どうしても教員は、生徒に成功体験をさせたいあまり、安心安全に物事が進むように手すりをつけたり、補助線を引いたりして、リスクを極力減らそうとします。でもそれは、生徒の生きる力をどんどん奪っているんじゃないかと思っていて。

主体性を引き出すためには、生徒にあえて修羅場にどんどん飛び込んでいかせることも必要なんですよね。あえて想定外や板挟みが起きるような修羅場を経験することで、遺伝子にスイッチが入り、生徒が本来持っている生きる力が引き出されていくような場を作りたい。

岡田さんには「子どもたちを育てようと思わないでほしい」とよく言われます。私たちが育てるのではなく、子どもたちは育つ力を持っているのだから、それを邪魔しないぐらいのつもりでいてほしいと。

そのような思いからFC今治里山校では、教員のことを「コーチ」、教職員集団のことを「コーチズ」と呼んでいます。

FC今治里山校のコーチズ

「べき論」を手放して、オーナーシップを発揮したあり方を

——民間企業を経験してから先生になろうと考えている方や、これから教育現場で働きたいと考えている方に向けて、メッセージをいただけますか?

民間企業での経験を持った先生が、学校現場に必要だと感じています。学校の中と外の世界には、まだまだ大きな差がある。そんな差や違和感に、民間企業での経験を持つ方の方が気づけることが多いのではないかと感じています。

教える技術などは後から身についてくるものでもあるので、それよりも「どういうスタンスで生徒たちと関わるのか?」というマインドが大事だと思っています。

FC今治里山校の生徒たち

また私と同じように、一度教育現場を離れた人たちについても、ぜひ気楽に戻ってきてほしいです。

実際に私自身が学校を離れてみて、40人の生徒の状況を全部把握してマネジメントすることって、とても稀有な力だと分かったんです。そういった先生として培った力は、学校の外の世界でもとても生きたように感じていて。

だからこそ、同じように一度学校の外に出て教育現場に戻る人たちは、この力を自覚できていると思うんです。次はその力をどう生かすか。持っている力がさらに磨かれているはずだから、意図的にその力を使い、共に子どもたちを導いていってほしいと心から思っています。ぜひ安心して、教育現場に戻ってきていただきたいですね。

——現在学校で働いている先生方にとっても、日頃の営みを俯瞰して捉えられるお話に勇気をもらいました。

実は私は学生時代から自分の居心地のいいところから抜け出すことや、自分の意思で一歩踏み出すのがすごく苦手だったんですよ。でも一歩外に飛び出してみたら、本当に見える世界が変わるんだということを体感したことが、全て今につながっています。

まずは行動すれば何かが変わる、とりあえずやってみないと分からない、やってみたらなんとかなる、行動しているといろいろな人が助けてくれる。

そんな感覚を、これまで私は身をもって体感してきました。そういった経験があるから、今でも異業種の人たちと関わったり、普段行かないようなところに行ったりと、「越境する」ことを意識的にやっています。

先生を志す方たちは、子どものことが大好きで、真面目な方が多いように思います。それ故に、「先生とはこうあるべき」といった論調にハマって苦しんだり、支配されてしまったりすることがあるのではないでしょうか?

一旦そういった「べき論」を手放して、1人の人間として「本当はどんな風に関わりたい?」と自分自身に問いかけて、オーナーシップを発揮したあり方を見つけてもらえたら、うれしいですね。

取材・文:八木 俊樹 | 写真:ご本人提供