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目の前の子どもたちが成長するために、できることはやりたい。小学校教員を退職してもなお、教育に関わり続ける理由とは?

新卒で小学校教員というキャリアを選択した角田真優さん。「一人ひとりの子どもの意思を尊重する」ことを大切に公立小学校に勤務するも、自分の実現したい教室の姿と現実のギャップに違和感を感じ退職。

その後のキャリアについて悩んだ末に、教育プログラムなどを手掛ける民間企業へ転職し、5年目を迎える。

角田さんはなぜ学校現場を離れてもなお、教育業界に関わり続けているのだろうか。学校外から教育に関わる人として、教員とは異なる立場で子どもたちの学びや育ちを見つめ続けている角田さんに詳しくお話を聞いた。

「一人ひとりを尊重できているか」という違和感がきっかけに

——はじめに、角田さんのご経歴についてお聞かせいただけますか。

私は大学卒業後2年間、小学校の教員をしていました。

その後、2019年7月に転職をして株式会社CURIO SCHOOLで子どもたちの探究学習に関わる仕事を始め、今年で5年目になります。現職では、中高で探究学習の授業や小学生向けのスクール運営を担当しています。

実は教員を目指したのには、はっきりとした理由やきっかけがあったわけではなく、「教育が好きで先生をやってみたい」という気持ちが、日々の中で少しずつ膨らんでいったという感じです。

例えば、中学生時代の職業体験でたまたま小学校に行く機会があったときに先生が子どもたちに寄り添う姿を見て、「先生って素敵だなあ」と思ったり、学校の先生である母の姿を近くで見ていて先生という仕事の素晴らしさを感じたり。実は「先生は大変だからなりたくない」と思っていた時期もあったのですが、その気持ちはいつの間にかひっくり返っていました。

——そうだったのですね。教員のお仕事を2年間経験して、いかがでしたか?

楽しいことも大変なこともたくさんありました。その中で一番心に残っているのが、文化祭での取り組みです。

クラスの子どもたちのアイデアで、教室全体に迷路を作ることになりました。その学校の文化祭では、これまで迷路を作った例がなく、「本当にうまくいくのだろうか?」と私も子どもたちも、心のどこかで疑いながら準備を始めました。

準備を進めるうちに、普段は前に出ないような子が積極的にアイデアを出したり、必要なものをせっせと集めたりしてくれて。いつもはスポットライトが当たらない子たちが活躍してくれたんです。そうして迎えた文化祭、迷路は大盛況になりました。こんな風に、子どもたちの力で成功させた文化祭のエピソードは、強く私の印象に残っています。

その一方で、普段の学校生活の中で度々訪れる「指導」の場面に難しさを感じていました。

例えば小学校だと、学校の決まりを守れなかったときに指導をする場面があります。決まりごとは集団生活を送るために大切だと思うと同時に、画一的なルールを守らせることに対してモヤモヤを抱えてもいました。だから、このまま何年か教員を続けたら、自分の中に生まれてきた違和感に向き合えなくなってしまうだろうと思ったんです。

——なるほど。どのような違和感を持たれていたのでしょうか?

自分が教員として、本当に一人ひとりの子どもを尊重できているのかという違和感です。この違和感には、周りの人が私の意思を尊重しながら育ててくれたという経験が関係しています。

例えば、両親には叱られた経験よりも、対話を通して大事なことに気づかせてもらったり、自分のやりたいことを実現できるように伴走してもらったりと、私という人間を尊重して育ててくれたと思っています。両親や周りの人が私の意思を尊重しながら育ててくれたこともあり、私も子ども一人ひとりの意思を尊重したいと思って、先生になりました。

しかし、一人ひとりの意思を尊重することと、集団生活を維持するための指導をうまく両立できず、一度学校から離れることにしました。

——違和感に向き合うために、転職を決意したのですね。転職する際、何か悩んだことはありますか?

悩んだというよりも、不安の中にずっといたと思います。教員を続けることも不安でしたし、辞めて何かになれるのだろうかという不安もありました。

教員として働きながら転職活動をしたくなかったので、教員を3月までやり切ることにしました。いざ教員を辞めてみて、就職活動を始めてみると、さらに不安は膨らみました。「これはいつ終わるんだろう」「本当に仕事に就けるんだろうか」と、常に不安の中にいるような感じですね。

転職に当たって、先生の学校・代表の三原さんや転職活動の中でお会いした人事の方にもすごく助けてもらいました。面談を通して実際に学校以外で働く人のお話を聞いたり、私がやりたいと思うことにアドバイスをもらったりもしました。

何より一番助けてくれたのは両親ですね。私は心が折れそうになったときには両親に電話をして、じっくり話を聞いてもらっていました。

やっぱり人と関わることが好き

——転職のためにいろいろな人の話を聞く中で、教員を辞めてもなお教育業界に関わり続けることに決めたのはなぜでしょうか?

それはやっぱり「好きだから」の一言に尽きると思います。実は転職活動をするとき、システムエンジニアやキャリアカウンセラーなど、別の職種も視野に入れていました。「どんな仕事が自分に合うだろうか?」と日々考えながら転職活動を続ける中で、やっぱり人と関わることが好きなんだと改めて気づいたんです。

好きという気持ちが揺れることも、もちろんありました。でも、目の前の子どもたちが成長して、自分の力でものごとを成し遂げる瞬間のためにできることはやりたい。だから教育業界に居続けているんだと思います。

——教員経験が現在のお仕事につながっていると感じたことはありますか?

現職でも学校に入って授業をすることがあって、その際はやはり教員経験が生かされていると感じますね。

例えば、子どもの様子に合わせた学習展開を考えたり、必要な声かけができること。それから、大きな声で話しても伝わらない場合は敢えて小さな声で話してみたりという工夫ができたり、グループ活動がしやすいような環境整備ができたりもします。このように、子どもたちとの関わり方について小さなノウハウは、たくさん持っていると思います。

あとは学校に授業を提案する際、子どもたちに対する配慮はもちろん、先生方にとって魅力的な授業になるように考えられるのも、教員経験があるからこそだと思っています。

——教員とは違う立場で教育に関わることに、どのような魅力を感じていますか?

先生ではない大人が教室内にいることは、子どもたちにとっておもしろいことだと思うんです。

例えば探究学習のプログラムでは、子どもたちの自由な発想や行動が重要です。でも担任の先生とは「普段の授業モード」の関係性ができているので、その壁を超えることは難しい部分も多いと思います。しかし教室の中に外部人材が入ることによって、「自由に考え動いていいよ」という雰囲気が作りやすくなる気がしています。

私自身も、学校外の人間として授業に入ってファシリテーターとして子どもたちと接することは、自分に合った関わり方だと感じています。もともと、一人ひとりを尊重することを教育現場で実現したかったので、今の仕事ではそのような関わり方ができ、うれしく思っています。

でも大事なことは、学校の先生も学校外の人間も、どちらが欠けてもいけないということです。私はこれからも教育に関わり続け、先生方と役割分担をしながら新たな価値を生み出していきたいです。

——最後に、教育現場に転職したいと考える人にメッセージをお願いします。

私が一度転職を経験すると、今度は私が転職の相談を受けることが多くなりました。教員から民間企業への転職経験のある人は、そこまで多くないこともあり、誰に相談したらいいのか迷ってしまうと思います。

この記事が、読者の皆さんにとって教育との多様な関わり方を知るきっかけになってくれたらうれしいです。

取材・文:齋藤 希 | 写真:ご本人提供