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上下関係ではなく、対等に生徒と関わる先生でありたい。企業と中・高・大での勤務経験を経て辿り着いた生徒との向き合い方とは?

「教員は世間知らず」と認識されがちな風潮が嫌で、大学教員を辞めて民間企業を経験してから、再び教員の道に進んだ牛込紘太さん。

一言に「教員」といっても、中学校・高校・大学という校種の違いだけでなく、専任教諭・非常勤講師、全日制・通信制というさまざまな違いもある。

これらの全てを経験してきた牛込さんに、教育業界の魅力や民間企業からの転職を生かしたキャリア教育の実現、どんなときも変わらずに大切にしていることなどを聞いた。

「世間知らずな教員」になりたくなくて、企業勤めを経て教育現場へUターン

——はじめに、牛込さんの経歴を簡単に教えてください。

もともとやっていたラグビーを継続するつもりで、大学卒業後は民間企業への就職を考えていましたが、教授からラグビー部のコーチとして声をかけていただき、大学助手をしながら2年間コーチを勤めました。本当は3年間勤めることができたのですが、思い立って民間企業に転職しました。

その後、教育の現場に戻り、公立中学校や通信制高校を経て、今は追手門学院中・高等学校で勤務を始めて3年目になります。昨年は、2020年度から始まった当校の新しい教科である「探究科」と学級担任を担当していましたが、今年度からは、教科授業においても探究プロジェクト型の授業を行うことになって、創造力、判断力、表現力、コミュニケーション力などを育む「創造コース」という新しいコースの運営責任者をしています。

——3年の満期を待たずに、大学助手から民間企業に転職しようと思われたきっかけは何だったのでしょうか?

大学助手は教授のサポートをする立場なので、3年間大学にいたとしても、自分の色を出すことは難しいだろうなと思ったからです。

実は民間企業への転職が決まった時期に、ある学校から教員募集のお声がけをいただいたことがあったのですが、その日のうちに辞退しました。

今思えばすごく失礼なことをしたと思いますが、当時は「教員は世間知らずだ」と見られる風潮があって、それがすごく嫌だったんです。教員になるにしても、一度民間企業を経験してからにしようと、私の中では一択でした。

——教育現場以外の社会を知るためだったのですね。民間企業から再び教育現場に戻られたのはなぜだったのでしょうか?

企業勤めになってからは、営業の仕事に携わりました。上司にも恵まれ、営業成績も悪くはなく利益にも貢献できていたので、大変でしたが楽しめていました。

このまま企業で働く道もおもしろいかもしれないと思っていたのですが、29歳で新入社員と共に仕事をするようになってから、周りから私の教え方や質問の仕方が先生みたいで、教員に向いているのではないかと度々言われるようになって。そこで再び、教員という職業の選択肢が頭をもたげました。

一度意識し始めてから決断するまでは早くて、会社に辞意を伝え、教員採用試験を受けるための準備を始めるのと同時に、公立・私立校の非常勤講師の募集枠に申し込んでいました。その翌月には「すぐに働けますか?」と声をかけていただき、大阪の公立中学校・保健体育科の非常勤講師として勤務することが決まりました。

——とんとん拍子で話が進んだのですね。教育現場に戻られて、何か感じることはありましたか?

教育現場から5年離れていたことと、中学生を教えるのは初めてだったこともあって、指導の難しさを改めて感じましたね。

大学生はもう考えがしっかりしてきているので、こちらが全てを言わなくても意図を理解した上で行動に移してくれましたが、中学生はまだまだ多感な時期。そこまで深く考えずに、思いついたことはすぐに実行してしまう感じだったので、そういう部分での指導が大変でした。「きちんと指導に向き合わなきゃいけないな」と考えさせられましたね。

非常勤講師は、その日担当する授業が終われば帰宅していいのですが、私は月曜日から金曜日の1時間目から6時間目まで学校にいさせてもらって、授業を見学したり、生徒と関わったりしながら勉強させてもらっていました。最初は大変でしたが、自分の好きなことを仕事にできている実感が伴っていたので、企業勤めに戻りたいと思ったことは一度もなかったですね。

お話を伺った牛込紘太さん

今の進路指導の感覚を変えたいと奔走した通信高校での教員時代

——非常勤講師として学校現場へ戻られてから、現在の職場に至るまでの間に別の学校でご勤務されていたと思いますが、どのような経緯で前の学校に移られたのですか?

当時は非常勤講師をしながら教員採用試験を受けていて、同時に私立学校の求人も探していました。残念ながら試験の方はうまくいきませんでしたが、通信制高校の募集と出会いました。

公立学校に身を置いてみて、授業内容にしても行事にしても、前例踏襲の風土があって、その点に違和感を感じていました。その違和感について、通信制高校の採用面接で「教育現場の慣習を変えていきたい」と話してみたところ、「当校ではそういうところは柔軟に対応できると思います」と言ってくださって。

これに加えて、公立中学校では特別支援学級の担当もしていたので、不登校を経験して通信制高校を選んだ生徒のリスタートの支援にも応用できるんじゃないかという思いもあって、学校を移ることを決めました。

——全日制の学校とは異なる特徴を持つ通信制高校では、また新たな発見があったのではないですか?

そうですね。私は毎日通うコースの担任を受け持っていましたが、通信制高校ではインターネットを使った通信教育が基本となり、全日制の学校とは違って必ずしも毎日登校する必要がないコースもあります。

そうした特徴は理解していましたが、それでも生徒全員が教室に揃うことが本当に当たり前のことではないのだということを、身をもって知りました。

大人からすれば、「なぜ学校に来ないのだろうか」といった感覚を抱いてしまいがちですが、来ない理由は子どもたちそれぞれにあるわけです。だから学校に来ない生徒を単に叱るのではなく、何が原因で来られないのかをきちんと聞いた上で、私たち教員に何ができるかを考えて生徒と関わっていくスタンスが大切なのだということを強く感じました。

この強制・強要しないスタンスは、私の中で今もずっと変わらず持ち続けているものかもしれません。

——通信制高校在籍中に、牛込さんが最も注力した取り組みはどんなことでしたか?

一つは、例年同じような形で実施していた学校行事に意図をもって変化をもたらし、充実させたこと。もう一つは、全国にあるキャンパスに仲間と共にキャリア教育を取り入れたことです。

最初の5年間は保健体育の授業を行っていましたが、次第に、これからの教育に必要なことは、子どもたちの主体性・思考力・判断力などをどのように育むかだと考え始めて、同じように考える先生と独自のキャリア教育カリキュラムを作ることにプロジェクトメンバーとして参加をしたんです。

ICTを取り入れたり生徒たちからフィードバックをもらったりしながら、ある程度の型を作り上げました。このキャリア教育を現場に足を運びながら広げたいと思って本部への部署異動を希望し、最後の3年間は全国のキャンパスを飛び回りながら広げていく活動に注力しました。

——すごい行動力ですね!なぜキャリア教育を広めたいと思われたのでしょうか?

きっかけは、常勤講師から専任教諭になるための昇格試験での質疑応答です。「志望理由書を書いてほしいという生徒がいます。どのように指導しますか」と聞かれ、私は「志望理由書は私が書くものではないから書けないけれども、その生徒が何をしたくて、どういったことを伝えたいのかをまず聞いて、一緒に作り上げていきます」と答えました。

結果は、「進路指導が弱い」という評価で昇格は見送られました。

何をもって進路指導と言っているのか?
私が書いてあげます、と答えればよかったのか?

疑問に思った私は、知り合いを通して本部に確認してもらったところ、明確な答えはもらえませんでした。このときに、実績を気にするあまりに評定や成績、生徒の行きたいところよりも行けるところへ誘導してしまうような進路指導は危ういと感じました。

もはや、点数が取れるとか、志望理由書を綺麗な字で丁寧に書けるとかいう世界ではありません。主体性や思考力、判断力、表現力を育んでいかないと、これからの時代を生きる子どもたち自身が立ち行かなくなります。

通信制高校には、登校をしていない=不登校というレッテルを貼られ、自己肯定感が低い子もいます。そうした子どもたちに、武器となるような経験をさせてあげたい。さまざまな経験を通して、思考力や判断力、表現力とはこういうことなんだという確かな感覚を得た上で、学校行事などに取り組んでいくことができれば、爆発的な効果が生まれるのではないか。

そうした考えが原動力になったわけですが、シンプルに言えば、昇格試験に落ちたことへの反骨精神ですね(笑)。

どんなときも飾らず、等身大の自分で生きていく

——現在の職場である追手門学院中・高等学校は、探究的な学びに力を入れている特徴的な学校ですね。

まさに、私が追手門学院中・高等学校に移ったのは、この学校の「探究科」に惚れ込んだことが最大の理由です。

この「探究科」が運営しているO-DRIVEというオウンドメディアも素晴らしくて、「これはまさしく自分がやりたいと思っていたものだ!」と衝撃を受けた程です。

企業でも学校でも同じだと思いますが、人材・生徒募集の意図を持たせた広報活動では、良いことしかアピールしませんよね。でも、それにはすごく違和感を抱いてきました。生徒のことを考えれば、ミスマッチが起きるぐらいなら、良いことも悪いこともきちんと伝えた上で選択できる方がいい。

さらにできるなら、教員ではなく、生徒たちの言葉で届けることがとても重要なんじゃないかと考えたときに、生徒が発信する、等身大の学校の姿を伝えるメディアをつくりたいと思っていました。

そんなこんなで追手門学院とのご縁があり、現在は「探究科」の一員としてやりがい溢れる日々を送っています。

——キャリアの変遷を経て、牛込さんが大切にされていることはどんなことですか?

教員だからといって見栄を張らず、どんなときも飾らずに生きていくことを大切にしています。

教員だからといって何でもできるわけではなく、生徒たちに助けてもらわないとできないこともたくさんあります。先生と生徒という上下の関係ではなくて、お互い人と人として、対等な立場で話をすることを心掛けています。

民間企業にいた頃は、たくさん失敗して教えられて、できなかったことができるようになっていく経験を重ねてきました。その中で、利害関係なしにお互い助けたり、助けられたりする関係性を築いてこられたこと、そして、「仕事ができるできないに関係なく、愚直に真摯に向き合ってくれたらそれでいい」という言葉を顧客の方からかけてもらえたことが、今の自分の価値観をつくっていると思います。

しんどいという気持ちを正直に話したとき、肯定的に捉えてもらえたという感覚があって、「人っていいな」と実感しました。この感覚を、生徒たちにも還元していきたいんです。

生徒たちと常に等身大の自分で
向き合うことを大切にしている牛込さん

また、民間企業を経験した自分だからこそ伝えられることがあるとも思っています。「学校ではこう教えているけど、社会に出ると、実際にはこういうこともあるよ」という話は、生徒にそのまま伝えています。社会に出てから、「学校で教わったことと全然違うじゃん」とギャップを感じるよりも、現実にはそういうことがあると知った上で、次に進んでほしいからです。

これからも、他の先生方や外部の方々とも連携して自他の経験をうまく混ぜ合わせながら、自分なりの教育活動を展開していきたいなと思っています。

——最後に、異業種から教育業界への転職に悩んでいる方にメッセージをお願いします。

教育業界の働き方がハードだと言われますが、そこは民間企業と同じで、教育業界をより良くするために内側から変えていくことはできます。

先生たちが頑張る姿を子どもたちが見ることで、「自分たちがより良く生きる環境を、中から変えていけるんだ」と思ってもらえれば、先生としての役割を十分に果たせていると言えるのではないでしょうか。

どんなに小さくてもいいです。少しでも、「教育を変えたい」「子どもたちの人生に良い形で関わりたい」という思いがあるのであれば、ぜひ教育の世界に来ていただけたらうれしく思います。

取材・文:鈴木 祥之 | 写真:芝田 陽介