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教育現場のワオキャリア | 先生のキャリア

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教育現場の多様なキャリアストーリーを紹介しています。
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#学校

オランダの日本人学校で視野を広げた3年間。一歩踏み出したことで得られる喜びを、子どもたちと一緒に味わい続けたい

オランダ、ロッテルダム日本人学校の在外教育施設派遣教師として2021年4月〜2024年3月まで派遣されていた棚橋弘子さん。 派遣先の学校では、異なる背景を持つ子どもたちの価値観の違いにも好奇心を持って耳を傾け、苦労と思わず楽しんできた。学生時代から海外留学をするなど未知の世界に挑戦し続けてきた棚橋さん。そんな彼女が身を以て得た多様な実体験を、子どもたちにも伝えているそう。 棚橋さんはどのようなキャリアヒストリーを歩まれてきたのか?詳しく話を聞いた。 オランダで気づいた、

働く場所として、学校は最高の場所。これまで培った経験も、得意なことも、「自分」の全てが生きる仕事

一般企業や高齢者福祉などの現場を経て、現在は岐阜県の町立中学校の主幹教諭として町内の小中学校を飛び回る渡邉和代さん。 大学時代には国文学を専攻し学びながら、建築CADの専門学校にも通い資格を取得。学校教育への思いは抱きつつ、当時の教員採用は異例の高倍率時代。かといって、周りと同じようなリクルートスーツに身を包んで就職活動に向かうことはどうしてもイメージできず、新卒採用ではなく、一般採用という形で民間企業に就職した。 その後、そのときどきの出会いと直感を大切にしながら、さま

知ってほしい、農業高校のこと。動植物の命や地域の文化・つながりの中で生き生きと働く、農業科教員の挑戦

学校教育において重視されるようになった探究学習。令和の時代の新たな教育トレンドのように語られ、さまざまな実践が行われるようになった。 そんな中、子どもたちが主体的・探究的に学ぶプロジェクト学習が昔から根づいているのが農業高校だ。地域と連携して地域の課題解決に向かって取り組む授業や、農畜産物の命と共にある日々の中で、生徒も必死になって考え、学び、導き出したことを実践している。 そんな農業高校を「学びのテーマパーク」と表現し、生徒はもとより、教員が働く場としても魅力的だと語る

企業の製造現場から、工科高校の先生へ。子どもたちと向き合い、それぞれの人生の道を一緒に模索する存在でありたい

「自分の人生をどう生きるかという視点を、子どもたちに届けたい」 そう熱く語るのは、大阪府立佐野工科高等学校で進路指導主事をしている赤穂遼さん。赤穂さんは教員になる以前、川崎重工業株式会社で製造管理の仕事をしていた。広大な敷地を行き交い、一日2万歩を数えることも珍しくない日々。そんなモノづくりの現場で、人と人とを結び合わせ、成果を上げてきた。 そんな赤穂さんがなぜ、学校の先生に転職したのか。そして、製造管理の経験が学校現場でどう生かされているのか、話を聞いた。 拗ねていた

社会のつくり手が育つ学校を目指し、営業職から教員へ。子どもと過ごす毎日が未来につながる、先生は幸せな仕事!

「しあわせをつくる人(Happiness Creator)」を最上位目標として掲げ、自律学習者の育成やプロジェクト型の学びに注力した教育活動を行う、東京都中野区にある私立小学校・新渡戸文化小学校。 同校で、子どもたちや保護者の方から「やまちゃん」の愛称で親しまれているのが、3年生の担任を務める山手俊明さんだ。 前職は企業で営業職を勤めていた山手さんが、教員として子どもと関わることに決めた背景にはどんな思いがあったのか。「社会のつくり手が育つ学び」を仲間と共に探究し続ける山

先生は社会を作る重要な担い手。仕事と育児の両立への悩みから、オランダに移住して見えてきた教員という仕事の本質とは?

2019年よりオランダに移住し、現在はオランダと日本の教育をつなぐ会社Edubleを立ち上げて代表を務める三島菜央さん。 三島さんは、高校中退を経験し大学に入学。留学、ベンチャー企業での勤務、高校教諭といったさまざまなキャリアを経て、現在のオランダ移住に至っている。 多様なキャリアを歩んできた三島さんが、なぜ教育分野の仕事を選んだのか。なぜ高校教諭を退職した今も、オランダの教育についての発信を行っているのか。それらの理由について三島さんに詳しく話を聞いた。 教育分野を志

いくつもの肩書きを持つのは、自分らしくあり続けるため。パラレルティーチャーになって気づいた、先生が生き生き働くために大事なこと

現在、大阪市にある私立一貫校、常翔学園中学校・高等学校で、文理進学コース長をされている古島尚弥さん。 大好きなバスケットボールを続けたいという理由で目指した教員というキャリアを選び、教員を続けながらオリンピックの審判員を目指す日々だったという。しかしあるときから、教員とバスケットボール以外にもNPO法人の理事、地元自治体の教育委員、本の出版、キャリア教育で使うカードゲームのファシリテーターなど、いくつもの顔を持つ、自称「パラレルティーチャー」になっていた。 さまざまな人と

子どもが成長する瞬間は、刺激的で美しい。学校という「モノづくり」に挑戦する校長のキャリアヒストリー

2022年4月に東京都世田谷に開校し、代々木校、吉祥寺校と新しい学校を展開しているオルタナティブスクール・ヒロック初等部。同校は、子どもが主役となって「育ち」や「学び」を広げているスクールだ。 今回話を聞いたのは、開校当初からヒロック初等部カリキュラムディレクターを務め、2023年9月よりヒロック初等部2校目となる代々木校の校長を務める五木田洋平さんだ。 学校の立ち上げだけにとどまらず、音楽活動や書籍の執筆等、多岐に渡って活動する五木田さんが、これまでどのようなキャリアを

教員は、最高の仕事!元ホテルマンが噛み締める、日々子どもたちの満面の笑みに触れ、成長を隣で見守れる幸せ

「教員の仕事は最高に楽しい」と語るのは、滋賀県にある立命館守山中学校・高等学校 英語科教諭の竹田健二朗さんだ。 竹田さんは教員になるまでに、ホテルマン(京都府、東京都、大阪府、シンガポール)、半導体営業、英語塾副校長と、バラエティあふれるキャリアを経験してきた。 中でもホテルマンとして順調にキャリアアップの階段を駆け上がっていた竹田さんが、なぜ教員という仕事に転職し、情熱を注いでいるのか。そのユニークなキャリア変遷と、教員という仕事のやりがいについて話を聞いた。 ホテル

子どもたちそれぞれのNo.1を一緒に見つけ、褒められる経験を。人生の針路に迷走した教育者がたどり着いた教育×デザイン

東京都の有明に2021年にオープンした、ひらめきをカタチにする企業ミュージアム「AkeruE(アケルエ)」。子どもたちの知的好奇心と「ひらめき力(ギリシャ語でEureka)」を育む場として、“学び”と“モノ・コトづくり”を体験できるユニークな施設だ。 ここAkeruEで、現在プログラムディレクターを務めているのが、小学校で非常勤講師の経験を持つ鈴木順平さん。 鈴木さんは教育学部を卒業するも、学校の先生にはならずにデザイン専門学校へ進学した。自分の強みは何かが分からず、ずっ

優しい先生って、ダメなの?小児精神科医との出会いを通して、「子どもの心を守る」ケア的な関わりのできる先生に変容したベテラン教員の今

大分県別府市の公立小学校で教員をしている松永さんは、その道一筋で子どもたちに向き合ってきたベテラン教員だ。 教員歴35年のキャリアを振り返ると、子どもたちが言うことを聞かない状態に対応できず、自身の心の健康を崩してしまったことや、職場における「先生とはこうあるべき」という価値観ギャップに悩み、葛藤する苦しい日々もあった。 それでもなお教員を続けてこられたのは、精神医学の「心を守る」理論に出会えたからだ。多様性あふれる中で、どの子も安心して学校に来られる教室を目指し実践する

上下関係ではなく、対等に生徒と関わる先生でありたい。企業と中・高・大での勤務経験を経て辿り着いた生徒との向き合い方とは?

「教員は世間知らず」と認識されがちな風潮が嫌で、大学教員を辞めて民間企業を経験してから、再び教員の道に進んだ牛込紘太さん。 一言に「教員」といっても、中学校・高校・大学という校種の違いだけでなく、専任教諭・非常勤講師、全日制・通信制というさまざまな違いもある。 これらの全てを経験してきた牛込さんに、教育業界の魅力や民間企業からの転職を生かしたキャリア教育の実現、どんなときも変わらずに大切にしていることなどを聞いた。 「世間知らずな教員」になりたくなくて、企業勤めを経て教

アイデアを形にする「実行力」を身につけて、自己効力感をぶち上げよう!デザイン会社・IDEOのデザイナーが教育の世界にアプローチする理由

グローバルに展開するデザインコンサルティング会社IDEO(アイデオ)。 その東京オフィスであるIDEO Tokyoでインタラクション・デザイナー・リードとして活躍されている油木田 大祐さんは、実際に自分の手や体を動かして創作する“ものづくり”の過程を通して、自己効力感を高める経験の機会を、子ども向けのワークショップという形で提供している。 デザイナーとして、今世界が必要としているアイデアを形にする「実行力」を伝えるために、産業界から教育現場にアプローチする油木田さん。どんな

人生、ありのままの自分を出せたもの勝ち!20年の教員生活から起業に転じ、50歳を前に再び教育現場に舞い戻った校長の思い

現在、ドルトン東京学園の校長をされている安居長敏さんは、大学卒業後、地元・滋賀県の女子高校に20年以上務めた後、突然辞職。慌てる家族をよそに、なんと民間のFMラジオ局を2つも起業するという経験を経て、再び2006年に学校教育の現場に舞い戻ったというユニークなキャリアを持つ。 キャリアの変遷を重ねる中で、自分自身の人生観が変化していったという安居さん。どんな心境で学校経営に携われているのか、お話を聞いた。 ドルトン東京学園の教育、先生の役割と職場づくり ——安居さんが校長