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【映画感想話】「銀河鉄道の父」

 珍しく、母から「映画に行かない?」と連絡がきた。
「何?」
「銀河鉄道の夜」
……タイトルを間違えているがおそらく銀河鉄道の父のことだな。
「行く。チケットとるね」


・・・・・・・・・・・・

 母はあまり本を読まない。私は漫画も小説も読める環境が整っていれば勝手に読み始めて一日を過集中で使い潰すような人間なのだが、母は気に入った作品を勧めたり一緒に鑑賞しようと誘っても、途中で寝落ちていたり、離脱しているような……そんなひとだ。辛うじて週ドラマのような映像作品はTVを通して観ているような気がするが、本を、活字を読んでいる姿は本当に見たことがない。
母の鏡台にずっと「君たちはどう生きるか」のコミックス版が埃をかぶって置きっぱなしになっているのを私は知っている。認識してしばらく経つが実家に戻るたびに埃積もってるなと思ってウェーブをかけて帰っている。読んでいるところは未だに見たことがない。
ただ、好きな作品について聞いてみたりすると昔読んでいた漫画のタイトルや最近観ているドラマについてや父と観に行った映画の感想を返してくれるので、私の好きなものと被っていなかったり、今までは忙しさでそういった時間がとれなかっただけなのだろうなと思う。
そんな母から二人で映画を観ようとの誘いだった。家族で映画を観ることはそれこそ幼少から今まで何度かあったけれど、”母と私”というのは実は初めてだった。

 「お母さんは銀河鉄道読んだことない。宮沢賢治の話ひとつも読んだことないかも。」鑑賞前にめちゃめちゃ堂々と言ってきた。
なぜだ。読めよ。名作だぞ。というか、子供だった私が宮沢賢治の本を手に取るような環境にしていたのはこの人のはずである。買い与えはしたけど母は読んでいないのだそうだ。そんなことあるんだ。
でも、まあそれでいいと思う。新鮮に感じるかもしれないよ。映画を観てから銀河鉄道の夜を初めて読む体験は私にはできないから、私は母が羨ましいよと答えた。まあ、なぜだ読めよとも言った。
「あんた宮沢賢治の本熱心に読んでたで、気になってたけど一人で観るよりいいかなと思って誘った」と言っていた。実は少し前にマリオブラザーズの映画を観に行ったときに予告ポスターを見かけて観ようかなと考えていた。バレている。そこだけわたしの母だなと思った。

 チケットをネットで取ったときはそんなに座席は埋まっていなかったが、劇場についたらほとんど満席だった。タイミングとかもあると思うけどシニアのお客さんが多かった気がする。ちょうど父母と同じ世代かすこし先輩のみなさんだと思う。私の隣も母と同世代の女性だった。

 鑑賞前にスマホのモードを変えていると横から「母のもやってよ」と言われ、母のスマホも機内モードに設定した。何度か説明した。最近やっとガラケーから機種変更してライン慣れてきたわ~と笑っていた。買い換えてすぐの時は私も使ったことないギャル文字みたいな絵文字のカタカナでメッセージが送られてきたなそういえば…と思い出した。機内モード切替はたぶんギャル文字打つより簡単だから頑張って覚えてくれ。

母「なんか観た人の特集テレビでやってたんだけど、泣くやつらしいよ~」
「私そういうの嘘すぎ…ってなって泣かんのだよな(天邪鬼)」
母「わたしも~」と鑑賞前におどけていた。

賢治の妹トシ(森七菜)が登場して「お兄ちゃんのかく物語が読みたい」と会話した瞬間から終わりまでずっと泣いた。泣き出すの早すぎ。泣かんのだよな(天邪鬼)どこにいったんだよ。
もうさ、詩が…小学生の時に読んで妹さんのことを想ってこんな詩を書いたんだこのひと……と衝撃を受けたあの、賢治の詩が、頭の中を飛び交うように思い出されてさ……なんでもない会話のシーンのはず(どちらかというと妹の性格や、家族・賢治の中で妹がどんな立場なのかを説明するシーンみたいなところ)なのにもう涙がこらえられなくて。案の定ここのシーンで嗚咽しているの私だけだったらしく感想言ってるときに
「どっかで泣いてる人いるとおもったら横のあんただったから驚いた」と母に言われた。私もこんな早い段階で泣くと思ってなかったよ。てかずっと泣くと思ってなかった。ちょっと最後にポロリくらいだと思ってたから。

どのシーンも言語化できないくらいくらってしまったのだけど、なにか創作をしているひとはみんなこう……思うところがあるんじゃないかなと思う。なにか作るとき、作りおわった時にある孤独と絶望感が映画のいろんなところに散りばめられていてめっちゃめちゃになってしまった。私は。
宮沢賢治はもうこの国で本当に知らん人おらんくらい読み語り継がれているけど、当時はその人なりに苦悩していたのかもと思うと等身大に感じて、心がざわめく。私は宮沢賢治だと自分を重ねてみたりは流石にしてないけど、あの言語化できないどうしても生きなきゃならんの?の苦しみがいろんな方向から押してくる感じは同じくらい実感があってどうしようもなくて泣くしかなかった。私にとって……なので観る人によっては綺麗に、ドラマティックに描きすぎ、とかマイルドすぎ、とかはあるのかもしれないけど……
死んでもいいと思ってるとヤケクソになったり、おれは何も出来ねえですと何度も頭を打ち付けたり、子供をつくれと言われた時「できねえ!」と叫ぶ賢治の姿、自分の選んだ宗教を叫ぶ声も本当は何も信じられないと叫べなくなる声も脳に焼き付いたし、横にいる母と似たような言合いをかなりの回数しているのでかなり気まずい気持ちでいた。菅田将暉の演技、すごすぎる。
私は母にここに書けないくらい最悪な言葉を怒りに任せて言ってしまったことがある。後で本当に後悔して、母に何度も謝った。気にしてないよと母は笑うけど、きっとずっと心に棘を刺したままだと思うと何度悔やんでも謝っても取り返しがつかないなと思っている。母は私を出産する時難産だったので帝王切開で腹を切っているのですが、あの腹の傷痕と……心にも傷をつけてしまったのだと、とても後悔している。母は腹の傷はあんたを産んだ証だからいいの!とよく言っていたけど、子どもの頃、海やプールへ連れて行ってくれた時も水着を着ていなかったし、自分がその立場だったらたとえ子の為でも自分の腹部を切るなんて怖くて意味わかんなくて決断なんてできないから、ほんとにこのひとのことをすごいと思っている。

妹トシ(森七菜)と祖父喜助(田中泯)のシーンもすごく衝撃的だった。認知症が進んでしまった祖父を「綺麗に死ね(潔く死ね)」(すいませんセリフを忘れてしまいました)とビンタで落ち着かせて、怖くないよみんなおじいちゃんが大好きだとトシが抱きしめるんですけどこの感情の流れがシームレスに流れてて死ねと愛って両立するんだ…と震えた。めっちゃよかったこのときのトシ……強く生きるからこそ真直ぐ立つ美しさから、ここから病気になるんかこのひと……と思って潰れそうになった。こっちが。おじいちゃんもすごすぎる。最初の厳格ジジイどこいっちゃったんだよって思うくらいあの認知症の感じが再現されててすごかった。すごい、いやだった……。
母もこのシーンは泣いたらしく、2回くらい泣いたねって言っていたけど、どこの場面かは時間なくて詳しく聞けなかった。今もそうだけど、当時ってもっともっと表面上の体裁を意識してたからさ~わかる~私も自分の母親(私にとって母方の祖母で認知症です)にしねって言っちゃうことある~と言っていた。今はヘルパーさん挟んでいるけど親子間でもやはり他人なのだからふとでてきてしまう本気の言葉はあるよな……という話をした。でもやっぱり言ったらだめだって話はした。今現状でいう「しね」と、トシの心からでた「しね」は同じ意味だけど時代の背負う重さが違いすぎる気がする。(現代が軽薄という意味ではないです)

政次郎(役所広司)もなんだかとてもよかった。真面目で実直だけどたまに抜けているような世間と少しずれるコミカルさがあったり、本気で生きてないのに死んでもいいなんて言うなと怒る政次郎、とてもよかった。父像ってこんな感じだなって思う。
喧嘩の後家出をした賢治が、日蓮宗の会館から「ここは駆け込み寺じゃない(みたいなセリフだったと思うけどうろ覚えです)」と門前払いされるシーンと、その後すぐ宮澤家のカットが出てくるんですけど、一番「父」を感じた。すごい短いけど理屈じゃない他所とここ(家)の対比がすごく父だった。うちを潰す気か!!とキレる時もすごく父だった。優しい息子のそれ故に馬鹿行動を引き起こしてしまうことも、理解した上で許可できなくて、いろんな感情に板挟みになっていたんだと思う。
あと“煙草吸ってた”で察するのも父だった。長男だから大事にしていたという理屈抜きで、賢治の物語に夢中になっていく父の姿はただひとりの人として、大好きだったんだね息子のことがと思えて本当に泣いた。泣くだろてこんなの……。

イチ(酒井真紀)の最後の辺りもすごくよかった。「最後は私にやらせてください。賢さんの母なんですから」(セリフうろおぼえです)と言うあのシーン本当にによかった。タイトルの逆回収までやる…うまい…映画がうまい……。どんな人が観にきているのかを考えてつくっているんだなって感じた。少し前の映画だったら、このタイトルでイチの感情を拾うことってたぶんなかったんじゃないだろうか(もしくはもっと父と息子のための演出的な描かれ方になったんじゃなかろうかと思って、今2022〜2023年というこの時代に、この映画が撮られてるんだな……とリアルタイムを感じた。)

 ここのあたりの親として、子として、の役割を全うする宮澤家の家族たちと宮沢賢治本人の葛藤がとてもわかりやすく描かれていて、たぶん宮沢賢治個人の生涯を描いたらもっと色々撮らなきゃいけないんだと思うけど全部削ってもしくはスピーディーに挟み込んで、家族とのやりとり、愛の部分のみを抽出拡大していてすごく、わかりやすかった。雑味にならないように練られているんだと思う。すごいや……映画がうまい……。


それから、葬儀のシーンが好きすぎる。草むらを白くてあっさりした行列が歩いていくシーンは哀しいんだけど、なんだか遠い記憶を観てるみたいな感じがあった。宇多田ヒカルのCOLORSの歌詞を思い出していた。そういえば死者に祈る時に着るの黒じゃないんだなって……あっけらかんと描かれる生と死のコントラストがなんかもう、静かですごかった。

 自分の父方の祖父が亡くなった時、そんなに話したことないけど傲慢でいろんな人に我儘放題していて、子どもが嫌いそうな祖父が当時かなり苦手で、葬儀で初めて祖父のために泣いた記憶があるのですが…人間って好かれていても嫌われていても死んだらこんな事務的に焼かれるんだ。あまりに呆気なさすぎるという、簡素さや立体感の無さで泣いていた気がする。それを思い出した。

喜助やトシを焼く炎と、賢治がトシのために書いた物語を生むときに灯したランプの灯も、父政次郎が賢治の手帳にかかれた詩を読むときに灯した火もどちらも同じ光なんだなと思うとどうしようもなく繋がっていることを意識してしまう。葬列も、火の光も、赤い目玉のサソリの星も鉱物の光の反射も、全部同じなんだな。人間だなあ。あーあと思う。

映画の感想ではないんだけど、花巻に行ったことも思い出して母に感想を語る時話しました。
友人たちとSL銀河に乗ることと、賢治記念館や童話村に行くことが夢だったので叶って嬉しかったんだっていう話をした。旅行期間信じられないくらい豪雨だったのでずっとウケていましたけど。雨じゃーんと言いながら駅のベンチで座って汽車来るのをまってる時のあの空気とか、イーハトーブ館の横の雑木林をヒグラシの鳴く音を聴きながらこの道(道?)で合ってんの?と雨とカッパの下の汗に濡れながら降りて行ったこととか、天丼とサイダーのセット食べたこととか。飛行機から見下ろす花巻の街とか、些細な部分ばっかり思い出していて記憶っていつもそうだなって思っている。
SL銀河のこと少し調べたら今年の私の誕生日までで運行終了予定らしいので寂しい。内装がめちゃめちゃ想像の銀河鉄道の夜だったのですごいほんとによかったよ。客車、どこかで保存されていつでも見れるようになっていってほしい。走れなくてもなんか生かしていってほしいなと思う。


創作って救いだなって思う。映画の最後が私はとっても好きだったので。銀河鉄道の父のタイトルをそこで回収するのは粋だなって思った。チープだろうが、なんだろうが、浪漫のあるあの終わり方が私はだいすーき。

 悲しい目には遭ってほしくはないんだけど、いろんな絶望と空っぽから物語がうまれてくることはどんなひとでも覆らないんだなと思った。なんか少しでも何かを作ったり、生活することが好きな人は観て欲しいなと思う。
この映画の感想って家族観のいろいろがかなり影響する気がするので他の人の感想まだ読んでないんですけど、私はあのオチが本当に好きだよということだけ言っておきます。りんごをあげます。

 結局上映時間のほとんどの時間を泣いて過ごしたんだけど、どうしてこんなに泣いたのか言語にできていない気がする。
泣き疲れたので、家に帰って色々片付けた後気絶のごとく就寝して、深夜に起きて思い出してもう一度泣いた。映画観てこんな思い出してもう一度泣いた経験は初めてです。今起きてnoteを打ち込んでいる。打ち込んだらまた寝ていいですか。寝ます。


原作未読なのでこれから時間とって読みたいと思います。なんでだ。読めよ。その通り、私は母のことを何にも言えやしないのだった。読みまーす。
やった!ここから原作を味わえるなんてお得じゃん…!絶対よも…!

そして詩集を読み返したくなるので文庫などをお持ちの方は映画館まで持っていくことをお勧めします。文庫って持ち歩きに便利なのが最高だよね。ぜったい帰りの感想考えるときにいるから、装備していけ。

私も家のどこかに、絶対どこかにあるのだけど、探すのがあまりに難しいので映画の帰り道にそのまま古本屋に寄って賢治の詩集文庫回収するついでに積読を数千円分増やした。これ以上古本屋に近づいたら自宅の床が抜ける。もう本棚の棚は重さで外れているのだから……。脱線する。

わたしの銀河鉄道の線路は、ぶっ壊れ寸前の本棚に続いているらしい。

帰りしな母に「映画誘ってくれてありがとね」と言った。少し照れくさいけど今言わなきゃなと思ったので。



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