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パートナー・プロデュース(α版)<その4>漂う好奇心を純化する


◼️夫、または、妻は相手の好奇心コーチャーとなりえるか?

前回は、「お金」と私たちののっぴきならない関係に少しだけ隙間を入れてみました。そこから、好奇心を「気が晴れる」の要素にするところまでを語ったのでした。

余談です。お金って抽象度が高いくせに、具体性も備えている魑魅魍魎的な輩ですので、すぐに取り込まれちゃうんですな。たとえば・・・

「10円ある? すまん、手持ちないので貸してくれる?」→「あげる」
「一千円ある? すまん、手持ちないので貸してくれる?」→「OK」
「十万円ある? すまん、手持ちないので貸してくれる?」→「返してね」
「百万円ある? すまん、手持ちないので貸してくれる?」→「やばい?」
「十億円ある? すまん、手持ちないので貸してくれる?」→「www」

・・・みたいな。額差し替えだけで、こんだけ受け手の感情を振り回せるのはただものじゃないです! 

図表72


 お金は気がかりを生み、気がかりを消すような役を一人で縦横無尽にこなすものを持っています。そしてやっと本題です。お金の対称にしていた、好奇心はどうでしょうか? 図表72参照。 今回は、そんな視点で好奇心を押し込んでみます。

 若き創業社長が事業を売却して日本100名山に登る、定年前に会社を退職して山伏の修行に入る、子育て中の家族が海沿いの街に移住してマリンスポーツのガイドを目指す、昔の友人のいる国から珍しい食材を輸入する仕事を縁を感じて始める。不登校の子供達のために野山に遊び場を運営する。趣味っぽいもの、仕事っぽいもの、社会貢献活動っぽいものなど、表面上はさまざまです。しかし、そこには純粋な好奇心があって、「人生の気が済む」生き方への眼差しが強い。

 そして今回は、好奇心にパートナー・プロデュースのフィルターを重ねてみます。そもそものシーズン・テーマだし。 そこで、本人が好奇心プレーヤーで、相方が好奇心コーチャーみたいにしたいのだが、いかんせん好奇心という単語が望洋としている。先のお金で見た、感情を振り回せるほど具体性を帯びてないのです。まずはここから着手してみます。

◼️気体のような好奇心を液化する

アインシュタイン、ファインマン、シュタイナー、ディズニー、など新しい世界の高みを踏破した人は必ずと言っていいほど「好奇心」という単語を口にしています。好奇心はオールマイティな場面で使えるポジティブな言葉。まあ、ここに異論はないでしょう。好奇心・・・。
 コンサルとかやってて気になってしまうのは、こういった大きな単語:誰も反対しないけど、掴みどころが薄い言葉たちの扱い方です。口に出した時の景色は悪くないけど、前に進ませてくれない霧のような存在です。

好奇心の意味の濃度を高めてみようと思います。ここでは人生の積み残しをなくして、気が晴れた状態に近づくための好奇心です。言い方を反転してみましょう。もし、あなたも私も純度の高い好奇心を最初から持ち合わせていたなら、人生の積み残しはそもそも発生しない。なぜなら、気が済まない状況を純度の高い好奇心が許すはずもないから。 

子供が日々気が晴れている状態でいられるのは、その証左じゃないでしょうか。 だから、大人が邪魔して、子供たちに不機嫌で気が晴れない日々が徐々に現れてくるのか・・・、娘の不登校は彼女の純度の高い好奇心の爆発かもしれん!(笑いなし)


霧状に気化している好奇心って、いろいろな関心がごっちゃになっていると見立てます。さて、ここから不純物を取りながら、人生の積み残しへの挑戦に近づく手筋を試考してみます。

図表73

 好奇心を含む人生への関心には、自分の強みや弱みは何かなとか、自分が求めている成功と避けたい失敗は何かなとか、うまくいったら誇らしいと思う優越感やうまくいってて羨ましさが痛い劣等感などが入ってきます。これらごっちゃになりながら関心事に対して「好奇心を感じる」とか言ってしまってるのです。計算済みであり、感情織り込み済みの好奇心ですから、これは今までの人生信念が起動しているパターンの可能性が高いのです。世間や周囲や過去の記憶が作る「好奇心」なので、そのまま額面通り信じることができません。あくまでも「関心」の一つです。

 絵が好きだったから画を始める、もう一度楽器の演奏を極める、マニアックなテーマを追求しに社会人向けの大学院に行く、といったよくある選択ケースでも、元になる好奇心の度合いには個人差があります。同じお題なのに、長く淡々と深めていける人々は「私」と「環境」だけの世界で生きています。好奇心の濃度が高いと言えます。古い信念によるノイズ(強み・弱み、成功・失敗、優越感・劣等感)とは一線を引いています。もちろん、そこから新たな気づきで方針転換もあるでしょう。それでも「私」と「環境」の向き合い方が修正されるだけで、気が晴れるための行動自体にブレはほとんどありません。

 図表73で示すように、好奇心は「私」と「環境」の純粋なやり取りのみで成立するものです。打算なしの人生選択が前提です。「唯ひたすら、これに興味が尽きそうもない」といった衝動ですからね。説明も説得も不要でありながら、最終的には生きがいに繋がってるテーマです。

 小生の家庭の場合。相方の人生への好奇心は、最初は料理があったり、セラピーが来たり、夢判断があったりしてながら、渦を巻くようにアートに向かっています。「仕事になるといいな」と言いながらスタートしていましたが、どうも、気が晴れない。そんな試行錯誤の先、稼げるとか稼げないとかから距離を置き始めた頃に、純度の高い好奇心でアートに近づくわけです。  すると、過去が回収されるように「ああ、ああいう記憶で絵を描くことを封印してた」といった気づきが湧いてくるんですね。そう、人生の積み残しらしきものが姿をチラッと見せてくれるのです。清々しさと穏やかさが家庭に広がってくるので、小生も自然と応援したくなるわけです。
 人生の過去のエピソードが回収されて、次の人生行動に繋がっていく場面に立ち会うのは、小生も清々しい。「好奇心の力を見せつけられる」気がするのだった。スティーブ・ジョブズの若かりし頃のカリグラフィーに入れ込んだエピソード(ここでのアート体験が、後のアップルのデザイン性に繋がっていく)のようなものです。人生の気が晴れる行動に、意外なつながりで寄り添ってくれるわけです。


◼️「私」と「環境」をストレッチして、偶然を待つ

濃度の高い好奇心はどのような作用で、人生の気を晴らすことに貢献するのでしょうか? 

まず、「人生の気が晴れる」とは、「私」と「環境」の交換の完結です、と定義してみます。すると、①私だけにとどまっている何か、②関わり合いないままの環境の何か、このどちらかに人生の積み残しの原石がありそうだと洞察できます。つまり、私の人生の気が今だに晴れないのは、「私」と「環境」の純粋な交換が未完なのか、余計なものばっかり交換(その場の関心に惑わされてw)しているのか、なのです。
 この液化した好奇心は、私と環境の間にある何かを発見(正確には、既に関わり合いが求められているものの再発見)するためのものです。やや秘密めいた小瓶のようなものに入っていそうですけど、純度の高い好奇心の香りが必ず人生の積み残しを名指ししてくれるとは、断言できません。 うーん、これは分からない。好奇心が保証してくれるのは子供心のようなピュアさだけ。まあ、それでも十分か。
 生活思創で語れるのはあくまでも、個人の人生目的への葛藤についての見通しの良さについてのみです。

 でも、なんらかの偶然が私と環境の間で起きるには、偶然が起きそうな場所に近づくのが秘訣かと。その導きになるのが濃度の高い好奇心と試考します。

 いつもの私からストレッチした私、いつもの環境からストレッチした環境へ、が偶然へのアプローチであり、人生の積み残しの気づきの受け取り場所です。ええ、そのままの場所では人生の後悔しか待っていないのです。図表74では、黄色の矢印が人為的なもの、緑の矢印が転移的なもの、みたいなまとめにしてます。

図表74


 人生の積み残しには、過去のエピソードへの封印が関係しているという話はどこかでもう少し追求したいと思います。パートナー・プロデュース<その2>で紹介した、結婚以前の個人生活からの回想に繋がるってやつです。

話を進めます。私と環境に対しては今までの人生信念を新たにする必要があります。私はこんなふうに生きなければいけない、みんなこうやった人生を送っているじゃないか、といった自分への言い訳がどこからきているかに向き合う必要があるのです。もしできるなら人生の早い段階で・・・。まあ、それが難しいから年配者からの自分への怨嗟がポロポロでてくるのだろうけど・・・。いかんです、エイリアンのスペースジョッキーは映画だけにしてほしい。


強み、弱みの分析や、成功・失敗を目標にすることや、優越感や劣等感といった感情も重要です。重要というのは、人生で必要な項目だという意味です。ただし、出番には留意したいのです。好奇心が先行し、そこをたぐった足跡から出てくるものたちなので、タイムラグがあります。 人生の気が晴れることを一義とするなら、ピュアな好奇心が最初に来るのが理想です。図表75の下段の私


図表75


◼️好奇心の液化ファネル

以上の展開を、液化ファネル(逆三角形のドリッパー)にしてみたのが図表76です。イメージは上の気化している好奇心から不純物を抜きながら、濃度の高い好奇心を一番下でポタポタと抽出させていく感じです。


図表76

一番上の「漫然とした好奇心」から、一番下の「人生の好奇心」を抽出するわけですが、不純物の代表として「強み・弱み」、「成功・失敗」、「優越感・劣等感」を置いてみました。「強み・弱み」は分析が混ざってしまっている好奇心なので、手堅いようなのですけど、やはり、いつものパターンとして古い信念の中にある成分です。中段の「成功・失敗」は目標が紛れ込んだ好奇心です。あわよくば成功したい、なんとしても失敗は避けたいという衝動は行動目標になりがちです。純粋な好奇心を汚染します。最後は「優越感・劣等感」といった感情が紛れ込んだ好奇心です。周囲への気分は好奇心の形を変えますよね。もう一度あの優越感!を、もう二度とあの劣等感はいや、みたいな。

人は弱いものです。小生なんかは最弱の部類です。いつものパターンで行きたいから、すぐにそれっぽいものに関心(強み・成功・優越感などのポジティブ系)が行って、「好奇心が動いてる」とか自分にいいきかせるような判断をしがちです。 
 それでいて、忌み嫌いなもの(弱み・失敗・劣等感などのネガティブ系)には、それらを忘れさせるようなエピソード(ああ、あれは・・・のせいだった)とか、拒絶の態度(その手の話は、私的にはタブーにしている)で対応したりしがちです。ちなみに、自分を誤魔化すためのエピソードの再生が人生の中毒症状で、拒絶したい・認めたくないものとしてタブー化するのは人生のアレルギー症状というメタファーがあります。(ケン・ウィルバー)

 メイン・テーマに戻りましょう。パートナー・プロデュースでの好奇心コーチャーの役割は、不純物に対する相手の反応パターンに気づいてあげる事です。気づいてあげますが、こちらからの反応は保留します。二人っきりの中で反応することは、それが何であっても意見であり、一種の指導です。好奇心が嫌いなものたちですw そうなると、できる範囲は限られてます。好奇心コーチャーと標榜したところで、後手のサポートしかなさそうです。
 まあ、いいんだ。なんたって、最後は本人の人生ですからね。先述したお金の金額違いネタと同じw 
 でも、一緒にいるからこそ、気づけて、一緒にいるからこそ、言いたいけど黙ってあげる期間に耐えられ、伝えてあげる場面にでくわせるのです。 
 それでも、相方の人生が晴れていく姿には、無上の清々しさと穏やかさがあり、パートナーにも伝播します。ここは、ペアであることが意味深いところではないかと。いつペアの終わりが来るかは分からないけど、それまでは我が家は試考を経て、試行していきます。

そんなこんなで、パートナー・プロデュースは続くのだった・・・
Go with the flow.


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