見出し画像

「生活思創」を試考する<中編>4つの視点

◾️「巨人の肩にはAIが乗っている」時代の試行錯誤のテクニック

今回は、「生活思創」ってなんなのかを考えてみて、できるだけ言語化と図像化する試み、その中編。前半後半の2回を予定してたけど、書き出すと、長引いてしまうのだった。ま、いい兆候ってことで。

中編は、生活思創の位置付けというか、生活と思創のそれぞれに関して深掘りしてみます。ここまで、本人も気づけなかったものが表出してくればいいなあ、と願っております。自分が自分に驚くのが最高のエンターテイメントではないだろうか。それがホラーかコメディかといったジャンルはその時々の上映スケジュールに依るけど。

 生活思創に限らず、これから物事を考えていく時にオープンAI(特に生成AI)との関係性を組み込みながら進めることになります。避けきれないんです。向こうは機械学習で徐々に生成レベルをあげていく、こちらは利用することで情報の濃度を上げていく、そしてまた、AIは私たちのアウトプットを使ってますます広く深く、確かな中心(総平均)を外さずに、次の私たちに応えていく。 
 知の巨人の肩にはAIが座ろうとしているのです(今のところ腰あたりか?)。これは人とAIを比較したり、勝負することが詮無いことを意味します。手強いライバルとは仲間になるのが古今東西の手筋でした。つまり、巨人の肩は広いからAIと2人で並んで座って「あそこに見えるのは何?」とか語り合ったらいかがでしょうか、ってことなのです。たしかに、やや座席が狭い窮屈さはあるでしょう、AIの方が眺めが良い側にいる気もします・・・。是非もない。

 生活思創は試行錯誤のテクニックの一つと言えます。ありがたいのは、AIのおかげでビビらずに試行錯誤ができる時代のテクニックなことです。

 ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)という言葉が復古してきています。これもAI普及とセットと言えます。ネガティブ・ケイパビリティは、詩人ジョン・キーツが提唱した100年前の概念です。なかなかセピア色の知ですね。
 不確実性や矛盾、曖昧さを受け入れ、その中で創造的に活動できる能力を指します。このテキパキしてない能力は、従来の日常生活や職場などでは、あまり受けの良くない態度でしたが、これからのAIとの共存やバディ関係を考えると、様々な場面でこのネガティブ・ケイパビリティが活きてきそうです。AIも歓迎してると思うんですよ。人の迷いや逡巡がAIが存在する理由の大きな柱だからです。生活思創の土俵と重なります。


ネガティブ・ケイパビリティが活かされる場面

問題解決: 不確実性や矛盾に直面した時に、既存の枠組みに囚われず、新しいアプローチで問題に取り組むことができる。熟考する

人間関係: 他者の意見や価値観が自分と異なる場合でも、それを受け入れ、共存しようとする態度が築ける。

創造的活動: 芸術や文学など、創造性が求められる活動において、新しい表現方法や視点を見出すことができる。


ネガティブ・ケイパビリティが嫌がられる理由

決断の遅れ: あまりにも多くの可能性を考慮しすぎて、決断が遅れることがある。機会損失の可能性

現実逃避: 矛盾や不確実性を受け入れるあまり、現実から逃避し、現実解決に取り組まなくなる可能性がある。

非効率: あらゆる選択肢を考慮し続けることで、行動が非効率になる可能性がある。時間などのリソースを消耗する


生活思創は試行錯誤を推します。したがって、ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)的な振る舞いを目指します。決断の遅れ、現実逃避、非効率さえ生活には必須要素だと考え、手っ取り早い生き方から距離を置きたいのです。詩人っぽいのは、それでかも。

◾️生活思創を支える4領域の視点

ここからが今回の本題です。シーズン1「不登校で再考する子供の評価」、シーズン2「親のファシズム・子のアナキズム」まで、まさに試行錯誤を地で行っておりました。ただ、やっていると何が浮かび上がってきます。何かというと「思考の癖」ですね。独自の節回しのようなものでしょうか。演歌っぽいのは、それでかも。
 癖もそのままだとただのバイアスなのですが、このバイアス方向を深掘りすると「思考の個性」になりますね。ビジネスでもそうです。どんな会社も癖があるのですが、癖自体に自覚的になるとメリットもデメリットも確信犯になることができます。ここからジャンプアップ(雑な言い方すると、「開き直って」)して、「これが我が社のベネフィットだ」と言い切った時に新たな個性が開けるのです。

さて、今度は生活思創の中にある小生の「思考の癖」の中から「思考の個性」らしきものを見えるようにしていきます。それが生活思創の領域=目配せするパターンと、生活思創の様式=試考のスタイルになるとしてみましょう。まずは、生活思創の領域についてです。


図表49

生活思創は、日々の生活における家庭での出来事(時空空間)と、家族とそれぞれのメンバー間との関係性について試考していくので、図表49のような4領域へのストレッチがありそうです。まずは風呂敷を大きく広げるのが好きなので(コンサルの時の癖?)、学術的な話とも重なるような視点設定で生活思創の領域を捉えてみます。
 

・言語学の視点:<方角:個人と家族の関係性>
自分の原体験(特に個人としての原体験と家族としての原体験を起点にする)と繋がっているキーワードを探る方角。記号接地のアプローチ

・社会学の視点:<方角:家族と外集団の関係性>
カテゴリー越境を前提として思考を広げようとする方角。カテゴリーエラーを意識的に回避するための、社会想像力のアプローチ

・数学の視点:<方角:生活行動の統合>
圏論に代表される対称性の活用の方角。図解を利用する時、より抽象化を施して、戻ってくるアプローチ

・哲学の視点:<方角:生活行動の分解>
分析哲学に代表される細分化の方角。相補性を維持して、思想の用語を深掘りしていくアプローチ

以上が、生活思創の領域の目次です。結構、大上段な構えですな。でも、使い所はとても生活臭が漂う使い方ですので、ご安心ください。

大きくは2セットあります。セット1「言語学の視点ー社会学の視点」図表の水平方向、セット2「数学の視点ー哲学の視点」図表の垂直方向です。


◾️セット1「言語学の視点ー社会学の視点」


図表50

最初にセット1について説明を足していきます。

この水平方向は「生活思創=生活+思創」でいうと、「生活」についての解像度にあたります。具体的な話の規模感を抑えるために外せない視点です。 

まず、言語学側ですが、ここは記号接地が最重要になります。記号接地(Symbol grounding)とは記号の理解についての視点です。身体性を伴った体感とどこか紐づいている記号なのかどうか、を問います。記号接地できている=記号の意味が体感済みの世界から地続きにがあること、を示します。「AIには記号接地がない」(言語心理学者:今井むつみ)など、最近のホットな話とも地続きな用語になってます。
 生活思創では、生活での個人の原体験、「いやー、実際、えらいこっちゃでさー、もう、いかんともしがたいよ。まいった、まいった」みたいな日常をテーマの起点にします。 慟哭の大小を問わず、です。リアルな日々の営みから目を離したら、もう小生が行う意味(まさに記号接地なし)自体がなくなりますからね。個人の身体性と家族という関係性は外せない要素であり、生活思創のヘソなわけですな。
 身体性を真っ先に持ってこないと、生活についての語りはどんどん一般論になっていくため、いつまでたっても課題の深くへ潜れないのです。白々しくなってしまいます。
 

<小ネタ:はじめ>
ちなみに、マーケティングでもエスノグラフィ調査(生活文脈の中からの生活記述)なんていうのもあって、これら個人の原体験を集めることで、集団生活の文脈を探るようなこともしてます。まあ、予算に余裕のある会社に限られてるけど。あまり、商いに役に立つとは言えないが、大きな組織に共通の市場理解を促す役目はあります。また、文化人類学のような、当事者以外が当該の生活文脈に入っていくというのはフィールドワーク(レヴィ=ストロースは代名詞的な存在)と呼ばれます。
 どちらも時間がかかるし、観察者の元にある生活文脈の影響でバイアスがかかりやすいので、かなり難度の高いアプローチです。
<小ネタ:おわり>

 次に図表右側にある社会学について。シーズン2の「親のファシズム・子のアナキズム」<番外編>で出てきた「社会的想像力」(C.Wright Mills)が重要な視点となります。これはカテゴリー越境であり、カテゴリーAとカテゴリーBを同じ土俵で再解釈することを意味します。不登校を家庭と公共を跨いだ形で解釈すると、子供の貧困問題と同じ構造形態の可能性が見えてきて、「ここには平均像信奉の弊害がどちらもある」、そんな話にまで解釈の焦点を移動できます。

 「教育が持つ、子供の学習の度合いには平均像があるはずだ、とする信念」が起こす問題=不登校。

 それと、「社会制度が持つ、子供の生活の豊かさには平均像があるはずだ、とする信念」が起こす問題=子供の貧困問題

 どちらも同じ構造をとっていると社会的想像力は訴えます。やや、言い過ぎか?、訴えているのは小生でした。
 つまり、「平均像のモデル化で社会を眺めようとする態度が、先入観生成マシンと化してしまっている」ってことまで語りたいのです。

◾️セット2「数学の視点ー哲学の視点」

もう一方の垂直方向にある視点群です。こちらは抽象の仕方についての指針とも言えます。「生活思創=生活+思創」でいうと、「思創」についての解像度がテーマです。 



図表51


 まず数学視点にある圏論的アプローチです。この圏論は説明すればするほど森の奥に迷い込んでしまうところがあります。なぜかというと、森をドローンで俯瞰してみようという学問なので、自分を説明する方法がややこしい(少なくとも小生のような圏論素人には不親切)のです。鬱蒼とした森の中からはドローンが見えないし、ドローンからは自分が森の中のどこにいるかが見えない、そんなもどかしさがあるのです。
 それでも多くの人々が「これなら分かりそう?」って、親身に解説してたりするので、ご興味のある方々は検索やら動画で参照してください。
 小生が生活思創のアプローチとして圏論的な視点を重視しているのは大きくは2点

対称性による説明力アップ
リフレーミングでの活用

対称性での説明力って・・・実は、過去の2シーズンとも対称性からの仮説を元に試考しています。

図表52


図表52は圏論の表現マナーに沿って、域ー射ー余域と設定してますが、用語群はあまり気にしないで。

<活用の流れ>
 どんな域を持ってきてもいいんですけど、まずは、生活課題が寝ていそうな域、そして、相対で直感的に情報量が多そうなカテゴリー名称を域にしてみる。試行錯誤を積極的にしたいので、思いついたもので順次試していく態度でOK。
 次に余域は課題が発生している現場を入れてみる。すると、その間には何か変換装置みたいなものがあるだろうってなって、それを射にする。

並べてみると、「?」がある。手薄な射には「何か入ってもいいはず」と考えるわけです。余域が望ましくない状態ということは、そこの射を検討すると、もしかすると「見通しが良くなる」かもしれない。

これだけでは絶対分かり合えないので、小生の事例で解説します。
 シーズン1では、教育と学習の間に何かコンテキストか戦略のようなものがあれば、他のカテゴリー(文化やビジネス)で使われている射に関するアイデアも活用できるだろう。そう類推します。まずは、ここまでが対称性の活用になります。そこを明示する行為(学脈などの造語で射を埋める)がリフレーミングなのです。なので、わざわざ圏論などと言わなくても良さそうだけど、リフレーミングの環境を説明する視点を圏論は持ってますね。そこがポイントかと。
 話をシーズン2へ。家庭の相対を政治にして域にしたマトリックスが図表52の下段です。今考えると、「サピエンス全史」で、著者のユヴァル・ノア・ハラリが主張する集団が信じて結束するフィクション(虚構)が、射に加えることができます。域が集団で、余域が集団運営まで書けますね。
 そうなると、人類史的なフィクションは親子関係でも適応されていると仮定できます。家庭の射である「親のファシズム・子のアナキズム」もフィクションと同等と見立てることができます。ならばです。家庭が成り立っているのは、フィクションが必要悪としてあるお陰だ、という論法までいけますね。「フィクションは2つもいらないから、親子の民主主義のフィクションでまとめましょう」ぐらいが、生活思創としては最も見通しが良さそう。

こんな感じで別カテゴリーを併記して、対称性から抜け落ちた部分を埋めることによって、生活思創がオリジナルで試考できる足場を作ることができました。そういう意味で、圏論は一つのメタなフレームワークと言えます。

圏の図式を通して、芸術やデザイン、人間や社会のような人文学的対照を探究するう方法を総称して「図式主義(Diagramism) 」と呼びたい。

久保田晃弘(「圏論の世界」:現代思想2020年7月)

そうか、小生は図式主義者だったのか。

最後が哲学視点です。思創に試考とか言ってますんで、生活思創は限りなく哲学的なのです。見方を変えて小生の生業との関わり合いを眺めると、マーケティングとかは数字や統計を使う仕事でなので数学寄り、ブランディングとかは記号やシンボルなどを扱う仕事なので哲学寄り、なので、こんなところで数学ー哲学が結びつくのも面白いと感じます。癖というより性(さが)ですかね〜。

 生活思創で試考を深める手続きは、哲学の中でも分析哲学に近いです。分析哲学そのものも、ここからここまでという定義も範囲も曖昧なので、ど素人がこれ以上の深掘りするのは危険です。ここでは生活思創と分析哲学が近似であることを紹介するに留めます。

分析哲学が分析する対象は我々の概念である。そもそも何かを分析するということは、その何かが分析を許容するような何かだという仮説に基づいている。
分析哲学の方法論は、哲学的に真剣な分析に値するすべての概念は分析を許容するという、仮説を擁している。分析を許容するということは、何らかの意味で複合的だということである

「意味・真理・存在」分析哲学入門(八木沢敬)

生活というと、「生活って大事だよね」「生活感丸出し」「生活でいっぱいいっぱい」とか、ボワッとした使い方が多い言葉ですよね。それもなぜか厄介者のニュアンスが多い気がする・・・。そんなせいもあってなのか、生活の解像度は低いまま放置されてる感じがします。
 ただし、生活思創は哲学的な言語展開が目的ではなく、日々の生活に見通しの良さを与えるものにしたいのです。まあ、いいから事例に進んでみよう。
 これから分析生活(分析哲学と対峙させてみました)と呼ぶとします。さて、分析生活で大切にしたいのが相補性です。相補性とはお互いが補い合う一つのセットになって意味をもつ対立要素です。最も卑近な例は、前回のコンセプト図がそれにあたります。一連の流れでは、どうしてもキーワードが従来の手垢がついた意味のままスタックしてしまうことがあります。「コンセプト」なんて単語はその最たるものですかね? 2つの相補性のある(ここでは矛盾の関係)単語に細分化することで解像度を上げています。

再掲

 分析生活は、これらの手強い単語(生活周りの単語って手垢どころか、日常に埋もれて垢だらけっすよ)の解像度を広げながら、トートロジー(同義語反復)にならないように相補性を手繰り寄せていくことになります。
 また、「親のファシズム・子のアナキズム」も相補性で、家庭内イデオロギーを分化しています。どちらか一つでは成立しないようになっています。
 相補性が重要なのは他にもあります。 相補性は結論を与えてくれませんが、試考に奥行きを与えてくれます。生活は常に動体平衡状態で存在します。家族の1人が抜けても、1人が増えても家庭内の動体は大きく形を変えます。生活は大きく変わるのです。しかし、時間が経てばそれなりの平衡状態に収束していきます。ついには、「日常生活」とみなされる状態になるのです。父親単身赴任でどうなるかと思ったら、意外と母子家庭でも小気味よく回るじゃん、みたいな。今日も家族に問題なし!
 そう、生活を止まった状態とみなすと、生活思創は浅いものになってちゃうのだった。

相補性を反映した場面は結構あります。動体平衡な感じは共通です。

物理学における量子力学:
粒子性と波動性が互いに排他的でありながら、両方を考慮することで量子現象を理解できます。量子現象は、単一の視点からは完全には理解できず、異なる性質を持つ観点が互いに補完し合うことで初めて理解可能になります。

経済学におけるマクロ経済学とミクロ経済学:
経済現象は多層的であり、異なるスケールでのアプローチが互いに補完し合うことで、より包括的な理解が可能になります。お金の流れは一つなのです。

心理学におけるバイオ・サイコ・ソーシャル・モデル(Bio-Psycho-Social model):
生物学的、心理学的、社会学的な要因が相互に作用するという仮説です。3つの要素が相補性を持ちます。正確な表現だと三体性です。ここでは相補性の一種とみなします。個人の心理や健康状態を形成するし、人間の心理や行動は複雑で多面的なため、異なる要因や観点が互いに補完し合うことで、より完全な理解へ進もうとするモデル設計

ここまでまとめると・・・

生活思創は、個人の人生課題と家庭の生活課題の創発的な視点の提供(水平軸の言語学寄り)と、家庭の生活課題と公共の環境課題の創発的な視点(水平軸の社会学寄り)の提供の手法だということです。

これら一連の動きを通じて、「この2つをガッチャンコしたら、さぞ面白かろう、意味深かろう」こそ、生活思創の探求エネルギーなのでした。

※面白い・意味深いとは見通しの良さとも言えます。


<おまけ>

世界は相補性で溢れているので、結構、アナロジー(類推)が効きます。面白いのは、この相補性で創った言葉を数学視点の圏論的な対称性で見直してみると、また、新しい見立てが出てくるところですかね。

例えばですね・・・現時点でもう少し外の眺めを広げてみたものが図表53です。これはオヤジの落書きなので、扱いは要注意だよ。(自己責任でねw)

図表53

生活思創の周辺には、認識論や意味論や構造主義とかがあるかも?とか思うと、左上にメタ・モダニズムが置けそうな気がするんですよ。
 メタ・モダニズムって現時点では全く市民権を得てないのですけど、モダニズム→ポスト・モダニズムの次にありそうな思想です。ポスト・モダニズムの次の段階として予想はされているが、どんな様子なものなのかさっぱりわかってない(スピ系でまとめられてしまっている)けど、少しは見通しがあるのかな?って気にさせてくれるのだった。
 自分で創っておいてなんですけど、記号(自然記号=言語、人工記号=数学)な方角にベクトルがあるところが意味深。メタモダニズムは超記号という意味にも読めるし・・・。小生だけですかね?面白がってるのはw

中編を終了。
後編は、アブダクションについての生活思創的な試考の予定です。生活思創の様式=試考のスタイルに向かいます

Go with the flow.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?