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母の遺骨~感謝、そして死からの学び~

 「死んだら骨を海にまいてほしい」と母は言っていた。自由に生きていた母らしい想いだなぁと思う。

 母は、やりたいことはやるし、人に対しても母自身に対しても誠実に生きていた。そんな姿に、僕も大きな影響を受けたように思う。親として、一人の人間として、素敵な背中を見せてくれた。間違っていることには、相手が誰だろうと間違っていると言う。人のことはどこまでも信じる。裏切られても、たぶん信じ続けるタイプ。そんなに人から信じてもらえたら、自然と期待に応えたいって思ってしまう。でも、その期待にプレッシャーなんてものは全く生まれず、一つの選択肢として「これもいいよ」と提示されているような感覚。だから、自分自身が良いと思うものを選択し続けられたし、どんな選択をしても応援してくれる母親がそこにはいた。

 母の遺影は、両手を広げている。母らしさが出ているから選ばれた写真。人生をやりきった感じが出ている。お葬式でも、母を拍手で送り出すシーンがあった。しんみりとするのではなく、常にポジディブ。もちろん母の死は悲しかったけど、不幸だとは思っていない。母の死から学べたこと、気づけたことは、死という大きなできごとだったから生まれた。全ての人間に平等に訪れる死に関して、45歳という少し早い死が悪いとか、100歳まで生きるのが良いとか、そんなものはなく、いつ死んでもその人生には大きな価値があると思う。死は、親からの最後かつ最高の教育だと思う。

 そんな母の遺骨を、父は火葬時に缶に入れて持ち帰った。もちろん目的は、海にまくこと。結婚式と新婚旅行をしたハワイの海なのか、生まれ育った福岡の海なのか、それとも他の海なのか。父は母のことが好きすぎて、亡くなって11年経ったのだが、未だに散骨できていない。もしかすると、どこに行くか考えるのを楽しみ続けているのかもしれない。もしかすると、一緒にまいてほしいと思っているのかもしれない。

【あとがき】
 僕は、「死」という存在に向き合えたことが、人生にとって大きな財産だと思っています。日本は死がタブー視され、宗教観もあまりないため、死生観が養われにくい環境です。しかし、人生の最後に待っているのは死です。これは悪いことではなく、ただの事実です。でも、その事実を認識し、いつまで続くかわからない自分の命を何に使うかを考えることで、人生はより良い方向に向かっていきます。是非みなさんにも、終わりがあることを認識し、自分の命の使い方(使命)を考えてみてほしいなと思います。

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どのくらい学びを提供できたかの指標にしたいと思っていますので、もしよければサポートください。路上ライブに近い感じですね。