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若者にチカラをもらって~岡山県の鷲羽山ハイランドでジャンプした話

若者はシニアの背中を押してくれる。というかシニアが若者を見て自分も若いと錯覚するのか。

「飛んでみない?」という若者のひとことで飛ぶことになったバンジージャンプ。 6年後の今となっては、自分の一番若い時の経験で勲章ものだとさえ思う。今のところこれが人生最大の冒険といえるかもしれない。

シニアと若者の出会い

ジャンプに挑戦したのは、20代後半のDくん、Nちゃん、Kちゃんとの4人で、岡山県にある鷲羽山ハイランドに遊びに行ったときのことだ。
Dくんに車を出してもらい、他からみると若者とシニアの珍しい組み合わせの旅だった。
とはいえ、この4人は地元のバレーボールクラブの仲間で、週1回の練習前や後に時々ご飯に行ったり、森林アドベンチャーや今は閉館した小倉のスペースワールドでも遊んだ。四国のモネの公園は自分の希望だったが行きかえりにずいぶん時間がかかったのを覚えている。Vリーグの試合の応援にも何度も遠くまで足を運んだ。

Vリーグ バレーボールの試合応援(岡山市)


Dくんは、色白で口数が少なくはにかみ屋。ちょっぴりダルビッシュ有に似ていて、バレーがうまくてクラブの人気者だった。Nちゃんはおしゃれで、バレーのセンスもバツグンだった。学びの意欲が強い人で、ドライブ中でも問題を出していくつかの資格試験合格に向けてみんなで応援した。合格を勝ち取った時には皆わがことのように喜びあった。Kちゃんもスタイリッシュで物事を論理的に考え4人の中ではしっかりとした自分の意見をもちながらも、よくみんなを笑わせてくれる楽しい人だった。自分がちょっと体重が落ちたなとひそかに喜んでいるころに「お母さん、ダイエットしないんですか?」とフツーに尋ねてくるあたり、自分の甘さをきっちりと抑えてくれるタイプだった。
バレーボール仲間は、かなり年上の自分のことをお母さんと呼び、50代の男性のことはお父さんと呼んでいた。・・・今考えると、このような呼び方で活発な若者の中にいるシニアに居場所を作ってくれていたのかも知れない。

この4人が一緒に遊ぶようになったのがいつかは忘れたが、高齢者の自分はバレーは上手ではないし、クラブではそんなに話す方ではなかったので気が合ったとしか言いようがない。とにかくこの若者たちと一緒に行動した数年間はかけがえのない時間だった。

高い岩山に上る三人の仲間

遊園地で

鷲羽山ハイランドはやや年数がたった遊園地のようにも見えたが、大人でもワクワクする様々なアトラクションで楽しめる場所だった。平日のその日は入園者も少なく、並ばずに乗り物に乗れた。

遊園地の入場券

空中で自転車をこぐバランスのとりにくい今にも落ちそうなスカイサイクルや、立ったまま乗るジェットコースターなどから輝く瀬戸内海や連なる山々を見ながら、惜しみなく声を出して楽しめた。

遊び尽くしたころでDくんが、冒頭の言葉「バンジージャンプを飛んでみない?」と口にしたのだ。女子二人も最初は乗り気だったが、高くそびえたつ塔の先を見つめて、やっぱり・・・とどうも気が乗らなくなったように見えた。「お母さん、挑戦したら?」とKちゃんが言う。

Dくんは今までにも飛んだ経験があるらしい。一人で行くのを見送るのも何だかなーと思い、「じゃあ私、飛ぶね」と言ってしまった。搭乗口の事務所でお金を払い、係の人から説明を受ける間はただフワフワしていた。説明が終わってから狭くて長い階段を手すりを握りながらゆっくり上っていくうちに心臓はドクドクしてきた。階段は鉄板で、すきまから見える雑草がだんだん遠ざかる。少しでも手が離れるとそのまま落ちてしまうと思い、握る手にさらに力が入った。

二人より先に上って並んでいた若い女の子が、やっぱり飛べないと言って泣きながら細い階段を下りて行った。階段を下りる方が怖いとさえ思った自分は、この時に覚悟を決めたのかもしれない。

Dくんは優雅に両手を広げて飛んだ。

先に並んでいたDくんは、不安を口にすることもなくさっさと器具を腰に巻いてもらい、じゃあねと言ってあっけなく飛んでしまった。
四の五の言わずに両手を広げてカッコいい姿を見せてくれた。

自分も、飛び降りるために台の端の方に近寄り、担当の方に体に器具と綱をつけてもらいながら「絶対に外れないようにしてくださいね」と念を押した。だがそのあとがいけない。足元を思わず見てしまった。
網の目になった足元のはるか下に、遠いぞと主張する地面が見える。「キャーッ。この高さから飛ぶのか」と思うと身震いがした。背中の中心部にゾーッとした感覚が走るのを感じた。長く生きてきてこのような経験は初めてだ。子どものころ一人で寝ると言い張ってお化けの夢を見たときもこんな感覚はなかった。
今まで何人もの人が飛んでいるのにまさか自分だけロープが切れるということは考えにくい、万が一の時は保険金がおりるのだろうか?などとあれこれ頭をよぎった。
もう一度「器具は大丈夫ですか?」と係の男性に点検してもらった。男性は「大丈夫ですよ」と優しくしっかりと安心する返事を返してくれた。自分の顔はそうとうこわばっていたに違いない。

足元の先にはにこやかに手を振る小さな三人の姿があった。

自分も「エイッ」と息を止めて飛び降りた。

あまり時間をかけても申し訳ないと思い直し、言われたとおりに両手を胸の前に組んで目をつむり、息を止めて足をそろえ、「エイッ」と倒れ込むようにさかさまになった。

“ブーン”と音がして大きくはずむ衝撃が体をつつんだ。目を開けてみた。地面に敷いてある厚いゴムのシートに、すれすれに近寄ってはまた跳ね上がる。鳥のように思わず両手を広げた。きれいな景色も見れた。笑顔で手を振る三人に手を振り返す余裕もでた。

自分もやっぱりあっけなかった。終わってみるとなんてことはなかったような気がする。
あとで、昔から空を飛びたいと思っていて、高いところから飛び降りることになったら、両手を広げて鳥のように飛ぼうとひそかに思っていたことを思い出した。じわじわと嬉しさがこみあげてきた。

事務所に戻るとジャンプのごほうびか冷や汗をぬぐうためか、カラフルな柔らかい色合いのタオルをくれた。そのタオルはしばらく自分の宝物になっていた。

ジャンプ後にもらった記念のタオル

Nちゃんたちのもとに駆け寄った時には、ニヤリとして「楽しかった」と思わず口走っていた。歳甲斐もなく飛んだことをちょっと恥ずかしく思ったが、「やりましたね」と三人が拍手して迎えてくれてちょっとホッとした。

遊んでくれる若い仲間に感謝

入園料金は、シニアは未就学児と同じで、若い人より相当安く設定されている。おそらく子どもの付き添いを想定された料金なのだろう。だが、この日はシニアの自分が一番楽しませてもらった感もあり、笑えた。

若者と一緒に行動すると元気になるのか、シニア自身が若者と同じような錯覚におちいってしまうのか。若い人たちといると新しい経験もできるし音楽もおしゃべりも新鮮だ。
いずれにしても、年齢の枠をはずして付き合ってくれる仲間に改めて感謝した日になった。

それから当分の後、自分が退職後に旅に出たりしてクラブに行かなくなってしまい、女子二人も結婚して県外に行き、Dくんも関東方面に転勤になった。その後の交流は今のところないがお互い成長した姿で会いたいものだ。

世代間交流でお互い成長を

シニアの自分がこの若い人たちにどれだけのことを返せたかは、自信はない。ただ、地域のクラブでも小さな集まりでも、年代の違う者同士が交流できる場があることは、お互いの価値観を知り、理解し合えるいい機会になると改めて思う。
総務省の調査(平成9年度)でも世代間交流は減少傾向にあるが、それでも約半数は何らかの交流をもっているという結果があるし、話が合わないと考える高齢者も約4割いるそうだ。
隠居生活の今、若い世代どころか、同年代の人とも接する機会は少ない。無理はしたくないが、若者とも柔軟な思考で交流して元気をもらい、いざというときには頼れる存在に、できれば若い人がああなりたいと目指せるような歳の重ね方をしたいと思う今日この頃だ。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

#創作大賞2023

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