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2021|作文|365日のバガテル

オリンピック開幕。

まな板の上のエビ。
この男、仮にABとしておく。何をやってる人物か。ライフスタイルでいうと、ボーラーだ。別に華々しい経歴を持つ選手ではない。ただ、バスケットが大好きで、ピックアップゲームがさらに大好きで、ずっとバスケットをしてきた。ABのプロフィに関していうと、検索してフムフムとシンクタンクできるネタとしては、ストリートボール・リーグSOMECITYでプレイしてるということ。あとは、元3x3(スリー・エックス・スリー)の日本代表候補だったということ。2018年あたりまでは、ネクタイ締めて外資系の仕事でなかなかのサラリーと融通がきく欠勤届けのパスをもらっていた。それで、残りの時間とエネルギーのすべては、バスケットに注ぎ込んでいた。仕事をしているときのそれなりのスタイルがかりそめで、バスケット・ショーツにタンクトップ、足元はバッシュに汚れたままの手にはボールという出で立ちが、彼のオーセンティック、もしくはフォーマルなスタイルだった。プレイハードやダンスフロアで汗まみれになったタンクトップのまま、ストリートをウロウロしていた。シャワー浴びる前に、別のフープ、プレイグラウンドかパーティに遭遇してしまえば、そのままなだれ込む。そんな男だった。どちらかというと、不潔だった。そんなABに相談された。2018年の夏だったか。

まな板の上のエビとの会話。
「今の安定した仕事を続けるべきか。それとも、もっとバスケットに関わるべきか。悩んでいます」
「あ、そう。君はしっかりしているところがあるから、女のヒモにでもなって好きなことを夢見る!みたいな風にはならないだろ。どっちを選んでも、どうにでもなるんじゃないのか」
「プレイヤーとしてバスケを続けていければいいのか。それとも、バスケットについてもっと考え、カルチャーをつくっていきたいのか。暮らしと人生の違いについて意見が欲しいです」
「あ、そう。今の良い収入の上に、休みもバスケ優先で取ることができる。それなら、プールしたお金でボール・オン・ジャーニーして、今まで以上にいろいろなプレイグラウンドでセッションした方がABみたいな男にとったらハッピーじゃないの? フィジカルで勝負できるうちに、もっと旅してやり合った方がいい。俺だったら、それにカメラとかビデオとか持ち込んで、映像でもテキストでもいいからアーカイブしていって、あとでまとめて二度美味しいって感じにするけどな」
「東京オリンピックの競技委員の仕事があるんです」
「オリンピック? 東京の?! なにそれ。今の給料の半分以下になって、それも2020年夏までの契約で、五輪後には放逐? というか、それまで休みもままならず、バスケする時間も微妙になるのか」
「そうなんです。だから、条件面だけでなくプレイヤーとしても事実上厳しくなりますね」
「で、なんで悩むの?」
「自分が好きなバスケットで、バスケットをやってきたからこそのエネルギーの使い方ができるんじゃないかと。とくに3x3という新競技は、これからのものですし」
「まあ、たしかにね。古い人ばっかりで、プレイヤー目線もへったくりもないパイセン文化じゃあ、新しい競技にとっては良いことじゃないよな。損得や派閥じゃないところで、ちゃんと正しく楽しくフレッシュにやれる人がいたら、希望が湧くなぁ」
「それが今度のオリンピックじゃないかと思うんです」
「でも、それで結局取り込まれて、飲み込まれて、ぼっこし折れたイエスマンになる人か、小金に奔走するやつを今まで散々見てきたよ」
「そこも、そうですよね」
「俺は新しい希望にベットするのを応援したい気持ちもあるが、はっきりと俺の意見を聞きたいのなら、今の仕事しながらプレイした方がいいな。自分のバスケ人生にケリをつけるかのごとく、自分のボーラーライフに金を使ってさ。大好きなピックアップをむしゃむしゃやって、プレイグラウンドを旅して回ってさ。世界のどっかに行き着いて、そこで暮らしなよ。あとは自分で悩みきって決めなよ。どっちに転んでも、決めたら、もう一方のことは考えない。それだけだ」
「はい」

まな板の上で包丁白刃どり。
それからしばらくして連絡があった。ABは、今の仕事を辞めオリンピック委員会で働くことにした。それならそれでいいじゃないか。あとは、やるだけだ。誰かに決めてもらったことより、自分で決めたことをやる方が絶対にいい。あとは、ストリートでピックアップしてきたのと同じ。本当の部分でモノをいうのは、名前とか経歴とか処世術じゃない。そういうことを、自らのフィジカルやストーリーで実際的に体感してきたABには少し期待していた。実は大いに背中を押したい気持ちだった。スタン・ハンセンのエルボーくらいの強烈な圧でプッシュしてあげたい気持ちだった。とにかくABは、それまでの彼の中では一番悩めるほど悩んで、人生のもしもピアノが弾けたならby西田敏行のようなまな板の上で、(当時から築地の豊洲移転問題やら石原慎太郎以降の杜撰査定やらであんまり歓迎されていなかった)東京オリンピックという白刃をつかみにいったのだった。それで、俺とABの関係性は、相変わらずピックアップ・ゲームにジョインし、たいがいはマッチアップしてガシガシ削り合うという感じだった。俺は、オリンピックとか代理店システムから遠いところに立ったまま(これは長年、出版の仕事をしてるくせにアンチ・タイアップとかでやってきた自分の本質的なスタイルの部分で、子どもの昔からそうだったので、完全に仲間はずれの方にいるんだろう。そうじゃないと思いたいし、そういうわけじゃないんだ!っていつも自問自答してるが、普通が普通にできない普通以下のタイプ)、その一方でABは、薄給にもグチを言うでもなく正しく楽しく五輪というピークへと少しずつ近づいていった。そう、どちらにしても、2020年の夏へと近づいていった。

まな板の上が長すぎた。
さあ、ついに五輪イヤーというとき。誰もがまだその渦中にある新型コロナのパンデミックが起きた。今考えれば、五輪を延期決定したときよりも、現時点の方が変異株などによってさらなる感染者数増になっている。だから、どうなのだという感じだが。とにかく、コロナ禍によってそれまでの生活スタイルは激変した。俺とABの関係性は変わってはいないが、ピックアップ・ゲームにジョインすることはなくなった。それでも、世界中でスポーツの火は消えることはなく、国内でもプロリーグや部活動は途中から再開したし、周囲のボーラーもそれぞれの衛生理念と対策でピックアップをはじめた。俺とABにはそれぞれの考えがあった。俺はフリーランスで、ひとりでディレクションの仕事をしているので、隔離措置や何かあったら、仕事がすべて止まってしまう。ABは五輪関係の仕事のために、万が一があったら何かと問題になりかねない。そのため、2人だけで感染対策を練って、他とのバスケのセッションを泣く泣く断ち切ることにした。それでもバスケットをやめたくはなかったから、屋外コートを借り切って、NBAを見習ったバブルシステムで、シューティングだけ定期的に続けてきた。デカフ・モーニング・クラブと名付けた。それは前にこのNOTEに書いた。

まな板ごと叩き割られそうなバッハ・トルテ(ザッハトルテ)の目論見。
そうやって、コロナ禍はより深刻に、五輪への逆風は最大瞬間風速を更新続けていった2020年から2021年。毎週、朝にABとシューティングしてきたデカフ・モーニング・クラブ。そのたびに、噴出している五輪関係の不祥事ニュースや、電通マターのあれやこれやなど。その体制側の最前線の現場で時間と戦っているABにとっては、コロナ禍でマスク必須というフィジカル面だけでなく、胸の内も苦しかったはずだ。さらには、俺の見解や五輪や政治、お仲間に対する疑問などを毎度聞かされてきたから、本当に大変だったに違いない。俺は仲が良い、しかもピックアップ仲間で、フィジカルで削りあって削りあって本性の部分をさらけ出してもダーティじゃなくて清々しているABが好きだ。そして、彼から相談を受けたことだって忘れていない。しかし、俺のスタンスをふんわりとさせるつもりはない。それはABも同じで、仲が良いからって甘えたり簡単な賛同を得て楽になろうとはしていない。おたがいの見解、立場、そして事実をぶつけあって、デカフ・モーニング・クラブを続けてきた。五輪前の2020年と2021年はそういう時間だった。安心安全とか万全とかっていう抽象的なスローガンしか出てこない、穴があいたバブル対策の五輪対応。五輪中止を求める声は決して小さくなかった。そこにきて、関係者の不祥事の羅列。ワクチン問題。俺とABの中でもそこについても常に話してきた。権力も影響力もない俺とABの対話なんて、世の中には屁の役にも立たない。しかし、2人の中で、どうやってもやってくる2021年の夏に対しての、それなりの覚悟や関わり方、感じ方を交通整理できたのではないだろうか。覚悟して、ことにあたるか。なんとなくやり過ごしてしまうか。その違いは個人的には大切なことだったと思う。とにかく五輪直前まで、俺たちはデカフ・モーニング・クラブを続け、そして、おたがいの見解やスタイルに対する覚悟を可視化するまでになった。

まな板の上で活きたままエビ反り。
ということで、7月23日、東京五輪は幕を開けた。そして、翌日からABが尽力してきた3x3の新競技の熱戦ははじまった。コロナ対策にやっきになって、当初から懸念されていた暑さ対策はあんまりなまま(帽子みたいにかぶるアホみたいな傘どこいった?)の、文字通り、暑い暑い熱戦。ABも焼き上がりすぎて真っ赤かに反り返ってしまうのではないだろうか。でも、それでいいじゃないか。現場と上層部とは乖離したものがあるというのはわかっている。純然たるスポーツの勝負を求めているのはプレイヤーだけでなく、ABたちスタッフも同じだ。なんなら、スポーツ大好き、スケートとサーフィンは下手だけど好き、バスケは下手だけど強くありたい、そんな俺も同じ。だからって、俺はそれを理解して、スポーツもろくにできないアイツとかソイツらとかのことまで許容する気はないだけ。闇雲に反対、反対と騒いでいるわけじゃない。それに反対ではない。聞きたいことが多すぎるだけ。だけど、ABとはもうアホみたいに話してきたし、ビジョンをつくってきたし、背中を押したりエルボー食らわせてきた。そして、食らってきた。だから、ABがコロナ感染もせず、最後の最後までこの暑い暑い東京の夏をやりきることを願っている。そのやりきったあとに、何が見えるのか。何が去来するのか。それは、走り続けてやりきった現場のABにしか見えないものだ。思う存分に見てくれ。見つけてくれ。俺はひとつ確信していることがある。それは、こんな俺みたいなオヤジにいろいろと突っ込まれて、いろいろと叩きつけられて、そしてそっち側でも理不尽なこととか突きつけられても、ABは心折れることはなかった。それにどちらかに取り込まれてしまうこともなかった。どんどん、インディペンデントしていった。ひたすら3x3の可能性と、それを目指してプレイグラウンドに通うようになるキッズの未来を信じた。プレイグラウンドから世界へと羽ばたくことができる。そういうカルチャーが今はじまろうとしていることを信じた。だから俺は確信している。ABはこの先をつくっていくだろうと。
不潔でタンクトップとショーツしかなかったABが、コロナ禍を経て、除菌を徹底し清潔を心がけるようになった。それだけでなくバブル方式のボールのアルコール洗浄のハウツーもばっちりできるようになった。これはうまそうな伊勢海老のような仕上がりだ。さあ、夏は短い。思い切りやってみてくれ。誰かのために生きているのでも、生かされているのでもない。相談した後に自分で決めたことを、今はただ、思い切りやりきればいい。そして、またピックアップ・ゲーム、マッチアップしようや。

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