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心を整える書の時間


あれは去年の4月。
平成から令和へ、元号が替わる少し前。

過ぎてしまえばいつもの日常だったと感じるのだろうなと頭で考えながらも、浮き立つ心を抑えることはできなかった。

自分の生活が変わるわけではない。
わたし自身に何かが起きるわけではない。
けれど日本の新しい始まりに、どうしたって"運命の流れ"や"何かの区切り"を感じずにはいられなかった。


初めての習字


小学生になるより前、はっきりと記憶もないくらいの幼い頃から習字を習っていた。
走り回りたい衝動に駆られながらも、習字教室のただならぬ緊張感や凛とした空気感により、じっと座り字を書くことを繰り返せていたのだと思う。

決して親に強制されて習っていたわけではない。
なぜ習字をしてみたいと思ったのかは分からないけれど自発的に習い始めた。近所に習字教室があって、なんとなく始めただけだったのかもしれない。

そんな軽い気持ちだったものが、その後10年ほど続くことになる。


書の空間


学校の勉強は好きではなく成績も良くない。お喋りが大好きで、大人しく座っているのが苦手。いわゆる「活発な子」だったわたしが、なぜか習字だけはずっと続けた。

無理に継続していたわけでもなくて、習字の時間は妙に癒される特別な時間でとても好きだった。静かで、無になれる時間。人が集まっていようとも、そこには淀んだものなど何もなく、いつでも澄んだ空気が漂っていた。

墨の匂い。
正座して背筋を伸ばし、目の前の"字"と向き合う。周りなんて関係なくて、自分と、自分の手から生み出される文字だけの世界。

集中力はある方で、食事も忘れるほどに過集中に陥ることがよくある。
習字の時間もそんな集中力を発揮して、長時間正座したままなのに字を書いているときは足の痛みに気が付くことはなかった。正座を崩した途端にジンジンと痛みを感じていたから、まさに"字"だけに一点集中できていたのだと思う。
そんな時間は貴重だ。

それを辞めたくて辞めたわけでもなく、ただ単に高校生になって習いに通う時間が取れなくなったから辞めた。
わたしの生活に根付いていたもの。それが失われたわけだけど、悲しいという感情もなく、ただ自然に、始めたときと同じようにスッと受け入れていた。


集中の儀式


大人になってから筆を手に取ることはなかった。
他のことで忙しかったし、自分の時間にはやりたいことが多過ぎて隙間がなかった。
それに単純に、幼い頃から"家でするものじゃない習慣"として身に付いていたから、しようと思わなかっただけかもしれない。

けれど元号が変わるというときに、わたしはまた書道をしたくなった。

はっきりとした理由は自分でも分からない。
けれど猛烈に、あのときの書の時間を求めた。目の前の"字"だけを見る、あの時間を。

趣味として行うだけ。続けるか分からないから近場で安い道具を買い揃えて、安物の筆を手に取り字を書く。
「なんて文字を書こうか」なんて考えていない。
今そのとき、思う字を書いて表現するだけ。

気付けば心から溢れ出る思いを止められずに、ものすごく時間が経過していた。

いくらブランクがあろうとも、10年という月日で感覚はすっかりわたしに染みついてくれていた。無になり、心と字を繋げる。自身の内側から言葉が出てくる久しぶりの感覚を味わう。

元号の変わり目の、節目のとき。浮き立つ心を沈める動作がしたかったのかもしれない。自分自身でも区切りを感じたかったのかもしれない。

書道の一点集中の儀式には、なによりも自分を清めてくれる力がある。そしていつでも自然にわたしに寄り添う。

自分を見つめる


わたしは今、また書道をしたい。

運命の流れや区切りのときを何かから感じ取っているのかな。
自分の心を見つめ向き合いたいときに書きたくなるものなのかもしれない。

あの安物の筆を引っ張り出して、自分の心を整える儀式をしよう。



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