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「本物」は真似される側


無意識に誰かの真似をする人がいる。

誰かの好きなものを自分も全く同じにしたいのか、人と一緒が安心するのか、その心理は不明だけれどわたしにとってその"真似される行為"はとても苦手で苦痛なものだった。


偽りの好き


誰かの真似をする人がどんな感じか、女性は容易に想像できるかもしれない。

その真似 は「それ可愛い!」を本人に直接伝えた上での真似しちゃった!ではない。良いものやおすすめしたいものの情報はどんどんシェアしたいし被りまくったって良いと思う。皆で素敵に輝こうよ!と思う。けれどそれとは全く違う。

例えば誰かが着ている洋服と同じものをいつの間にか購入し、あたかも"偶然"を装うこと。化粧品なんかもそう。
始めから持っていたような雰囲気で、相手が持っていたことを知っていたはずなのに知らん顔する行為。

わたしの場合は洋服や化粧品の他に、美容法や使っている下着、筆記用具などの日用品までも真似されたことがある。(ちょっと怖い…。笑)しかも全てわたしとの会話で使っているものを聞いてから購入しているにも関わらず、始まりのわたしとの会話はなかったことになっているからすごい。第一人者のようなノリで周りに自慢していることもあるから思考がついていかない。ちなみに一人ではない…。

わたしが人の感情に敏感で、気付きやすいからこれほど判明しているだけだと思うけれど、「真似するタイプの人」というのは常に一定数いる。

きっと「あくまで偶然かぶっていた」を装いたいのだと思う。それとも会話を忘れちゃってる?
想像だけれど、真っ正面から"真似する"ことが恥ずかしかったり、自分が下だと思われるのがいやだったり、そんなところじゃないかな。

それって一体だれを守っているのだろう?
自分の価値観までもねじ曲げている気もするし、真似される側へも失礼な感じがするし。下とか上とかないのに。

偶然を装った自分が本当に心から輝けるのだろうか。
真っ直ぐに、「これがわたしの好きなもの!」と、言えるのだろうか。

そこには偽りしかない。


真似する人は偽物


「いやいや真似なんてあり得ないでしょ。」と思われるだろうか?わたしも当然、「自意識過剰な部分があるのかもしれないな」と自身を常に客観視している。けれどあまりにも頻度が多すぎて、"自意識過剰"の域は優に超えていると思う。

わたしじゃない人のことを真似する人もよく見かけるし、やっぱり単純に"敏感に気付いてしまっているだけ"なのかもしれない。

不快な気持ちを感じてからその感情をずーっと引きずっているわけではないし、忘れっぽいのでそのときだけ「また真似してきたか〜怖いな〜」と思って終わるけれど。

やっぱりどうしてもそこには心にしこりが残るというか、気持ち悪さがあって、「真似する人の心情」を理解することは到底できなかった。なんか怖いし。単純に、なぜ?どうして?という気持ちもある。誰かのお気に入りじゃなくて、ただ自分の好きなものを選びとれば良いのに。とも思う。


わたしと同じようによく真似されている人に、この気持ちを話してみたことがあった。
そもそも苦痛に感じるものなの?いやな気分になるもの?感情の処理はどうしてる?と。

するとその人はあっけらかんと「全然気にしてないよ!真似する人は偽物なんだからどうでもいいかなぁ!好きにさせとこ」と言って笑った。強がりなんかじゃなく、本心だったと感じられた。わたしに対しても「タイプが違うってことで仕方ないよね〜こっちからはどうすることもできない」と言った。

いくら真似しようとも、自身を見つめず人の真似をしているだけでは本物にはなれないのだから、と。

これを聞いたとき、わたしの悩みはなんて浅はかなのだと恥かしくなった。
確かに。わたし以外の人の思考は、わたしがいくら考えたところでどうすることもできない。やっぱりちょっと怖いけど、偽物に気を取られている場合じゃない。うん、聞けてよかった。そうやって受け流すこともできるのか。そんな新しい発見ができた。

何か元気が出て、むしろ真似されるほどの自分なのか!と胸を張っていてもいいのかもなとさえ思えた。


新たな思考


noteで気持ちを綴るようになって、感情を文字にすることで脳内のごちゃごちゃがすっきりしていくのか。以前より心が軽く穏やかになったような気がする。(※あくまで気がするだけかもしれない)

それに伴ってかは分からないけれど、最近になって"真似される行為"がどうでもいいと思えるようになってきたことに気が付いた。

その感覚はまさに、"偽物"を相手にしているという気持ち。

"本物"は真似された側なのだから。誰がどれほど真似しようとも、真似する側は決して本物にはなれない。
本物は価値を生み出せる。なぜなら自分の信念を持っているから。
それは本物であればブレるはずもなく、生み出す力は本物にしか成し得ないことだから。偽物が生み出すことなんてできるはずもない。

そんな気持ちが心を占めた。初めての感覚だった。
決してわたしが「本物なのだから」と言いたいわけではないことは伝えておきたい。負の感情をうまく受け流せるようになれたことに驚きを感じているということ。「偽物」というキーワードがすっと馴染み、あれほど不快に感じたことが心底どうでもいいと思えるようになるなんて。

わたしも少しずつ進化できているのかな?そんな風に前向きに捉えてみる。


本物に生きよう。
人の真似なんてツマラナイし、"自分"を本気で生きることは楽しい。
人のことなんて目に入らないくらい、今に一生懸命でいたい。
自分の好きをたくさん溢れさせて、誰かの感情が入り込む隙もないくらいにしたい。

自身の価値を自身で踏みにじってどうする。
本物を目指して、たったひとりのわたしを全力で生きるのみ。



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