公務員の世界で 私がいた市役所
主夫の薄衣です。
私は2020年3月まで、
地方公務員でした。
小さな市役所の職員として
20年勤めました。
公務員って、私の就職当時は
超人気だったんです。
試験も倍率が凄くて、
私の時は80人くらい受験者がいて、
最終合格者が3人。
氷河期世代の就職って、大変でした。
でも結局、定年まで勤めることができず。
そんな20年後は想像していませんでした。
小役人録をつける理由
薄衣がいたのは小さな役所。
事務職員が200人チョット。
もちろん職員みんな顔見知り。
そんな世界です。
公務員にもいろんな規模や職種があり、
一概にはまったく言えません。
なのでここで言えることは、
あくまで私の経験談です。
それでもこうして綴るのは、
そんな私の経験談が、
どこかの誰かの役に立てば、
そう願うからです。
それともうひとつ。
私の頭の中のモヤモヤを
アウトプットすることで整理出来れば。
そんな気持ちもあります。
役人としての心構え、
といっても既に昔のこと。
働き方1つとっても、
過去のものかもしれません。
人間関係にしても、
ケースバイケースでしょう。
お役に立つかどうか。
正直分かりませんし、
自信もありません。
でも、それでも
鼻で笑ってストレスを解消して
もらえるかもしれない。
薄衣が、
読んでくださった方の
反面教師になれるかもしれない。
公務員として働く皆さん、
これから目指す皆さんの
引き出しを少しでも増やしたい。
そんな思いです。
さて、今回は薄衣のいた市役所の世界。
市役所ってどんなとこ?
うちの役所はこんなとこでした。
住民のため? 市長のため?
薄衣が入った頃、
当時の市長は既に4期目。
昭和の怖~いお父さん的な人で、
大きな方針はすべてトップダウンでした。
市の方向性は、
すべてお父さん(市長)が決めてくるので、
部下達は、その指示を
忠実にやり遂げる人々が育ちます。
有能な兵隊達です。
市長が右と言えば右に走り、
左と言えば左に走る。
その動きの速い人、速そうに見える人が
出世の階段を駆け上がっていきました。
小役人の育成
結果、市長に言われたことを
上手くやっているように見せる、
俗に言う小役人がどんどん
増殖していきます。
器の小さなパフォーマーですね。
それでも、赤鬼と呼ばれた
屈強なお父さんがいるうちは良かった。
みんな怒られるのが怖いので、
一応やっている雰囲気は出しますし、
ちゃんとやる真面目な兵隊も
まだそれなりにいました。
でも、そのお父さんの引退後、
転落が早かった。
10年後 どうなってるの?
国家百年の計。とまで言わなくても、
弱小自治体でも、せめて
10年先くらいは見ておかないと。
と心配していた薄衣です。
でも、うちの役所は
それすら見通せる人材が
いません。
兵隊は言われたことをやるだけ。
仕官・将校として、
高いところから見渡して、
大所高所から指示を出すような人物は、
まったくいなかったのです。
兵隊ばかりです。
ですから組織で仕事をしていません。
職階にかかわらず、
みんな個人事業主のような感じです。
係長、課長補佐、課長、部長・・・
職階に応じた仕事が出来ていません。
そんな状況で、長年の重しになっていた
怖~いお父さん的市長が引退。
その緊張から解き放たれた部下達は、
一気に肩の力を抜きました。
そこからはルーティーンワークのみ。
学校で言えば、
1日中自習のテンションです。
幸か不幸か新たに就任した市長は、
本当に何もしません。
市民に愛想を振りまく、
上手に挨拶をする。
それくらいでしょうか。
おかげで役所生え抜きの副市長以下、
サボりたい放題です。
周辺の自治体は世間の変化の波に
乗り遅れないよう、
あの手この手で
独自の動きを見せるところも
たくさんありました。
うちは見かけ倒し。看板のみです。
ベニヤ板のような
薄っぺらい看板をぶち上げて、
中身のない、無為無策を続けました。
パッチワーク。
臭いものには蓋をして終わり。
私はこう呼んで、
せめて自分の周囲だけでも
変えようと試みますが、
小役人の遠吠えに終わりました。
いつも徒労感だけが残ります。
話がどうにも通じない。
そんなことが長く続きました。
文化の違う国で
1人狂ったように踊っている感じでした。
気づけば、同志達がどんどん
いなくなっていきました。
能ある鷹は爪を隠す。
爪を出しても、その都度剥がされ続けると、
最後にはみな隠してしまうのです。
公務員ですから
成果を出さなくても、
給料がもらえます。
極端な話し、
サボったもの勝ち。
一度サボリストになってしまえば、
「あの人には任せられない」
となって、出来る人々に業務が集中。
責任関係もゴチャゴチャでした。
これ誰が主担当?誰がその上司?
みたいになっていることもザラです。
逆に薄衣は、動かない上司への
諫言が多いときなど、
勤勉手当をゴッソリと減らされる始末。
ボーナスは乱高下を繰り返しました。
薄衣がいた役所って、こんなトコでした。
自分が無い
私はこの頃なんとなく、
自分の組織の問題は
言語化出来るようになっていました。
一方で、自分自身のことが
全然分かっていませんでした。
自分がなんのために、
何をしたいのか。
その一番大事な核の部分を
理解していませんでした。
結局私も小役人でした。
そうすると、
当時の閉塞感やストレスなど、
いろんなことを
組織のせいにしたくなるもの。
組織の悪いところが
目に付くようになります。
それが止まらなくなってくるんです。
そんな時に
引き金になるような出来事も重なり、
ある晩、妻から
「もう辞めなよ」
という言葉が出てきました。
退職という大きな決断。
この大切な一歩を、
自分で踏み出すことが
出来ませんでした。
その時の記事はこちらです。
かえすがえすも、
この時の妻には感謝しかありません。
耳鳴り、手の震え、頭痛、腹痛、下痢など、
日頃からいろんな症状に悩まされていた私。
トシのせいだと自分に暗示をかけ、
実のところ
ストレスに潰されそうになっていました。
今ならそう言えます。
当時はそんな弱気を突っぱねて、
心身に負荷をかけ続けていました。
もう少し早く自分と向き合い、
手当てをしていれば良かったと
後悔しています。
結局、鬱で入院しちゃいましたしね。
後悔先に立たず
でも、辞めてから思いました。
お金って大事よね、と。
特に辞めた直後ですかね。
いきなり無収入。
「恒産無くして恒心無し」
昔読んだ本の言葉を思い出しました。
職業を持ち収入(財産)があればこそ、
心も安定する。
みたいな意味と記憶しています。
私は主夫。収入がありません。
特に慣れない初めの頃は、
意外とそこに気を遣いました。
勤めて収入を得ている
奥様にメチャメチャ気を遣い、
自分のための支出、本などですが、
全然買えなくなってしまったり・・・
もし今、
お勤めを辞めようとしている方がいたら、
チョットこのことを考えてみてください。
まず一番は健康です。
次は、決まった収入のない生活。
ここに耐える覚悟を持ちましょう。
でも私の場合、それすらも
時間が解決してくれました。
慣れるものなんです。
今では節約と、やりくりが私の仕事。
スーパーのチラシの細部まで
しっかりチェックするとともに、
妻がネットでポチッとしすぎないよう、
日々目を光らせております。
退職して丸4年。
私自身に恒産はありませんが、
ありがたいことに妻は勤めており、
家として恒産は確保出来ています。
だったらそれでいいじゃない。
主夫として、
都合良く解釈しています。
最後は公務員の世界から、
薄衣の世界へと
脱線してしまい恐縮です。
今日はこの辺で失礼いたします。
最後までお読みくださり、
ありがとうございました。
今日のタイトル画像は
またまたメイプル楓さんから
お借りしました。
ありがとうございました。
サポートに心から感謝です。主夫、これからも書き続けます。