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戦国大名の二つ名 その1

戦国雑貨 色艶では様々な戦国グッズを作っています。
なかでも戦国武将の二つ名(異名)を使ったものを作ることが多いです。
「甲斐の虎」や「独眼竜」なんかですね。

今回は戦国武将の二つ名をモチーフにした「武将スマホケース」を紹介しながら、戦国武将の二つ名についてお話しします。


【羽州の狐】最上義光

「最上義光」(もがみよしあき)は現在の山形県の戦国武将。
伊達政宗のライバルと言える存在で、1代で領地を大きく広げた戦上手の武将です。

そんな最上義光は【羽州の狐】と言われています。
昭和期の史学者佐々木銀弥(1925-1992)が著した書物で初めて登場したもので、戦国時代から呼ばれていたわけではありません。
佐々木銀弥は最上義光が嫌いだったのか、あまりいい意味でつけた異名ではありません。

最上義光は調略を駆使して勢力を拡大したことから、「人を化かす」イメージから「狐」と呼んだようです。

ただ調略で勢力を拡大したと言うことは、無駄な戦をしなかったと言うことです。
調略に応じた武将は手厚く迎えるなど、人徳者でもあったようで悪逆非道な人物ではなかったようです。

狐はオスも子育てに参加する動物です。
敵を化かし、家族に優しい最上義光には合っている表現だったと思います。

【雲州の狼】尼子経久

「尼子経久」(あまごつねひさ)は、戦国時代初期に中国地方を支配した戦国武将。
1度は浪人にまで身を落すが、再起して大大名になった人物です。

尼子経久がなぜ【雲州の狼】と呼ばれているのか、はっきりとした理由は分かりません。

ただ私は2つの理由があると思っています。

1つは中国地方を支配した強いイメージから。
もう1つは尼子経久は無欲の人で、自分の物を欲しがる家臣には何でも分け与えていたことです。

2つ目は仲間思いなところ。
狼は仲間意識が強く餌を仲間内で分け合います。
尼子経久も家臣には自分の物を分け与えるのが好きだったようなので、狼と言うのは彼にピッタリな異名だと思います。

【狸親父】徳川家康

「徳川家康」はもともと東海地方の武将です。
今川家の従属大名から織田の同盟相手、豊臣政権下では1番の勢力を誇るまでになり、最終的には江戸幕府を開きました。

そんな徳川家康が【狸親父】と言われるのは裏で腹黒いことをするイメージからでしょう。

例えば豊臣秀吉が生きている間は大人しくしておき、秀吉が死んだ後に力をつけていった狡猾さ。
ほかにも方広寺鐘銘事件があります。
豊臣家の建てたお寺の大鐘に「国家安康」「君臣豊楽」という書かれていました。
これに対し「これは家康の2文字を切って分断し、豊臣を君として楽しむという呪詛が隠されている」と言いがかりをつけ大坂の陣を始めたのです。

こうした狡猾さがあったからこそ天下を取れたのでしょうが、ズルく卑怯な印象から【狸親父】と呼ばれるのでしょう。

【北近江の鷹】浅井長政

「浅井長政」(あざいながまさ)は現在の滋賀県の武将です。
織田信長と同盟を結び信長の妹「お市」を妻に迎えますが、裏切って信長の敵に回ります。
その結果、織田信長に滅ぼされてしまった武将です

そんな浅井長政は【北近江の鷹】と呼ばれることがあります。
あまり有名な異名ではなく、最近言われ始めたもののようです。
なぜこう呼ばれているかも分かりません。

なにか理由がないかと調べてみるとやや強引にですが、夫婦仲のよいことが「鷹」と同じなようです。
浅井長政とお市の夫婦は仲が良かったそうです。
浅井長政が信長に追い詰められ死ぬ間際に、お市と3人の娘を逃していることからもわかります。
そして鷹の中には一夫一妻で生涯を過ごし、子育ても夫婦で協力する種がいるそうです。

夫婦仲の良いところが異名の由来なっているのかもしれません。

その他の異名を持つ戦国武将は、また次回紹介します。

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