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江戸城を築いたのは家康じゃない!? ~徳川より前の江戸城~

現在は皇居となっている江戸城。
江戸時代は徳川幕府の所在地で、武士政権の中枢として機能していました。
徳川家康が築城したと思われがちですが、そうではありません。
江戸城の歴史はさらに古いのです。
今回は徳川家が支配する前の江戸城についてお話しします。


古代から交通の要所であった江戸

そもそも江戸は古代から栄えた場所でした。
隅田川や江戸川などの大きな川が流れ、陸上交通と海上交通の接続点だったためです。
古墳時代ごろから、太平洋沿岸地域からの物流拠点になっていたようです。
また川を横断するように道が伸び、東北地方と関東地方を結ぶる陸上交通の要所でもありました。

平安~鎌倉時代には江戸氏がこの地帯を治めていたといわれ、【江戸氏館】という建物があったと言われております。

江戸城を築いた【太田道灌】

江戸城が最初に築かれたのは1457年。(一般的に戦国時代に突入したといわれるくらいの時期)
扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)家臣の「太田道灌」(おおたどうかん)の手によって築城されました。
道灌がこの地に城を築いた理由は、やはり交通の要所だったからでしょう。
さらに大きな川が流れているため、防衛の面でも適した土地だったようです。

道灌時代の江戸城は空堀と土塁程度しかなく、現代に残る徳川時代の城より簡素だったようです。
道灌が拠点としましたが彼の死後、台頭した北条氏の支城となり改築を受け使用されました。
この頃の江戸城については詳しく分かっていませんが、「道灌壕」という水堀が現代も皇居に残っています。

左遷か?期待か?徳川時代の江戸

時は流れ北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされると、江戸の地は徳川家康のものになります。
家康がこの地に来た理由としてよく言われるのが、「家康を恐れた豊臣秀吉に左遷された」という説です。
家康が支配しはじめた頃の江戸は荒れており、人が済むのには適さなかったといわれているからです。
さらに江戸城も築城から100年以上経過しており、ボロボロで時代遅れの城になっていました。
左遷と言われても仕方がない状況です。

しかし最近の資料では、秀吉による左遷ではないと思われるものもあります。
江戸の地を「小田原や鎌倉にはない舟入があるため今後繁栄するだろう」という秀吉の言葉が文書に残っていたのです。
江戸が発展する可能性があると期待していたのです。
実際、江戸はその後大きく発展し現代の東京に繋がっています。
江戸城も1603年から築城(改築)を開始し、 3代将軍家光の時代に完成。
古代から交通の要所でもあるので、家康が左遷され酷い土地をあてがわれたかは疑問が残ります。

まとめ

江戸は古代から交通の要所でした。
太田道灌が最初に江戸城を築き、北条・徳川が時代に合わせて改築していったのです。
太田氏や北条氏時代の江戸城については詳しくは分かっていません。
徳川氏が改築した江戸城の一部が、現代の皇居として残っています。


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