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地獄へは俺が行く

花びらは散る 花は散らない

の「滅びの美学」に続く

人の行いのうちで
自己犠牲という行動
を美しく思うのは、

日本人のみならず、
古今東西、共通の美意識だろう。

凡そ、人が行動する理由は
次の3しかない
と、聞いたことがある。
曰く
①得をする。
その行動の結果、利益を得ることが
予想できる
②損をする
その行動の結果、損害を被ることが
予想できる(罰をうけるなど) 
③愛のため
自分の愛する対象を守る為
対象は、人であったり、国であったり、
信念や正義などの場合がある。

①や②は予想される結果が行動する
理由となり、
③は、行動を起こす理由
①②生成A Iにも行動の理由として
判断可能だろうが、
③については人間でないと、
理解できないのではないか。

愛の為なら損得を超えて
行動してしまう、
その行動の結果、
甚しくは命を失ったしまっても
愛の為に行動してしまう人を、
生成A Iは「愚か」と判断し、
人は「美しい」と思う。
もしかしたら、
人間の尊厳は
そのあたりにあるのかも。

現在のアニメーション
(葬送のフリーレンなど)にも
「日本人の美学」が見られるのだから
1963年から63作目の「光る君へ」まで続く
NHKの大河ドラマの中で
「日本人の美学」は
容易に見つかる。

大河ドラマ「女城主直虎」では
小野但馬守正次か愛する直虎とため、
主家を守るために
幼い城主の身代わりとして
幼子を殺めた時に言い。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、
執権北条義時が初恋の妻の忘形見、
北条泰時と鎌倉幕府の
未来のために死を前にして言う。 

「命よりも大切なものは無い」
という。ぼくはそう思う。
けれども
「ぼくの命よりも大切な、誰かの命はある」
と思う。

特攻隊で「十死零生」の出撃を行った若者たち
宗教殉教の「自爆テロ」のように
「天国行き」が約束されるわけではない。
何より、目の前の敵を倒したとしても、
戦局が変わることなど無いことなど
百も承知。

それでも、出撃した若者たちは、
自分の大切な人、故郷を守るために、
いや、恥じぬために出撃したのでは
なかったか。

そう思えるからこそ、

彼らが美しく思えるのではないか。

世界中の誰もが、
自己犠牲の死を美しく思う。

ただ、特攻隊という自己犠牲の死
を美しく思うのは、
日本人だけかもしれない。

昭和の日に、
そんな「日本人の美学」を思う。

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