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極端とはその境界の向こう側では人生が終わる境界を意味し、極端への情熱は芸術においても、…

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極端とはその境界の向こう側では人生が終わる境界を意味し、極端への情熱は芸術においても、政治においても死への憧れが秘められている。

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夜を背負って

走りたかった。私はあの時、走りたくて、叫びたくて、でもいつだって、それをやらずに生きてきた。 今、終電を追いかけて走る私は、これまでの全てが報われるような不思議な爽快感に包まれている。 あの時、理性なんかに負けて飛び出せなかった私も、心に呑み込んでぐしゃぐしゃになった想いも、全部、全部、夜の闇に溶けていけ。 - 「なぜ生きてるんだろう」なんて普遍的な物思いも、もうずっと考えてるけど未だに答えはわからない。 「なぜ生きているんだろう」?いや。 「なぜ死ねないんだろう」 周り

    • カメムシ

      仄かに夏の香りのする5月の朝、コロコロと表情を変える窓外の景色を眺めながら、私は快速電車で仕事場へと向かっていた。気怠さの残る月曜日。雲一つない青空が煤けて見える。 ふと、視界にカメムシが飛び込んできた。 若草色の体から生えた頼りない足が地を掴もうと喘ぐが、ステンレス製の窓枠は、彼のいつも過ごす自然世界と違って掴みどころがない。 哀れなるかな、カメムシはツルツルと滑って流れてゆく。 こんなところに迷い込まなければ、住み慣れた土地で悠々と暮らせていたであろうに。彼は今、見知ら

      • 花の枯れるのを見ていた

        花の枯れるのを見ていた。 いつもならすぐに取り替えてしまうものを、 花瓶に水を足しながら、朽ちゆく儘に任せていた。 ふと、光を失い、頭を垂れる花弁に囲まれ、ただ一つ蕾のまま残っているものが目を惹いた。 それは今にも花開きそうに身を膨らましたまま、咲くともなく、枯れるともなく 少しずつ、少しずつ、その艶やかな色彩を失った。 天女の置き忘れた羽衣のように 尚一層燦爛と、香り立つ余韻を残して。 2024.4.9

        • 『沈黙の間』

          李禹煥の「沈黙の間」との出会いは、2022年の6月でした。 それまで私は美術館へ行くと、いつも「完成された絵」を“第三者として客観的に”観ており、自分自身の中で、作品へ抱いた感覚を醸成していました。つまり、あくまで自分1人の中で感覚が完結していたのです。 しかしこの作品と対峙した時、何とも言い得ぬ強い違和感に襲われました。 そこは小さな部屋で、閉館間際のその時間、ただ石と鉄板と私だけがそこに影を落としていました。 石と鉄板は、物音ひとつ聞こえぬ緊張感の中強い力を持って張り詰

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        夜を背負って

          記憶(2018.11.11)

          「最後に、抱きしめてもいいですか?」 骨壷を抱く彼の母親に、そう訊ねる。 憔悴した喪主の手は、ほんの少しの力で折れてしまいそうなほど頼りなく、それでも確と壺を抱きしめている。 ほんのひと時の別れさえ不安気に、その手は彼を離した。 壺がずっしりと手に重い。 荼毘に付された彼は、生前の溌剌とした面影とあまりにかけ離れていて、それが彼の体の残したものだとはとても信じることができない。 陶器は皮肉のように美しく、艶やかで、彼と悲しい対照を成している。 肉体は焼かれた。 彼はもうどこ

          記憶(2018.11.11)

          LONG SEASON 2023

          『18:02「ごめん、今日行けなくなった」』 まさに今会社を出ようというところで、携帯が鳴った。 全身の力が抜ける。 初めての場所に行くのはなかなか気力がいるもので、それを一人で、仕事終わりに、なんて考えるだけで気が滅入る。 でも大好きなバンドを初めて生で聴けるまたとない機会だ。行かない訳にはいけない。 そう自分に言い聞かせ、駅へ向かう。 足が重い。 家路へ家路へと向かいたがる体を引き摺って、スタンディングのライブでもしっかりステージが見えるようにと履いてきた、ヒールの高い

          LONG SEASON 2023