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夜を背負って

走りたかった。私はあの時、走りたくて、叫びたくて、でもいつだって、それをやらずに生きてきた。
今、終電を追いかけて走る私は、これまでの全てが報われるような不思議な爽快感に包まれている。
あの時、理性なんかに負けて飛び出せなかった私も、心に呑み込んでぐしゃぐしゃになった想いも、全部、全部、夜の闇に溶けていけ。



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「なぜ生きてるんだろう」なんて普遍的な物思いも、もうずっと考えてるけど未だに答えはわからない。
「なぜ生きているんだろう」?いや。
「なぜ死ねないんだろう」
周りを見ればみんな平然と生きているように見える。
駅を早足に駆け抜けるあの人は、つまらなそうに吊り革を握るこの人は、一体何を考えて生きているんだろう。
でもきっと、言葉にしないだけで死について考えたことくらいあるはずだ。
そうだろう?




私が初めて死を試みたのは10歳の時。
ピアニストのママは厳しくて、外で遊ぶ時間も、テレビを見る時間さえも与えてはくれなかった。
上手く弾けないと、叩かれる。機嫌が悪いと、殴られる。
学校でドラマの話題についていけなくて、コンクールに出ても芽は出なくて、
何のために生きてるんだろう、早く死んじゃいたい、なんて子どもながらに考えた。
小学生の行動力を見くびらない方がいい。
私はどうにかこうにか死のうと計画して、失敗した。
バカみたいだ。死ぬこともできないなんて。



中学生の時、ちっぽけな正義掲げて虐められてる子を庇ったら、いつの間にかターゲットが私に変わってた。
虐められてたあの子も、いつの間にかあいつらの仲間に加わっている。
馬鹿馬鹿しい。
でも14歳なんて、学校が世界の全てだ。
ピアノのせいで部活にも入れない私は、今日も1人で家路につく。
孤独に、押し潰されそうになる。



高校生になる頃には、ママは自分をコントロールできなくなっていた。彼女は、ピアニストになれない私が許せない。
部屋に逃げても、「嫌いだ!嫌いだ!」と叫んで物を壊す音が聞こえてくる。
私も、あんなふうに叫べたら良いのに。
ママの一挙手一投足が怖くて、廊下に響く小さな足音にもビクビクした。
尖らせすぎた神経は、私から睡眠を奪っていく。
ママは「何か言いなさいよ!」と言うけど、言えば何か変わるの?

また、想いを飲み込んだ。


大学生になると、太陽みたいな男の子と親友になった。今どき珍しい熱いヤツで、私が落ち込んでると駆けつけてくれる、ヒーローみたいな人だった。
この人さえいればあんな家族、失ったって怖くない。そう思ってた。
私の、世界の全てだった。




大学三年生の秋、親友は死んだ。事故だった。


また、どうしようもなく、
もう、どうにもならないほど、死にたくなった。

足元が崩れて真っ暗になるってこういうことだ。
どうしてあの人が死んで、私が生きてるんだろう。
どうしてあんな太陽みたいに眩しくて、あんなに…あんなに…
同じ老人ホームに入ろうって、言ったじゃない。
俺、お前と結婚するって、言ったじゃない。
私にはあなたしか、
私はあなたさえいれば…
そう、思ってたのに。

きっと、そんな人だから神様に連れていかれちゃうんだ。
夜を吸い込んだような私は、太陽になんてなれない。神様にも呼ばれない。
いつまでも、死ねないままにここに留まるんだ。
ダラダラと。
1人ぼっちで。



数年前に別れた男からやたらメッセージが来るようになった。
メッセージはエスカレートして、極め付けに殺害予告なんてされた。
笑える。なんで今なんだ。
私は今、あんたに構ってる暇なんてない。

警察に家に帰らないでって言われたから、リクルートスーツ着て、スーツケースガラガラ引きずって、友達の家を転々としながら就職活動をした。
ツイてない。とことん、ツイてない。

嗚呼私、なんでまだ生きてるんだ。


死にたいって言ってるくせに死ねない自分が憎くて
死にたいってこんなに願ってるのに
生きるために動く心臓が憎くて
死にたいって思えば思うほど
耳に届く自分の呼吸さえ
憎くて。
苦しくて。
寂しくて。







大変な時期には何故か救ってくれる人が自然と出てくる、なんて小説の中だけの話だと思ってたのに、私にも現れた。
ウケる。
出会ったばっかりなのに、「僕と老後、喫茶店やろう」「だから長生きしてね」なんて言う。
何だそれ。今すぐにでも死にたい私を、勝手に人生設計の中に入れてくれるな。

何でかわかんないけど、涙が出た。
そんな未来があるなら、生きていくのだって悪くない気がした。


でもまた、奪われるんじゃないか?
この人も、いなくなるんじゃないだろうか。
幸せなんて、持てば失う怖さに縛られるだけだ。
そんな思いをするなら、このままの方がずっといい。

また、ほんのり、死にたくなった。



社会人になって住み始めた新しい場所で、「深い、素敵な目をしてるね」って言われた。
もしこれまでの全てが目に刻まれて、それが誰かの目に素敵に映るのならば、不幸だって意味のあるものに思えた。

少しだけ、自分が好きになった。



しばらくして、キルケゴールを知った。
不条理を真っ向から受け入れ、不条理を生きた人。
こんな生き方があるのだ。
死を、不幸を悪いものだとする考えに疑問を持ち始めた。
死だって不幸だって、味方にできるんじゃないか?
死や不幸が、生や喜びよりも悪いものなんて誰が決めたんだ。
夜には夜の良さがある。

人生が、少し変わった気がした。


-


今、終電を追いかけて走る私は
あの日、あの時の気持ちを思い出している。

ママが振り被る手から逃げ出したかった日。誰かに手を引いて、救い出して欲しかった。助けてって、叫びたかった。

親友の訃報を聞いた日。
たとえもうそこにあなたがいなくてたって、事故に遭った場所までなりふり構わず走って行けばよかった。あなたがいつもそうしてくれたように、もう大丈夫って、駆け付ければよかった。
私はあなたに救われたんだって、私より先に死んでもらっちゃ困るって、伝えたかった。
いなくならないでって、側にいてよって、叫びたかった。

殺害予告された日。
脅しなんかで終わらずにちゃんと殺してくれって、叫びたかった。
いっそぐしゃぐしゃに刺して、殺して!
私のくだらない人生丸ごと、無かったことにしてよ!




-



夜を煮詰めたような私は、あの日、あの時の全てを背負って、それでも毎日生きている。
動く心臓を、止まらない呼吸を憎みながら。
でも不幸だってそんなに悪いもんじゃない。
それはもう、私の一部だ。
この世に太陽みたいな男がいるのなら、夜の香りがする女がいたっていいだろう?

そうだ。久しぶりにピアノを弾こう。



「なぜ生きてるんだろう」?
私は死ぬために、今日も走る。



「なぜ死ねないんだろう」?
私はまだ、生きなければならない。
神様に呼ばれるまで、ここにいるんだ。
夜をもっと吸い込んで、こんな女だって生きていけるって、いつかあんたに証明してやる。


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