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『コーダ あいのうた』の感動再び♪

昨日の『金曜ロードショー』は『コーダ あいのうた』でした。この映画は上映期間ギリギリ間に合って映画館で観たのですが、あの感動をもう一度!ということで録画してじっくり改めて観直してみました。

最初にこの映画のタイトルを聞いた時に「コーダ」は当然楽曲の終わりを表す音楽記号”coda”の意味だと思っていました。でも”Child of Deaf Adults"の略語で「”ろう者”の親を持つ子供」という意味だということを初めて知りました。

テレビ等でも実際にそういうお子さんを観たことがありますが、自分だけ耳が聴こえて両親が聴こえない状況の中生きていくということ…。当然生まれた時からその状況下に置かれているわけなので自然と受け入れて”手話”で会話を交わすという日常が当たり前ではあると思うのですが、こちらが想像つかない様々な場面で苦労することが多々あるように感じました。

両親と兄が”ろう者”という家庭に育ち、自分だけが”健聴者”であることの苦悩と共に生きてきたこの映画の主人公ルビー。家族の”通訳係”を務めながら家業の漁業も手伝うという高校生活を送る中、自分の歌声の可能性をV先生に見出され有名音楽大学受験を勧められた。「歌を歌って生きていきたい」という自分の夢を見出した彼女。”ろう者”である両親はルビーの歌声を聴くことができないので娘の才能を信じることができず、家業の方が大事だと猛反対。

家族と夢、どちらを選択すべきなのか?

「コーダ」のルビーにとっては究極の二択だったと思います。”通訳係”としての自分の役割を嫌と言うほど分かっているし、自分がいなくなった後に家族が大変な想いをすることも分かっている。でも、夢もあきらめたくない。ルビーの心の葛藤が手に取るように伝わってきました。

もちろん家族にとってルビーは頼りになる存在ではあるけれど「ルビーがいないと自分たちだけでは何もできない」と両親と兄、そしてルビー自身もこの考え方に縛られ続けてずっと生きてきたように感じました。

そんな中いつも妹にブーブー言っているぶっきらぼうな兄が「家族の犠牲になるな!」と妹の背中を押してあげるシーンがとても印象的でした。この兄の言葉はルビーにとって大きな励みになったように感じます。

一方音楽の道に進みたいという娘に反対していたけれど、コンサートで着る赤いドレスを買ってきてくれた母とのシーンはお互いにやっと本音を言い合えたようで、母子の絆がより深まった感じがしました。

コンサートで生き生きと歌う娘の姿にとまどいながらも大勢の観客たちが娘の歌声に感動して涙を流している様子を目の当たりにして、気持ちに変化のあった父。このコンサートのシーンは忘れられません。”ろう者”の両親と兄にとってはひたすら「無音」なんですよね。映画館が「無音」で包まれた瞬間、ろう者の方たちの「音のない世界」を疑似体験したようで衝撃的でした。

そしてコンサートの後に父が「もう一度歌ってくれないか?」と、娘の首に手を当てて、娘の歌声を感じ取ろうとするシーンは涙腺崩壊でした。聴こえないけれど、感じることはできる…。

翌日のオーディション。手話と共に家族の前でルビーが歌うシーンは言うまでもなく感動的でした。エミリア・ジョーンズの歌声はただ上手いとかではなく、清らかで凛としていてグッと心を掴まれました。人の心に届く歌声とは、まさにこういうものなんですよね。『Both Sides Now』名曲です。

なんと言っても一番心に残ったシーンは、ルビーを送り出す時に家族四人で抱き合うシーン。音楽記号”coda”は「次の章が始まる」という意味も持っていて、ずっと4人で支え合って生きてきた家族がそれぞれの新たな一歩を踏み出すために互いにエールを送り合っているような、そんな家族の愛の深さを感じました。ラストのハンドサイン「I really love you」。離れていても家族の絆は永遠に...。

後からじわじわと感動が押し寄せてくる、ハートフルな素晴らしい映画だと改めて感じました。サントラも素晴らしいですよ♪

ちなみに作中の手話が日本語のそれとは大きく違うと感じていたのですが、パンフレットによれば手話と一口に言っても世界には200以上の手話があるそうです。今回のASLというアメリカ手話は単に単語を羅列したのではなく、ダイナミックかつ、感情の起伏もストレートに伝わってきて、あたかも声が聞こえてきそうな感じすらありました。奥深い世界なんですね。


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