団塊世代が未来のためにできること

 1950年の戦後生まれ。団塊世代最終ランナーである。20世紀ど真中から、昭和、平成、令和と生きて来た。
 生まれた年は朝鮮戦争、それを切っ掛けに日本経済が立ち直り、その後は高度成長、公害問題。学生時代はベトナム戦争、大学紛争。社会人になってからは数次のオイルショックと回復、バブルと崩壊、リーマンショックとその後の低成長。企業人としてそれら全てを経験させられた。Japan as No.1時代も知っている。中学時代に復興間もない前回の東京五輪も見た。
 企業リタイア後、数年前から若い人達と交流しようと努めていた或る日、某有名大学の学生との会話時に、私にとっては驚きのやり取りになった。
 「僕が生まれた時に、オウム真理教のサリン事件というのがあったんです。あれって、何故あんなことになったんですかね?」彼はオウムを全く知らないようだった。
 別の40代の女性とのやり取りでは、「ベトナム戦争末期ってアフガンの状況と似ていたらしいですね。」とのこと。彼女にとってはベトナム戦争は昔話らしい。
 自分にとってはちょっと前の事柄が、彼らには書物の中だけの出来事であることに気付かされ驚いたのである。その都度、団塊世代人としては持てる知識経験を総動員し、説明に当たることに相成った。
 SDGsを考える時、その最大の阻害要因は戦争であることには議論の余地がない。SDGsの17項目の全てについて破滅的打撃を与える。
 2022年世界最大の不安定要因はウクライナ問題だ。このまさに理不尽な侵略戦争についても、団塊世代オジサン達は熱意を込めて考えを若者達に語ることになる。
 だが、我々は戦後世代。本当に戦争について語る資格があるのだろうか?自問自答が始まる。我々は戦争当事者として兵役に従事していないし、戦争被害経験者でもない。
  しかし、父親は中国で従軍生還、親戚は南方での戦闘で右肺を失い、母は東京大空襲を逃げ回った。幼少期は街に傷痍軍人が溢れた。教員や上司の中には、戦闘機乗りや士官学校卒業生も残っていた。彼らが当時新世代であった幼い我々に自分たちの経験を直接間接に色々な場面で語り伝えてくれたのを記憶している。
 あと十年経つと、戦争直接経験者は皆鬼籍に入ってしまう。これからの世代の若者達に、SDGs最大阻害要因である戦争を語り伝えるのは、我々団塊世代に残された最も重要な役割と考えざるを得ないのではないだろうか。


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