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26歳、2020年を全力で振り返ってみたら未来への力が湧いてきた

自分の振り返りついでにnoteに残しておこうと思ってPCを開けた2020年12月29日朝。先日、仕事をどうにか収めることができ、「いよいよ年末!」という感覚になってきた。

2020年は本当にアっという間で一瞬で過ぎ去った。もはや6月よりも前の記憶はあいまいになっている。このままこうして、来年、再来年、、、と年を重ねていくのは1日1日を全力で生きていたとしても少し空しいし、怖ささえも覚える。「あれ?私何をしてきたんだっけ?」と。「今」に全力になりすぎるとたまに自分が今「どこ」にいるのかを見失うことがある。今までの人生、ゴールを設定してそれに向けて戦略立てて生きていくタイプではなかった。言語化がうまくできないけれど自分の中に確かに存在するある価値基準に沿って「これを今しないと一生後悔する!」と本能で嗅ぎ取ったものに体当たりしてきた。何を隠そう、新卒で入社した会社でさえも最後の決め手は直感で、自分が苦手意識のある「IT」の業界へ進んだ。迷いもしたけれどいざ決めると腹が据わり、「人生振れ幅。軌道修正は自分次第でいつでもできる」と思えたのだ。

2021年の存在が日に日に大きくなっていく今、改めて振り返ってみると2019年を「体当たりで種を撒いた年」とするのであれば、2020年は「撒いた種から発芽し少し方向性が見えてきた年」といえるかもしれない。
過去を振り返ることは時間の無駄だ、とおっしゃる著名な方々がいらっしゃる。ごもっともかもしれない。でも、私は別に過去を美化しようとも、栄光に浸りたいとも思わない。ただ、「行き当たりばったりの全力疾走」が今の私の礎になっていると思うと、振り返るという時間は結構大切だったりするのではないかと思う。前置きが長くなってしまったが、未来の自分が「あの頃全力であんなことしたから今があるんだな」、と「未来のイマ」を慈しみ、大切にできるようにnoteに残しておきたいと思う。

憧れの海外本社出張

社会人4年目にして憧れの海外出張先はサンフランシスコ。コロナで現地がロックダウン寸前に渡米し、帰国した。当時入社されたばかりの今の上司と一緒に渡米。緊張したけれどその1週間その上司と過ごす時間をいただけて心から感謝している。大学の頃から海外を意識して働けることに憧れていた。自分の1年ばかりの留学経験を絶対に活かすと心に決めて、ようやく目標の1つが達成できた瞬間だった。ゴールデンゲートブリッジを見た時は感動して泣きそうになった。紆余曲折あれど継続は力なり。誰かに評価されるために働くのではなく、大切な人や今までの環境に心から感謝できるような潔い生き方をしたいと思った。

副業開始/卒業と休学

2019年から、働きながら学校に通っていた。PRの学校とファッションテックの専門学校。広告代理事業に勤める私は、広告以外に「伝える/伝わる」ことをもっと極めたくて、視野を広げたくて会社の自己啓発制度を利用して受講させてもらった。ファッションテックの専門学校については、クリエイティブで面白い人に会える環境に身を置きたくて、またその人たちとコラボレーションしたり、その人たちの活動の背中を押せるような人になりたくて入学した。どちらも今までコツコツためてきた貯金を大きく切り崩して自腹を切った。そこの講師や生徒とのつながりを通して視野は広がったし、副業にもつながった。もともと文章が書くことが好きで、趣味の延長や、たまに単発で執筆していたところが、定期的に「仕事」として文章を書かせていただける機会に結び付いた。

好きこそものの上手なれ。「私、これが好きで、ここまでできます!やりたいです!」をレベルがどうであれ発信することや、「誰にも迷惑をかけず、傷つけることなく、でもしっかり自分を主張する」ことの大切さを実感した。

PRの学校は無事卒業するも、ファッションテックの学校は半期残して休学をすることにした。このまま半期継続してしまうと「自分探し」で終わってしまう気がしたから。もう少し軸を確立しようと思って学校に相談するとご快諾。2021年は復学する。

昇進と祖父の死

コロナ禍の在宅勤務の中で、ある日突然上司から電話がかかってきて「昇進」の連絡を受けた。社内幹部全員納得のうえでのこと。特に昇進に対して欲が強かったわけでは無かったので、素直に驚いたと同時に、大学卒業まで学費を捻出してくれた両親、両祖父母に電話で報告できたことがうれしかった。そしてその矢先、祖父が息を引き取った。富山に住む祖父母にはコロナの影響で帰ることができず、仏壇にはまだ手を合わせられていない。最期を見届けられなかったことは残念だったが、東京で手を合わせ、仏壇用のお供え物を贈るなどしてやることはやり切った。決して多くを語る祖父ではなかった。一番寡黙だったが、聡明で心が広くて物腰が柔らか。静かな、でもたくさんの愛と心掛けをありがとう。安らかに眠ってください。

引っ越しとちょっとしたトキメキの終止符

在宅勤務が開始して4か月ほどして、3年半住んだ家を後にした。社会人になってからずっと国際シェアハウスに住んでいた。立地も住み心地も特に不満はなかったのだが、なぜか「今引っ越さなければならない」という感覚が強くなっていき、シェアハウスを離れる決断をした。


当時実は少し気になっていたカナダ人がいた。コロナ禍、自粛中の休日はヨガしたり、ジョギングしたり、料理したり、穏やかな時間を楽しむことができていて「ハウスメイト」ではなく「彼女」としてそばにいられたら楽しいのかなーって思ったりもした。でも、在日期間が決められている彼と恋愛の関係は、「将来お互いがつらくなる可能性が高いし、それだったらマブダチでいたほうがいいよね」という結論に至った。3年半のシェアハウスでの生活を通して、国籍とかバックグラウンド関係なしに、互いの時間や価値観を尊重しあいながら日常を送れるって素敵で居心地いいんだなって知ることができた。ちなみにそのカナダ人も、私が引っ越しを決めたタイミングで日本をもっと知るべく残りの滞在時間を田舎で過ごすと決め東京を後にした。今はアーティストとして活動する一方で、岡山で地元の農家と一緒に白菜を収穫しているらしい。頑張れっ!

過食と体調不良/原点回帰/調香との出会い

在宅勤務が続いてさらに半年以上の時間が過ぎたころ、朝から夜寝る寸前までPCにかじりついて仕事をする日々が続いていた。心身ともにすり減る日々が続き、私は気が付けば体調を崩し、過食症に密かに悩まされていた。過去から少しずつ蓄積されてきたあらゆる歪みがコロナ禍の在宅勤務でよりあらわになったのかもしれない。過食に走る自分が嫌いでしょうがなかった。虚無感、無力感。この先の人生どうしようって思ったこともあった。息詰まってたし、思い詰めていて涙が止まらないこともあった。
しばらくして、深呼吸しながらストレッチしていたある日の夜、「Yumi*はやっぱり五感でしょ!香り!!!」というひらめきが突然下りてきた。(笑)なんで「香り!」とひらめいたのかは正直わからない。後付けで理由を上げたらきりがないけれど、きっかけは本当にふとした瞬間にポッと浮かび上がったのだ。そこからまずは家にあったアロマスプレーを活用したり、毎週末は花を買っていけるようにしたり、お気に入りのキャンドルを灯すなどして「癒しに触れて五感を満たす」機会を増やすようにした。

パーソナルトレーニングに通って半強制的に生活リズムにメスを入れ、少しずつバランスを取り直し始めた。五感が満たされる瞬間が増えることで1日1日がもっと愛しく感じられるようになり、「香り」をもっと極めていきたいという気持ちと情熱がメラメラと湧いてきた。夏の終わりには調香の先生とめぐり合い、受け入れを停止していたところに生徒としてねじ込んでいただいた。それからは毎週末はアトリエに通って調香をする日々が始まった。ここでも身銭を切って投資。でもここで諦めたら一生後悔するっていう確信があった。

香りは手段の1つで、私が目指したいのは「一人ひとりにあった五感フルな世の中の実現」。一人でも多くの人の日常が彩豊かなものになるといいな。

音声配信開始

Voicyのパーソナリティを経験させていただく機会を突然与えていただいた。幼稚園の頃から憧れだったアナウンサーという職業。朝のニュース番組でさわやかな元気を与えてくれ、夜のニュースではしっとりした安らぎと知的好奇心を刺激してくれる存在に私も近づきたいと思っていた。一方でアナウンサーに求められる資質と自分のリアルを比較して、いつしかその夢を諦めるようになっていった。しかし、2019年の会社の忘年会で司会としてマイクを握ったことをきっかけに、上司に勧められてVoicy のオーディション受けた。コロナ禍で会えない祖父母やお世話になった方に「Yumiはがんばってるよ!」を声に乗せて伝わればいいなと思っていたら通過。書くにせよ、話すにせよ「伝える」って楽しい、それを改めて気づかせてもらえた機会になった。これからも自分なりの発信の方法を模索していきたいな。

終わりに

伝えること、さらに五感が満たされて、彩豊かな世の中になっていくこと、、、これらの実現のために生涯現役で働き続けるにはイマ何ができるんだろう。社会人5年目に差し掛かった今、これまで以上に「生きがい×キャリア」を意識するようになった。上司、先輩、友人、両親、いろんな方のサポートやアドバイス、話を聞いて揺らいだことも多数。でも今は一周回って中庸に戻ったかな。さあ、2021年、、、どうなるのか、、、!?(笑)
でも、確かなこともあって。それは2021年も絶対いい1年になるし、自分次第でいいものにしていくことができるっていうこと。ほかにも書き留めたいこと、ここでは書けないこと、数えきれないくらいあるけれどいったんここで筆をおくことにしよう。気が付けば4,000文字になってしまった。

2020年、たくさんの人にありがとうを伝えたい。そして「自分をいたわりたい」と初めて感じた。未熟モノで伸びしろしかないけれど、未曽有な事態にもかかわらずこうして生きていられるイマ、もうすでにありがたいことだなってつくづく感じている。だからこそ、2021年も全力疾走。

最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。
2021年、そしてその先にも幸あれ♡

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