たとえ、話すことができなくても。
小学校3年生、9歳。初めて「手話」を知った。
学校の道徳の時間で手話を教えてくれるNPOの方がいらしたことがきっかけだった。
耳が聞こえない為に、相手が何を言っているのか、わからない。
さらには自分の声がどんな声をしているかがわからない方が世の中にはいらっしゃるんだ、ということを初めて知って衝撃を受けた。
ありがとう、そして、ごめんなさい。
文面上ではわかっても、これをどう発音するのかわからない、という感覚は一体どんなものなのだろう。そう思いを馳せてその授業の時間は終わった。
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数日後
私は給食当番で足りないコッペパンを取りに1階の給食室に足を運んだ。
偶然廊下で作業をしていた方に後ろから声をかけた。
「すみませーん!コッペパンが足りません。もし1つ余っていたら分けてもらえませんか?」
後ろから話しかけてもその人からの反応はなかった。
聞こえなかったのかと思い、その人に近づいて、肩をトントンして話しかけた。
「すみません」
すると、私はその人をかなりびっくりさせてしまった。ビクンと肩を震わせ目を大きくして私の姿を捉えた。
「あの、コッペパンが。。!」
その人はマスクを外して私に対して、ジェスチャーで必死に何かを伝えようとしていた。
自分のことを指さし、
「わ、た、し」
両耳を両手で抑え
「み、み」
首を横に振って
「き、こ、え、な、い」
なんと、その方は耳が不自由な方だったのだ。どうしよう。。。そのまま立ち去るのも失礼な気がして私はその場で立ちつくしてしまった。
しかし、その方は私のパンの箱を見て用事を理解したのだろう。
「1?2?」とパンの箱を指さしながらジェスチャーで聞いてくれた。
私は「1」!と人差し指を立て大きくうなずいた。
そして求めていたコッペパンを無事、私は教室に持ち帰ることができた。
しかし、
「ありがとう。」
そのほんの5文字を伝えられなかったのがとてももどかしかった。
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当日の放課後
私はお昼の出来事が忘れられず、担任の先生にどうしても手話を教えてほしい、とお願いをした。すると先生は私を校長室に案内してくれた。なんと当時の校長先生は手話を使うことができたのである。
「あなた、手話を習いたいの?」
「給食のおばさんとお話したいの。自己紹介と、ありがとうが言えるようになりたい。」
そこから、校長先生によるレクチャーが始まり、私は自分の名前と「ありがとう」、そして「おいしい」が手話で言えるようになった。
週末、鏡の前で何回か練習して月曜日の給食の時間を迎えた。
私は早々に食べ終えると、トイレに行くふりをして廊下で仕事をしている調理師さんを探しに出かけた。
その方は先週と同じ場所で作業をしていた。
後ろから話しかけるとびっくりさせてしまうので私のことが見えるように回り込んで話かけに言った。
その人の瞳が私の姿を捉えると目がほそまった。
私はその人の前で一礼し、家で復習した手話を目の前でやってみた。
「わたしのなまえは、ゆみです。ありがとう、おいしかった!」
初めての手話はしっかりと伝わったらしい。
その人は目を赤くして私の手を握った。それから
「ありがとう、ありがとう」
私が理解できる限られた手話の「ことば」でその人は何度も私にお礼した。その経験を通して、私は「ことば」の多様性を肌で感じた。
それから3年がたち、卒業式を迎えた。
私は一人でその人のところに挨拶をしに行った。
その人はわーっと走り寄って抱きしめてくれた。
そして、私の知らない手話でその人は私に何かを伝え、拍手してくれた。
あ、これはきっと「お、め、で、と、う」だったんだな。
私は笑顔で「ありがとう、おいしかった!」を返した。
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