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最近出てきた気持ちを整理する

 今の会社に内定をいただいて、働くようになって、やっと「人は人、自分は自分」と思えるようになった。

 田舎の閉塞的な環境で生きてきたせいなのか、親が褒めるのはいつだってよその子ばかりで褒められた記憶がないせいなのか、生まれ持った性格でいじられキャラでずっとやってきたせいなのか。理由を考えたらきりがない。でも似たような環境で生きてきても私と真反対の性格の人間もいるから、全部正しくて、全部正しくない。

 比べては負けるものかとムキになって、でもすぐに打ちひしがれて、それを繰り返すうちに、ムキになることをやめた。どうせ自分は馬鹿だから、不器用だから、要領が悪いから、そんな言葉が並んだ。
 それでも自分を諦めたくなくて、「何者か」になりたくて、大学院まで進学したはずなのに、結局なれなかった。

 休学して、それまでギリギリで守ってきたくだらないプライドと意地を全部手放して、やっと楽になった気がした。けれど、やっぱり周りの同世代は研究や仕事や、人によっては子育てをしているわけで。心のどこかではやっぱり自分と周りを比べて、自分の社会不適合具合に落ち込むことは少なくなかった。程なくして新型コロナウイルスによって世界ががらりと変わってしまったこと、“stay home”が推奨されたことで、片田舎で引きこもって生きていることを許されたような気になっても、その気持ちは拭えなかった。

 結局、大学院は退学してしまったものの、運よく就職することができた。もう開き直るしかなくなってやっと、「人は人、自分は自分」と受け入れることができた。

 もちろん、「人は人」と言えない場面がないわけではない。それに、人と比べて目線を上に向けることができるのなら、比べることが一概に悪いとも言えない。けれど、私は必要以上に、下らないことで人と比べては落ち込んでを繰り返していた。

 それはきっと「精神的自傷」だと思う。自分でつけた傷や血を見て安心するように、自分の言葉で自分を貶してその通りだと確認することで安心する。でも、そんなことをしても誰も得なんてしない。もちろん自分だって何のプラスにもならない。
 そういうことをやっと学んで、少しずつではあるが自分を受け入れ、必要以上に他人と比較しない・比較に耳を傾けないことができるようになってきた。

 できるようになってきた、とは言ったが、完全にできるようになったわけではない。
 「三つ子の魂百まで」というべきなのか、なかなか比べる悪い癖が抜けてくれない。それに、心が徐々に元気になってくるにつれて、競争心や負けず嫌いな自分も出てきて、それが時として悪い方向に向いてしまう。

 配属からしばらく経って、自分も徐々に業務をこなしていくにつれて、同期の目が気になってしまう。
 誰かと走るようになって、楽しさ以上に自分の遅さやどん臭さに嫌気がさしてしまう。
 最近そんな気持ちが出てくるようになった。今の環境に徐々に慣れ始めて、次のステップに進むために乗り越えるべき壁なのかもしれないが。それでもこの期に及んでまだ必要以上に、あまつさえ楽しいはずの趣味ですら比べて落ち込んでしまう。

 染みついた思考の癖は、なかなか変わらない。そしてそんな自分が嫌になる悪循環に陥ってしまう。
 けれど、自転車や今の仕事を手放したって、ほかのことをやっても、似たような感情は絶対にやってくる。もしかしたらこの感情とは一生付き合っていくしかないのかもしれない。

 とりあえず与えられた仕事を片付けて、週末はまた1人でこの間途中で引き返した道を目的地まで走ってこようと思う。

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