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藤原ここあ先生の作品を偲ぶ:「時間は重みだ」

「時間は重みだ」
私はこの台詞がずっと気になっていた。

なぜなら、昔、「妖狐×僕SS」というアニメで見た冒頭の主人公のつぶやきが本当に重かったからだ。
当時の自分は、何事も夢を持って前へ前へと進む努力は身になると信じてためらわなかった。
だからこそ、もっともっとと、貪欲に毎日を惜しみなく生きていた。

しかし、今は違った。
今年の自分の境遇を振り返れば、私にとっての重い時間たるこの1年間は、私以外の人間から見れば空気よりも軽かったのだ。

今年、私はもっと変わろうと毎日奮闘していた。
手を抜かない。
努力をする。
自分の未来のための目の前の課題をこなす。
つまり、専門医研修を1年間必死にこなそうとしていた。
分からないことは調べ、勉強し、怠らない。
朝活で充実した時間を作り、自分を研鑽する。

けれど、来年から今いる施設を出ていくように言われた先月の事件をきっかけに、パワハラを受けて体が別の意味で重くなった。
そして、もう一つ、専門医研修手帳に1年研修したことを証明する指導責任者の署名・捺印を頑なに拒否された。
こうして、必死になってきた1年間が必要研修期間にカウントされなくなってしまい時間を浪費したことになったのだ。
私にとっての重い時間、貴重な1年間、大事にしてきた毎日が紙切れ以下の無価値と評価された。

時間は重みとは本当にこの事だと実感した。
生きて、バイトして、食べて、起きて、寝て、決まった時間に業務を行う。
この繰り返しと積み重ね。
生きてることへの感謝と日々の糧。
研鑽して勉強するという、形のない雲のようなものを1年間積んできた。

自分にとって、とても重かったこの1年は、施設の指導責任者にとっては、空気以下の軽いものだったのだ。

それが複数人からの客観評価なら、努力が足りないと私も認めるが、多くのパワハラを一人の人間から受け、なお暴言や人権侵害にあたる発言まで浴びせられた自分にそれを突き付けられると、虚しさを感じえない。

1年を軽んじられた。
自分は杜撰に扱われて馬鹿にされた。
1年間という人生の貴重な時間を、奪われた。
そうか、自分はすごく傷ついていたんだなと憤慨もした。

―――本当に、時間はあっという間だった。
反面、上の地位にいるものから見れば、下の人間の時間など嫌がらせの余興時間でしかなかったのだろう。
相手を見下し、いじめて憂さを晴らすための構造。

あっという間の1年。
あっという間の重い時間。
私の人生の中の時間。
無価値と主観で判断された時間。
報酬も何ももらっていないし、求めてもいなかったが、見習いとして施設業務に取り組み、研修をしていたつもりだった。
しかし、結果として認定も何も得られなかった虚無の時間だったのだろう。

――重いなあ。
それに、自分以外には、なんて軽いものなんだろう。
私の課題には、私にとっての重さがあるが、それは他者の、たとえどんなパワハラ上司にとっての課題に合致することはない。
上司の課題は私を蹴落とすことだったのだ。
だから研修期間の認定すら取得できない。
1年間、こんなところで過ごすくらいなら、もっとよその所へ行けばよかったって後悔しても今更だろう。

そう考えた時、動画配信「妖狐×僕SS」のリバイバルで久々に見かけた藤原ここあ先生の「時間は重みだ」というアニメの中のセリフが響いた。

作者はもう、亡くなられているけれど、作品のなかの台詞は、今の私にとても影響している。
自分にとっての重かった時間は、他者から見ればどうでもいいものかもしれないが、やはり私にとっては大事に生きていた人生の証だ。

久々に見た「妖狐×僕SS」という作品に、いろんな哀愁が沸いた。
アニメだけでなく、また、漫画も読み返してみたいと思った。
放映当時はコミックス全巻読破していたのも懐かしい思い出だ。

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