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笑顔や無理の評価よりも…

先日Twitterを見ていたら、偶然、さおり | 自閉症のお母さん(@triodiary)さんのtweetを読みました。

最後の1文、
笑顔や無理の評価より、涙に寄り添ってくれる人のありがたさを感じたいんだよー
という表現に、私は凄く共感しました。 (noteで書く許可頂いています)

私の場合・・・

・何かをした時 (例:業務を頑張った)
・何かをしなかった時 (例:相手に伝えるタイミングでは無いと思ったので言わなかった)
・何かに耐えた時 (例:自傷行為をしなかった)
などを評価してもらえていると思います。

「頑張ってるね」と言ってもらえています。
それは凄く恵まれた環境だと思うし、感謝してます。

でも・・・ それは 私の行動 に対しての評価なのかな って思ってしまうんです。

例えば
・「頑張ったね」には、出来た という評価だけじゃなくて 努力に寄り添ってくれる ような感情が入る事があることは分かります

・「残念だったね」には、出来なかった という評価が入ることもあれば、悔しかったよね とか また頑張ろうね みたいに 励まして寄り添ってくれるような感情が入る事があることは分かります

でも、私は、評価を多く受け取って「出来なきゃいけない」「頑張らなきゃいけない」って受け取ることが多いと思っています。マイナス寄りのプレッシャーとも言えるかもしれません。

寄り添ってくれるような感情が入ることがある ことは、分かります。つまり、理解 はしているんです。でも 感じていない のだと思います。

だから、平気なふりをして笑顔の仮面をつけたり、気にしてないふりをして前向きな自分を演じたり、しているのだと思います。


*... 涙に寄り添ってくれる人のありがたさ ...*

もし、笑顔の仮面の下で流れる涙に 寄り添ってもらえたなら。

もし、無理に演じていることの辛さに 寄り添ってもらえたなら。

それは、笑顔や無理の評価 では感じにくい温かさを感じられるし、
また踏ん張って、前を向いていく力 に 繋がるのかなと思いました。


おまけのお話

就労移行支援で、副チーフとして業務を教えたり チームを作っていく時に、必ず心がけていることが いくつかあることに気がつきました。それは普段、ほぼ無意識にしているのですが・・・この記事を書いていて「だから私は、そういう接し方や伝え方をしているのだなぁ」と思いました。これについてはもう少し掘り下げて、別のnote.を書いてみようと思います!


私の頭は回転を続けるし、色々浮かぶので、下書き(ネタ!?)は毎日どんどん浮かんでくるのですが(現時点で下書き15件)、なかなか考えをまとめる時間が取れなくて、歯がゆさを感じつつ・・・ 自分の思考を書き出してみるのは性に合ってるなぁと改めて感じています。

スキ、シェア、コメント、フォロー、ありがとうございます!

Sena. 🍋 


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