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温め直しをくりかえす

11階の窓からの眺めはもったいないくらいきれいだった。晴れ渡った青空、黄色と緑のまだら織りのような山。それを分け入る高速道路と国道。小さな長男がいればあのトミカのように流れ続ける車を見てるだけで1時間は時間が潰せると思いついたけどもうその長男は大学生なのだった。

私は二泊三日の検査入院に来ていた。四人部屋の窓側のベッド。今日から束の間の私のひとりスペースに内心ワクワクしていた。ベッドに横になってひとしきり高い青空を見て心を空っぽにする贅沢をしたあと採血とMRIを終え、病院食を食べシャワー室を好きな時間に予約しシャワーを浴びた。静かで自由で規律がある生活。でも少年自然の家気分はここまでだった。

またあいつが来た。ほんとはさっき気配を感じてすぐに薬を飲んでいたけど今回はしぶとかった。頭の上からだんだん鉛のシャッターが閉まっていくみたいに侵食される、私の偏頭痛は人混みや緊張から解放された時に起こりやすい。安心すると頭が痛くなるのだからツライ。偏頭痛薬の一日の最大容量を飲んでも頭痛と吐き気は翌朝まで続いた。


二日目、不調トライアスロンのままカテーテル検査へと入った。意識がある状態で手首からカテーテルを通すのだが私のビビりな血管のせいでカテーテルがうまく通らず腕に鉄板を貫かれるような痛さ。通す方も通される方もこれ以上は無理となり、より血管が太い鼠径部からやり直しになった。先生方も看護師さん方も「痛かったですね、すみません。不安な思いをさせてしまってすみません。」とすごく謝ってくれて、悪いのは100%私の血管なのに甘やかされている。
 
検査後は「右手首と右足を動かさずまっすぐ寝る」をやらなくてはいけなかった。昼食は左手で食べやすいように全ての食材を串に刺してくれている。朝から絶食で空腹だけど食べる気がせず寝た。ひとつひとつ食材を串に刺してくれた人のことを思うと申し訳ない。起きたときには昼食は下げられ夕食が冷めていた。もう体を起こしてもよかったのでその冷めた夕食をちびちびと食べていると看護師さんが「ほんとはだめなんですけどね」と言いながら温め直して来てくれた。ほかほかになったごはんを一口食べるとみるみる食欲が回復していくのを感じた。看護師さんの温かさがごはんの温かさになって私にじんわり元気をくれたみたいだ。雨の音がする。そういえば1日中カーテンを開けていなかった。

 
三日目、退院の日。スタートに戻ったような快晴と体調だ。景気づけに軽くお化粧をして着替えて病室で待っていると昨日私を温め直してくれた看護師さんが来て「準備できましたね。きれいですね!」と言ってくれた。「きれいになりましたね!」ではなく「きれいですね!」。昨日までのノーメイクで顔色の悪い私も私なので否定しないでいてくれたことに気づかいを感じありがたかった。血の気のある顔、生きてる顔という意味での「きれいですね!」だとわかっているけど嬉しくて私の景気は更に良くなり、体温も少し上がった。

先生も看護師さんも本当に神様みたいに優しい。でもこの「神様みたい」と安易にまとめてしまうことはやや失礼な気もする。そこに必ずある人間の善意や努力が透明化されてしまっているから。半年前手術が必要になると知った時、泣いてる私に寄り添ってくれた看護師さんの顔も名前も覚えていない。神様みたいに優しかったとしか覚えていないのが気がかりだった。だから今回の入院ではできるだけ先生と看護師さんの顔や名前を意識するようにした。忘れてしまうかもしれないけどそうしたかった。次にまた手術でお世話になる時も安心して身を任せようという気持ちになれて、不思議なほど精神的に落ち着いている。


半年前から見続けた朝ドラの最終回は退院を待つ病室で見ることになった。主人公が「わてかて、皆さんのことごっつい応援してまっせ!」と観客に向かって主人公が言う場面で、今この時、熱をもらっていのは私だけではないだろうと思った。
 


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