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送迎というジャンルの育児

お昼ごはんにサラダうどんを作って子と食べたが、また茹ですぎてしまったのかとんでもなくコシがない。我ながら美味しくなかったが、子が文句を言わずに食べているので「こりゃちょっと茹ですぎたね」と言ってしまうと不味さに気づかれてしまうような気がして私も黙々と食べた。途中で鰹節をかけてないことに気づき少しでも美味しくなってくれー!と、願いを込めて子の食べかけのサラダうどんに盛った途端、扇風機がこっちを向いて鰹節が見事に吹雪いた。


最近中学生の三男が週2で通っていた公文をやめ、スイミングも休会したので「習い事の送迎」というジャンルの育児がついに消滅した。三兄弟それぞれが0歳のベビースイミングから通い、長男と次男は高校の途中まで続けた。塾や他の習い事も並行していたので毎日何かしらの送迎業務をもう何年も連綿と続けていたことになる。
送迎業務がなくなったら曜日感覚がなくなってきた。もう習い事に連れて行く時間から逆算して子に声をかけたり、軽食を用意したり、行き渋る子をなだめすかしたりしなくていい。ひとつ役目を終えた寂しさより、解放された清々しさの方が勝っている。

そして三兄弟が自室で各々過ごすようになり、私はリビングでぽっかりと時間を持て余すことが増えた。家事には終わりがないけれど、とりあえず今やるべき家事はないという時「ぽっかり」という言葉がぴったりだ。ご飯も作るし洗濯も掃除もしてるのに「今日何もしてないな…」と思ってしまう。私は子を遅れないように送り、待たせないように迎えに行くことによって責任を果たしている実感を得ていたらしい。

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