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【ショートショート】ぽちぇと好きな人がいう

「ぽちぇ」と彼女が言ったのを聞いたのは僕だけだった。カエルの解剖実習で、僕と彼女が隣の席だった。神経を辿っていく難しいところで、みんなが集中していた。でもそんな大事な時に彼女がそんな声を発したものだから、僕はつい彼女を見てしまった。神経は、見失ってしまった。
 綺麗な人だった。彼女の事が好きだった。彼女はこちらを見もせずにカエルの神経を探し続けていたけれど、その小さな顔は赤らんでいた。危なっかしいくらい、分かりやすい人だった。そして奇跡みたいに、素直な人だった。彼女の存在に、僕は救われるような気持ちにさえなった。
 何か語りかけたかった。そうしないと、お互いに気まずくなってしまうからと、僕は焦った。でも誰も話していないのだ。みんな集中していた。そもそもカエル以外を見ているのが、教室で僕だけだった。准教授はどこかへ消えてしまった。勇気が、出なかった。目の前にはカエルがあって、これが今、僕の取り組むべきものだった。生物を扱っているのだから、真面目に取り組まなければならなかった。命は大切で、人生は猥雑で……。
「ぽちぇ」
 彼女がもう一度言った。それを聞いているのもまた、僕だけだった。今度は彼女は苦笑していた。控え目で素敵な笑顔だった。僕は気付かれないくらいに、一緒に苦笑した。小さな恋が姿を見せた。言葉にならないほどの、とても小さな恋だった。
 彼女は深呼吸して、ピンセットを手に取った。僕はカエルに目を戻す。心は時めいたままで、でもそれはこの場には相応しくなくて、僕はカエルの筋肉をギュッと掴んだ。死んだ筋肉は動かなかった。
 神経は、どこかへ行ってしまった。



※サムネイルの画像は、Canvaの画像生成AIであるTexttoImageを使用して作成しました。

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