★経営10周年を振り返る vol.5 〜2012年・28歳・経営3年目・大阪でチーナ邸オープン〜

★経営10周年を振り返る vol.5 〜2012年・29歳・経営3年目・大阪でチーナ邸オープン〜

起業から1年ほどで社長から無職になった。

時間が有り余ってたし、お金にも多少の余裕があったので、
2012年、イタリア一周バックパック旅行に行った、60日くらいだったかしら。
海外旅行は初めてだし、イタリア料理人なのでイタリアに行ってみたかった。

ミラノ、ヴェネツィア、パルマ、ボローニャ、シエナ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、パレルモ、とイタリアほぼ縦断。
イタリア旅行話は長くなるので、割愛するが、この旅で学んだことは、
イタリア人はテキトーだなー。
特にローマの観光地全開っぷりと、地元民のテキトーさと、料理の味の濃さが自分にとても合っていた。
元々ローマピザが私のルーツだし、日本に帰ったらローマ料理を本格的にやろうと思った。

日本に帰ると、私は東京に引っ越した。
情けない退任っぷりだったので関西から逃げ出したかったの。
20代前半は東京で過ごしたし、東京に友達多かったし。

吉祥寺に住んで、死にものぐるいで勉強して働いた。
もう二度と失敗したくなかった、絶対に復活しようと思った。
居酒屋、パン屋、燻製料理、カレー屋など、様々な場所でアルバイトをし、
時間があったら図書館にこもってずっと本を読んでいた。
この時に、勉強量や行動量ってめっちゃ大事だなあ、と思った。
1日12時間働き、6時間図書館にこもり、3時間睡眠、充実の日々だった。

余談。この時、西荻窪のペットショップで猫に一目惚れしてします。
後に店名にもなる、チーナ。超可愛い。
イタリア語でキッチンを意味する、クッチーナ、から名付けた。

東京に来て半年ほど経って、いつ再起業しようかと考えていた。
物件を探したり、銀行に相談に行ったりしていた。いやあ、東京、家賃すげえわ、と悩んでいた。
そんな時、母が重い病気で入院してしまった、2020年の今も治っていない。
実家の近くに帰ろう、と私は決意したが、実家がある神戸に帰ることためらわれた。
心が弱かったの。
実家に40分ほどで帰れる、大阪に引っ越すことにした。

大阪で就職しようか、独立しようか悩んでた時に、
肥後橋の物件に出会う。今のチーナ邸。

元々フレンチの居抜きだったそうだが、
不倫関係にあった男性シェフと女性オーナーが別れたので潰れたらしい。
なにそれ。駅から離れているけど、店はとてもきれいだったし、家賃も安い。
ここでお店をやることを決めた。

初期費用は300万円。
内装工事は全部自分で行った。
お金をかけない、人に頼らない、精神状態がそんな時期だったのだ。

今までの反省と経験を活かし、
社員は雇わずに自分一人で頑張ろうと決意。
経費をかけずに、耐え抜こう。
神戸のお店は費用をたくさんかけて、売上を伸ばしまくったが、
私にはそのやり方が合わなかったかもしれない。

人を雇わず、自分ひとりで、売上よりも良い店を作ろう。
2020年の今でも続くローコスト経営が始まった。

2012年9月9日、大阪1号店チーナ邸オープン。
廃業から9ヶ月で再起業。

トラブル多発だったが、お店は順調な滑り出しだった。

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