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文章修行日記・二十一・「才能について」

「才能について」
才能については学歴について言われることと似ている、学歴がある人は学歴なんかなくても良いと言い、学歴が無い人は無いよりはあった方が絶対に良かったと思う人が多い、
才能に関しても同じ、才能がなくてもできる、才能の所為にするなという人は大体才能に恵まれて世に出ている人が多い、才能が無い人ははっきりと才能の有無を自覚している。
例外はあれど余程のバカでない限りどちらが自分を含む多くの場合に正しいと言えるかは考える余地がない、
学歴が無くても良い、才能なんて甘えという言葉には気を付けた方がいい。

「ポエム風」
ポエムっぽくてわからないとか、相手を煽るときにポエムみたいなこと言うな(大意)なんかネガティブな意味で使われることが多いけれど、もちろん全ての場所でとは言わないまでも発言をすべて明確に定義された言葉であいまいさの一切ない確実な言葉で話すようになったらロボットみたいでさぞつまらない世界になるだろうなと思う。近頃ますますポエミーさがなくなりそうで本当に嫌な感じ。

「金持ちと貧乏人は仲良くなれるか?」
なれないと思う。多くのそれなりに余裕を持っている人は資産運用だの貯金だの老後のどうのこうのだのと言った話をするが、大方の貧乏人はそんなこと考える余裕がないし勉強もしない、目の前にある生活が大事だから趣味に走ったりする、そういうことだからいつまでも貧乏なんだっていう理論の展開をする人がいるが、それはそもそもその人がお金を持っているから言えることであって貧乏な人の生活や気持ちや暮らしを全然理解できていないし、する必要もないと思っているし元々想像力もないんだと思う。

「親から遺産を受け継ぐということ」
それがいいのか悪いのかは場合によるけれども多分生き方がつまらなくなりがちになりそうには思う、それまである程度このくらいは相続できるだろうなと思っていてもいざ自分のものになると限りあるお金で何かを楽しもうという感じがなくったり、そこから派生する感情としてモノに対する執着などもなくなるのではないだろうか?それでいて自分で稼いだお金じゃないからそれを有効活用する方法を知らない上に稼ぎ方も知らないから目減りしないように気を使う様になるのではないだろうか?
最近友人にそういうことがあり本人は自覚してるのか、多分自覚してないと思うけれど、以前からそういう傾向はあったが段々物事に関心がなくなり話題がどんどん減っていってついには何にも関心がなくなり、向こうからはなんかこちらの値踏みをするような生活の話しかしない、こちらを値踏みすると言うのはお金の使い方に対して僕が友人の少しでも上を行っていないかということ、つまり常に自分が上に居ることで何かの安心感を得ているらしかった、そんなわけでついには何を話していても急にお金の話をし始めたりしてかなり戸惑っている、さらに悪いことには最近やっと言わなくなってきたが依然散々聞かされていた家柄自慢が再開されるようになった、もう正直会うの嫌だなと思っていてるけれど結構長い付き合いなのでとても悩んでいる。1年くらい距離を置こうかなと思うけどそれをしたらたぶん二度と会わなくなるような気がする。

「ないわーと思う事」
突然Amazonほしいものリストを公開するようになる。

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