坂上啓甫(さかがみ けいほ)

読んで下さりありがとうございます。形式に囚われず自由に好きなことを書いています。いつか…

坂上啓甫(さかがみ けいほ)

読んで下さりありがとうございます。形式に囚われず自由に好きなことを書いています。いつか文学系イベントに参加するのが夢です。フォロバしません、読んで下さった上でのハート以外は自分にとってはただの痛み。雑多な妄言→https://twitter.com/morajinasodobim

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文章修行日記・二十六・「『残穢』(小野不由美)感想文」

「『残穢』(小野不由美)感想文」 ホラー本を求めていると必ずと言っていいほど出て来る本、何しろ怖い、もっているだけでも怖いというので映画は見ていたが本は読んでいなかったのでついにという感じで読んでみた。 結果的に言えばそんなに怖くなかった、怖さで言えば映画の方が怖かった。 読んでいる間のイメージとしては常に俯瞰的であまりに冷静に淡々と書かれているのであんまり怖さを感じない、描写を見ても超常現象的なホラーなのか怪談的なホラーなのか、人が怖いというホラーなのかイマイチよくわから

    • 文章修行日記・二十五・「自分に核が無い人は他人に答えを求めがち」

      「自分に核が無い人は他人に答えを求めがち」 世の中こうした方がいいああした方がいいという記事に溢れている、 けれどもそれが無理に自分を曲げることであったり、過度にストレスを感じることであれば、自分の少し悪いなと思える部分を個性に変える方向で考えた方が良いのではないだろうか? もちろん自分の行いに核たるものがあり、それが自分の考える正しいこと善いことに外れないというのであれば、もうそれは変える必要がないというか、わざわざ自分が悪と考え、善くない事である方向に向かう必要はないから

      • 文章修行日記・二十四・「クリスマスの過ごし方(悪乗り)」「お正月に向けて」他

        「なんだか急にフォローしてくる人が増えた」 たぶん彼らは「ある言葉」を辿ってくる、死肉にたかる虫のような人をフォローはしないし、フォローされたくもないので即ブロックした。 「お正月に向けて」 お正月に向けて図書館で大量に本を借りてきた、いつもお正月はさほど興味のない箱根駅伝を見て2度寝して食って寝るだけなのでどれくらい読めるかわからないけれども今年は少し違う感じになりそう、図書館は宝の山だ、あるゲームで本を集めている少しイカれたリーダーがいたが、本の価値をわかっているのは評

        • 文章修行日記・二十三・日記特別編・「鬼滅の刃の無限列車編でどうしても気になってしまう疑問」(ネタバレあり)

          「鬼滅の刃の無限列車編でどうしても気になってしまう疑問」 (ネタバレあり) 鬼滅の刃の無限列車編で未だに疑問に思うのが産屋敷耀哉はなぜあの3人組を柱に合流させたのだろうか?ということ。柱を行かせるくらいだから相当警戒はしていたはずであの時点ですでに鬼殺隊に数名の犠牲が出ていることと柱が直接動くとなれば十二鬼月を想定、仮に十二鬼月の下の方一人と想定していれば柱一人で十分、鬼が複数人であることを想定し柱プラス協力が必要と考えた場合と万が一、十二鬼月の上の方をほんの少しでも想定して

        文章修行日記・二十六・「『残穢』(小野不由美)感想文」

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          そういえば日記の方に書いた友人が最後の方まで持っていたワンピースへの興味も「FILMRED見ました?」(俺は全然興味なし)「見てない」×2の流れにより喪失したことがほぼ確定、もう駄目だあれはある意味廃人だ、その他色々あり俺にできることがなくなってきたっていうかたぶん無い。

          そういえば日記の方に書いた友人が最後の方まで持っていたワンピースへの興味も「FILMRED見ました?」(俺は全然興味なし)「見てない」×2の流れにより喪失したことがほぼ確定、もう駄目だあれはある意味廃人だ、その他色々あり俺にできることがなくなってきたっていうかたぶん無い。

          警察は警察だからそれっぽくしてるだけ、ヤクザはヤクザだからそれっぽくしてるだけ、大人は大人だから。当たり前すぎてつまらない退屈な話。

          警察は警察だからそれっぽくしてるだけ、ヤクザはヤクザだからそれっぽくしてるだけ、大人は大人だから。当たり前すぎてつまらない退屈な話。

          面白いんだか不謹慎なんだかよくわからない話、少し前どこかの配信で「レジ打ちのおばあさんから唐突に『私末期がんだからあなたは好きなもの食べてね』と言われて困った」というコメントを見て確かにそうだよなあと思って爆笑してしまった、しかし今考えると何が面白くて笑ったのか全然わからない。

          面白いんだか不謹慎なんだかよくわからない話、少し前どこかの配信で「レジ打ちのおばあさんから唐突に『私末期がんだからあなたは好きなもの食べてね』と言われて困った」というコメントを見て確かにそうだよなあと思って爆笑してしまった、しかし今考えると何が面白くて笑ったのか全然わからない。

          自分が小さい頃は両親、祖父母、幼稚園の先生、本に出て来る偉人くらいまではキレイな大人だった、今の子供たちはどうなんだろうか?ネットを見れば偉人と言われる人にもそれなりに汚い部分があって、大人は汚い話ばかりしている、そういう大人を見て育ったらどんな人間になるんだろうか?

          自分が小さい頃は両親、祖父母、幼稚園の先生、本に出て来る偉人くらいまではキレイな大人だった、今の子供たちはどうなんだろうか?ネットを見れば偉人と言われる人にもそれなりに汚い部分があって、大人は汚い話ばかりしている、そういう大人を見て育ったらどんな人間になるんだろうか?

          文章修行日記・二十二・「読書感想文・ぼっけえ、きょうてい(岩井志麻子)」他

          「つぶやき」 今まで何年くらい分からないくらいTwitterで色んなことをつぶやいてきたけれどなんの反応ももらえなかった、壁打ちのようにつぶやく言葉は反響して心を傷つける、だから可能性を求めてnoteでもつぶやいてみることにした、自分は何をしても誰とも繋がりを持てない、そういう運命なのかと感じている。 追記 両方でつぶやき、使い分けることにした、Twitterはほとんど誰の目にも触れないが(一人?だけ見てくれてる人?がいる)それはそれで利点がある。 「読書感想文・ぼっけえ、

          文章修行日記・二十二・「読書感想文・ぼっけえ、きょうてい(岩井志麻子)」他

          たまに自分の中よくわからない衝動が極まってよくわからないものと闘い始めたりする、すごく疲れる。

          たまに自分の中よくわからない衝動が極まってよくわからないものと闘い始めたりする、すごく疲れる。

          感情が本当か嘘か証明することはできない、文字、音符、絵の具、どれを使って表しても、それは証明にはならない、だから自分の事も他人の事も本当に理解することはできない。それが上手にできた泥団子かそうでない泥団子か違うのはそれだけ。

          感情が本当か嘘か証明することはできない、文字、音符、絵の具、どれを使って表しても、それは証明にはならない、だから自分の事も他人の事も本当に理解することはできない。それが上手にできた泥団子かそうでない泥団子か違うのはそれだけ。

          人の悲しみは人それぞれだから、お前に何がわかるって言われたら「そうだね」って答えるしかない、恋人だったら共に悩むだろうし、友人だったら慰めもするだろうけれど、どこの誰だかわからない人の心まで推し量れるほどの余裕なんてない。

          人の悲しみは人それぞれだから、お前に何がわかるって言われたら「そうだね」って答えるしかない、恋人だったら共に悩むだろうし、友人だったら慰めもするだろうけれど、どこの誰だかわからない人の心まで推し量れるほどの余裕なんてない。

          「マトリックス レザレクションズ」ってもう公開されてたんだな、知らなかった、まあ見ないけど。「マトリックス」はそれ以前以後に分けられるほどの映画だったけれど2、3は退屈すぎて良かったのはネオとアーキテクト、ネオとメロビンジアンの会話部分だけ、1とその場面だけは今でもたまに見る。

          「マトリックス レザレクションズ」ってもう公開されてたんだな、知らなかった、まあ見ないけど。「マトリックス」はそれ以前以後に分けられるほどの映画だったけれど2、3は退屈すぎて良かったのはネオとアーキテクト、ネオとメロビンジアンの会話部分だけ、1とその場面だけは今でもたまに見る。

          文章修行日記・二十一・「才能について」

          「才能について」 才能については学歴について言われることと似ている、学歴がある人は学歴なんかなくても良いと言い、学歴が無い人は無いよりはあった方が絶対に良かったと思う人が多い、 才能に関しても同じ、才能がなくてもできる、才能の所為にするなという人は大体才能に恵まれて世に出ている人が多い、才能が無い人ははっきりと才能の有無を自覚している。 例外はあれど余程のバカでない限りどちらが自分を含む多くの場合に正しいと言えるかは考える余地がない、 学歴が無くても良い、才能なんて甘えという

          文章修行日記・二十一・「才能について」

          文章修行日記・二十・「うちの弟が永平寺に入らされそうになった話」「作品の発表について」等

          「韓国の映画『コンジアム』の感想」 「グレイヴ・エンカウンターズ」のかなり徹底した丸パクリなんだけれど、例えパクリと言えど日本の若手?のホラー監督でここまで面白くできる人がいるのかと考えると少し切ない気持ちになる。 「文章修行日記について」 もはや修行にも何にもなってないので再度やめようかと考えたけれど毎日文章を書くとかそういう意味的なあいまいな感じでとりあえず続けてみる、しかしそうなると改めてTwitterと何が違うのかということになるけれど、こっちは文字数を気にせずに書

          文章修行日記・二十・「うちの弟が永平寺に入らされそうになった話」「作品の発表について」等

          文章修行日記・十九・特になし

          「スキ2の内訳」 スキ2  内訳 いつもスキしてくれるありがたいファン フォロワー増やしたいらしき僕のファン 実質0 さすがに凹む 「自己満足」 結局2週間ちょいかけて書きそれなりに自己満足はしていたのでこの結果は当然と思いつつも思ったよりダメージが大きい、多分最後まで読んでくれた人もいないと思う、自分の行っているあらゆる活動でほとんど反応が無い状態、今回にしても文章や設定の稚拙さ、ただの自己満足的な作品に見られてもそれは当然のことだと思う、ただ少しも気持ちが重なる人がい

          文章修行日記・十九・特になし