見出し画像

【書評】 人生には明らかに意味がある 『自虐の詩』

ほぼ毎日読書をし、ほぼ毎日「読書ログ」を書いています。64冊目。

『自虐の詩 (上) 』(業田 良家)
『自虐の詩 (下) 』(業田 良家)

先日、読書会で瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』を読んだ。2019年の本屋大賞になった作品だ。詳しい(そうでもないけど)感想については後日noteに書くとして、とにかく不思議で幸せに満ちた作品だった。

『そして、バトンは渡された』の主人公である優子さんは、ある得ないほどの複雑な家庭環境の中で、はたから見たら不幸としか思えないような状況で生きているが、本人はとても幸福に暮らしている。

優子さんは、素晴らしい人々にかこまれ、愛され、普通ではない環境を軽やかに受け止め、自らの幸せを掴み取っていく。

いやぁ、いい話でした。すっごくファンタジーではあったけど、心温まる話で、最初から最後までホッコリですよ。

そんなホッコリした読書会のあと、車で家に帰りながら、ずっと、日本イチ泣ける四コマとして誉れ高い『自虐の詩』の幸江を思い出していた。

『自虐の詩』の主人公である幸江は、バトンの優子さんとは真逆の人生を歩んでいる。はたから見たら、不幸を絵にかいたような転落人生だ。でも、根っこで優子さんと幸江は近いところに居るなと。幸せに関して「足るを知る者は富む」というか。

幸江は、仕事をせずに金をせびる内縁の夫であるイサオ(元ヤクザ)と二人で暮らしている。イサオは常にタバコを咥え、酒に酔い、外でも自宅でもギャンブルに明け暮れ、気に食わない事があると家でちゃぶ台から何から、なんでもかんでもひっくり返す。

幸江が定食屋の仕事で稼いだお金は、イサオがすべて呑みこんでしまう。

それでも幸江は幸せを感じている、どんなに冷たくされても、幸江はイサオの事が大好きだ。

側から見たら不幸かもしれない。でも、幸江には関係ない、イサオが居ればそれだけで幸せだ。

幸江は、定食屋のマスターにプロポーズされても、隣の世話焼きおばちゃんに諭されても。幸江はイサオに尽くすことをやめない。

最初はそういう設定のギャグ漫画として読むわけです。上巻までは。

貧乏な生活の悲哀を描き、4コマ目で、イサオが「でえーい」とちゃぶ台から雀卓からなにから、何でもひっくり返してハイおしまい。

この繰り返しが続く。正直、上巻はこれが続くので退屈する事もある。だが、これが重要なのだ。この反復が心にリズムを作っていく。

そして、そうこうしているうちに、下巻に入り、幸江の子供時代のエピソードが差し込まれていく。

幸江の子供時代は、案の定の荒みっぷりだ。

借金取りから逃げ回る父親と二人で暮らし。学校では居場所が無く、子供ながらに新聞配達のアルバイトで生活を支える。つつましく父親を支えながら暮らしていたが、やがて父は夜の女に入れ込み、金を作るために強盗を働き逮捕される。幸江は、地元を追われるように出ることになる。

「嬉しい時も 悲しいときも あなたと友達でいる ずっと友達でいるーー」と(殴り合いの末に)誓い合った唯一無二の大親友、熊本さんとも離れてしまう。

生きる為に東京に逃げ込んだ幸江は、やがてヤクザの下で薬漬けの立ちんぼとなり、自殺未遂までするようになる。

そんなとき、幸江の前に下っ端ヤクザのイサオが現れる。でえーい!

このあたりまでくると、もう、涙腺崩壊の準備は万全だ。「もうだめだ」となる。

『そして、バトンは渡された』の後に読み返したときは、宛先もわからない母に手紙を書き、ポストへ投函する所でやられた。泣ける。

相変わらず熊本さんも最高だ。(熊本さんは本当に最高だ)
※熊本さんは最高である

幸江は他人からみたら不幸にしかみえないが、イサオと一緒になったとき、すでに幸せを手にしているのかもしれない。金を無心されようが、ちゃぶ台を返されようが、そんなことは些細な事なのだろう。どうしようもない二人なんだけど、どうしようもない生活なんだけど、二人はとても幸せなのだ。

そして、その幸せはこれから生まれてくる子供に渡される。皆に幸あれ。

この漫画、3年に一度くらいのペースで読みたくなる。そして、毎回泣く。

「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。