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コントロールする強さではなく、寄り添い受け入れる強さ

生理前の黄体期は、『内なる秋』の時期。

体が妊娠準備に入るのに伴って、心も自分を守ろうと、
外へ向かう社交性が薄れて、どんどんベクトルが自分の内側へ向かい、
内なる春夏の時期には行けないレベルの内側意識にまで到達できる。

それにより、

普段見ないようにしているもの、後回しにして向き合っていなかったこと、表現を我慢させていたことが明らかになってきます。


今回の内なる秋の時期にわたしの中から浮上してきたのは、
”昔に抑えた怒り”。

すっかり忘れていた出来事です。

わたしは普段から荒波立てず穏便に運ぶために感情を押し殺しがち。

その場にとって喜ばしい状態に自分を合わせがち。

怒ったりしてその場の空気を悪くしたくないと常々思っている。


でもその表現しなかった感情は、

無かった事に出来ていなくて、

隠したって消えていなくて、

ちゃんと感じ切ってあげないとその感情は成仏できないのだ。


忘れていても、その表現されなかった感情はわたしの中にずっと留まっている。
蓋をして外に出さなかったので、その怒りのエネルギーの矛先は、蓋で跳ね返されて自分に向かっている。
そして自分自身への怒りとなってしまう。


今回、自分が思っていた以上に怒っていたんだと気づきました。

未完了の感情って、自分が思ってる以上にその感情なのだと思います。


”「自分が信じている自分像」と「真実、本音」の違い”

そんな見たくないものが明らかになりやすい時期だからこそ、
心揺さぶられても最後まで自分への愛を貫くことを肝に銘じて、
体と心からのメッセージをしっかりと聞くようにしています。


『怒ることは良くない』というのは、ウェルネスに基づいてではなく、周りの目を気にする文化的な価値観に基づくものであり、

適度にちゃんと怒りを表現するということは、本来健康的なもの。

悲しかったら悲しいままで、

怒りたかったら怒らせてあげる。

自分の感情を経験させる。

「この陰の感情は生産性ではないし、暗いし、前向きなものにさっさと取り換えましょう。」と機械を修理するようにではなく、

ちゃんと人間として見てあげる。


もちろん上向きのポジティブな感情も大事。

でも、涙が下に落ちるように、下向きの陰の感情にも

『外に流す』という大切な役割とプロセスがある。

(ちなみに、この感情のプロセスって、漫画『鬼滅の刃』で、鬼が主人公の炭次郎にやられて死ぬ時、炭次郎が優しくその鬼が持っていた悲しみや憎しみに敬意をもって寄り添うことで、鬼が涙を流して跡形もなく成仏して消えていくシーンに似てませんか?この漫画に心打たれる人が多いのは、決して、アニメの中のことだけだと思えないからではないでしょうか。)

自分の陰を受け入れることができるようになると、ポジティブなキラキラパウダーをまぶして誤魔化し続けていたら感じられなかったであろう深い深い安心感を常に感じていられるようになりました。
隠して見えなくするから怖いのであって、避けたいのであって、知って受け入れると、器が大きくなり、陰も陽も同じ目で見られるようになり、ドーンと構えていられるようになります。

ネイティブアメリカンの間では、

『最初の月経で少女は叡智に出会い、月経を通してその叡智を学び、閉経とともに彼女はその叡智そのものとなる。』

との言い伝えがあり、わたしはその考えが好きです。

だから、内なる秋の時期を、ただ、

生理前だからイライラしたり落ち込む時期

ではなく、

女性性の力を育むチャンスの時期と捉えています。


感情を、命を、自由に表現させてあげる舞台をつくり、
陰の感情も陽の感情も受け入れられる器の大きい存在に、

悲しみの中にある人にも、それを無理に変えようとせず、寄り添える人に、

少しづつ近づけている実感があります。

【ご参考】内なる秋の過ごし方の例をいくつか記事にしています↓

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