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タラションコル・ボンドパッダエ『船頭タリニ』

 今回は近現代のインドの作家の小説を紹介する。インドの作家の作品など日本に住んでいると意識しなければ読む機会はないし、意識しても出版されている本は数えるほどしかないわけだけど、自分が良く知らない国の小説は読んでいると、異国の風景や人の暮らしぶり、さらにそこの人の考え方が垣間見えて面白い。こういう小説を現代インド文学選集として読めるようにしてくれた、めこんという出版社と大西正幸さんという訳者の人には感謝だ。
 今回紹介する小説『船頭タリニ』は小説七篇が収められた短編集の表題作。この小説を読むとインドの人の暮らしや思考回路がよくわかる。この小説の主人公はタリニといって、モユラッキ川というインド東部の川の船頭をしている。物語の前半はタリニが船頭をしている日常が描かれる。7ページからちょっとだけ引用する。

 タリニは煙管でタバコをふかしながら、大声で叫ぶ、「ここまでですぞ、ご婦人方、皆様、ガンガーで沐浴なさって、功徳を山のように積みなすって、その重みで舟が沈みそうですぞ!」
 ばあさんが一人声を上げる、「もう一人だけ頼むで、この男の子をな」。向こう岸から叫ぶもある、「おおい、シャビ! あんた、早く乗って来なさい! 戦争の雄叫びじゃあるまいし、そんな大口あけて、笑っている場合じゃないわよ!」
 シャビ、すなわちシャビトリはまだ小娘で、隣村から来た娘たちと噂話にうつつを抜かし、笑い転げている真っ最中だった。彼女は言った、「あんたら先に行きなさいよ。あたいらみんな、次の渡しで一緒に行くから」
 タリニは言う、「いや、姉さん、あんたはこの舟に乗っとくれ。みんなに一度に乗られた日にゃ、舟が沈んじまうからな!」
 おしゃべりのシャビは言い返す、「沈むとしたら、ばあちゃんたちのせいだよ、船頭さん! なんせ、10度も20度もガンガーに行った人たちばかりだもの、あたいらはみんな、たった一度だよ」
 タリニは拝むように手を合わせて言う、「おやおや、姉さん方、初めてだというのに、もうガンガーの川波をたっぷり頭に乗せて来なさったわけだ!」
 巡礼たちの群れは笑いにさんざめく。タリニは竹竿を手に、小舟の舳先にひとっ跳びで跳び乗る。

 ちょっと思って長くなった(いつものパターン)。タリニと客のやりとりが生き生きと描かれている。背景を補足すると、お客の女性たちは厄払いの帰りだ。インドでは、インド暦で雨季の最初の月の七日にヒンドゥーの寡婦たちが火で調理した料理を食べることができないという。この日から三日間、大地母神が月経で血を流すと信じられ、土地を耕すことが禁じられる。とまあ、この場面の背景にはインドの文化が横たわっているわけだが、読んでいるとインドの女性の元気さににんまりしてしまう。
 次に引用するのも思わずにんまりするいい場面だ。タリニは船頭をしながら、ときどき川に落ちた人を助けたりもするのだが、ある日そのお礼としてもらった鼻飾りを手に、いつものように仕事帰りに酒を飲んでから家に帰る。家には妻のシュキが待っている。16ページ。

 小鉢を手で支えて飯の残り汁を飲ませながら、シュキはタリニの腰の結び目をほどき始めた。鼻飾りと三ルピーが出て来た。
「あと二ルピーはどこなの?」
「ケレにな――あのケレに、やっちまったんだよ――そおれ、おまえの分だ、ってな」
 シュキは、これを聞いても何も言い返さなかった――そうするのは彼女の性分ではない。
 タリニはまたしゃべり出した、「ほらあの、おまえが病気になった時、郵便が向こう岸に届けねえってんで、警察の旦那が舟着場にすわって、困って汗をたらたら流してな――そうだとも、あの時のご褒美が、おまえの耳飾りだ。――さあおまえ、とっとと行って来い―川岸から大声で叫ぶんだ―おい、恥知らずのモユラッキめ! 水嵩を増しやがれ!ってな。そうすりゃ、水も増えるだろう。さあ、とっとと行け!」
 シュキは言った、「ちょっと待って、鏡を持って来るわ、鼻飾りをつけてみるから」。タリニは嬉しさのあまり口をつぐんだ。シュキは鏡を前に置いて鼻飾りをつけはじめた。タリニは口をあんぐりあけて、彼女の顔の方を見つめながらすわっていた――飯を食べるどころではなかった。鼻飾りをつけるのが終わるや、彼は食べかけの手にランプを捧げ持って言った、「おい、見せろや!」
 シュキの顔に、歓喜の表情が浮かんだ。輝くばかりに黒い彼女の顔が、鮮やかに火照った。

 いいですね。タリニが照れ隠しに訳が分からないことを言ってるところがいい感じ。インドの人の素朴な人柄よく描かれている。女性は夫を支えている感じ。昔の日本もこんなだったかもしれない、とも思うけど、上の場面と合わせて読むと、シュキが特にそういう女性だという感じがする。
 こんなほのぼのとした感じが続くかというと、そんなことはなく激動の展開で、最後は悲劇がまっているのだが、そこは是非読んで確かめてみてください。しっかし、インドの作家の作品を読めて、こうやって紹介できるのって、なんというかすごいですね。また日本から遠く離れた国の小説を紹介します。小説ってプルーストがすごいとか、トルストイがすごいとか、いやメルヴィルがとか、カフカがとか、欧米文学やロシア文学が全てではなくて、横にも伸びているし、そこからガルシア・マルケスのような化け物が出てくることもあるわけで、西欧文学とかアメリカ文学とかロシア文学が飽和しているとかいっても、全然別の国からすごい作家が出てくる可能性はあると思うんですよね。東欧とか、アジア、中東、アフリカとか要チェックです。モンゴルの作家がどんな小説を書くかとか想像もつかない。

 ではまた!

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