命在るカタチ 第六話「秋風の吹く日」(過去作品)

Life Exist Form-命在るカタチ
Wrote by / XERE & Kurauru

第六話
「秋風の吹く日」

 それは、秋の風が吹く日の出来事。
「……と、いうわけで……」
 黒板に何事か書きながら、社会科の教師が続ける。
「20世紀後半から中国で実施された『一人っ子政策』の結果、人口の比率において、六十歳以上の高齢者が格段に増加し……」
 柄咲達の方に教師が向き直る。
「20世紀末、日本において起こった高齢化よりももっとひどいのが……中国で今起こっている……という事だ」
 あくび混じりに聞き流す者。
 真面目に黒板を書き写す者。
 物思いに更ける者。
「日本においては……政府主導の元で介護設備の積極的導入が進んだ為……高齢化に伴う介護問題は緩和されはじめている。だが中国においてはその国土の広さがネックとなって……」

 キーンコーンカーンコーン……

「…………今日の授業はここまでとしよう……」
 起立、礼。
 どっと空気が緩み、休み時間への突入を知らせる。
「ぐぅ……あーーーっ……」
 高岡がぐぅっと背伸びをした。
「現代社会の授業って眠いよなぁーっ」
 けらけら笑いながら、後ろの席の柄咲に同意を求めてくる。
「あれさぁ、絶対ぇ催眠術か何か使ってるって……」
「……そおかぁ?」
 視線を窓の外に向けたまま、柄咲はぼんやりと答えた。
「高岡は殆どいつも寝てるような気がしてたんだが……」
「お、それはいわれのない誹謗ってもんだぜ?涼野クン」
 謂われのないことじゃないだろ……とは思ったが別に言うほどのことでもない。
「柄咲ぁ……」
 と、隣から間の抜けた声が響く。
「つまんない……」
「我慢しろ」
 うんざりしたような表情で、柄咲はこめかみを押えた。
「まあ、あと一時間で今日も終わりだしなぁ……」
 と、高岡杏里。
「そう考えるとちょっと気が楽になるよなぁ」
「そうだな」
 柄咲も『模範的』生徒ではないので、杏里の言葉はあっさりと頷ける。
「……介護だかなんだか知らないけどさぁ……こっちの環境にも投資してほしいもんだぜ」
 と、再び杏里。半ば愚痴と化しているが。
「うぐ……はふぅ……」
 と、机につっぷしたままの未羅。
 何か頭がぼんやりする。換気があまりされていないのだ。
「二酸化炭素中毒かな……」
 まとわりつくような眠気を漂わせる頭を振って、柄咲は小さく呟いた。
「あ、三枝ぁ」
 杏里が三枝に呼びかける。
 三枝美紀。
 眼鏡をかけたその姿はそれなりに知的な雰囲気を漂わせている。
 が、突撃娘的な彼女の日頃の行動を見知っている者は、その雰囲気をそのまま受け入れる事が容易ではない。
「マックバーガーでで一回オゴリね」
 悪戯っぽく、三枝はその唇の端を持ち上げた。
「それで、ノート写させてあげるよ」
「ち……」
 杏里は小さな舌打ちで答えた。
「……しっかし……実際の話……他人事じゃないんだよねぇ……高齢化問題って……」
「他人事だろ?隣の国の話じゃねーか……」
「馬っ鹿ねぇ……日本だって当面の介護問題からは解放されてるけど……その介護のお金何処から出すと思ってんの?自己負担だってあるけど、基本的には税金から出すんだよ?」
「それってつまり……」
「将来的負担は俺達にも分担される……ってこと」
 柄咲が分かりやすく言ってやる。
「げーっ!それじゃまた搾取(さくしゅ)されるってわけかよぉ……政府は何やってんだぁ?」
「さぁね?とりあえず、次の選挙の事でも考えてるんでしょ?」
 三枝の口調は案外辛辣だ。

 無駄話を続ける二人をよそに、未羅はごそごそと鞄の中を漁っている。
 ……中から一冊の本を取り出して、未羅はその本を読み始めた。
 何となく、柄咲は訊ねていた。
「…………何読んでる」
「本だよ」
 と、未羅。
「なあ」
 柄咲は、隣の席に座る未羅に話しかける。
「ん?」
 気の無い返事。
「何読んでる……?」
「だから、本だよ」
「本……」
 教室はクラスメート達の雑談ににぎわう。
 その中、未羅の周囲だけが異質な空気を放っているような気がする。
「……ページが少ないな」
「そうだね」
 あと5分程すれば、休み時間が終わって次の授業が始まる。
「文章が少ないな」
「そうだね」
 ぱらり……とページをめくる音。
「絵が多いな……」
「そうだね」
 窓から見える空は気持ちが良いくらいの快晴だった。
「……おまけにページ数の割に紙ばっかりむちゃくちゃ厚いな……」
「そうだね」

 空は抜けるような蒼さを見せて、雲の欠片を散りばめながら広がり続ける。……日常。

「…………」
「…………」
 しばし、何ぞやの沈黙。
 柄咲はおもむろに立ち上がる。

「それは絵本だろうがぁぁぁぁっ!!!」
 ……沈黙……
 ゆっくりと2秒ほどかけて、未羅は顔を柄咲へ向ける。
「……柄咲、うるさい」
 少々不機嫌な表情。
「どっから持ってきたんだそんなもぉぉぉぉんっ!!」
「家から」
「……持ってくるなぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「何で?」
 ……未羅はいたって冷静である。
「何で……ってお前……高校二年にもなって絵本なんか読むか?普通……」
「おもしろいから」
「…………」
 言い返す気力さえ失せた柄咲は、そのまま机に突っ伏した。
「……柄咲、変」
 …………どっちが?
「何考えてんだか……未羅は……」
 一人呟いて、はぅ……と深く溜息。
「いやいや、可愛いと思うけどなぁ。俺は」
 溜息をつく柄咲の横で、楽しそうに言うのは高岡。
「ほぅほぅ……サッカー部レギュラーはロリコン……しかも重傷……っと。またしても新事実発覚ね」
 等など、自分の席に陣取ってメモ取りに余念の無い三枝。
「コラ!誰がロリコンだ!」
「ふっ……!ムキになるあたりが余計怪しいわね!」
「っつーかなぁ!さっきまでマジな話してたヤツがゴシップ記事もどきのネタをかき集めてるんじゃねえええっ!!!」
「なにをぅ、言論の自由よ!」
 言論の自由……。
 公開の場で自分の主張を堂々と発表できる権利……。
 辞書的な文章が柄咲の頭の中を駆け抜けて行った。
「だいたい未羅ちゃんのどこが「ロリータ」なんだよ」
 ……杏里たちの年齢……16歳ってロリータの範疇なんでは?
 とは思ったが口には出さない。色々厄介なことになると困る。
「”はたらくくるま”とか”あるけうさぎさん”とかいうタイトルの絵本を読む女の子が趣味な人が! 重度のロリコンじゃなかったら一体何だってゆーのよッ!」
 ……三枝の奴……
 すでに周囲のクラスメートもお喋りをやめて、二人の口論を観戦している。
 中には露骨な野次を飛ばす者も。
「あのなぁ、お前ら……」
 いい加減に……
 不意に、がたん!と椅子に派手な音を立てさせつつ、三枝は勢い良く立ちあがった。
「私の義務は全ての真実を知る事よッ!」
 ……全く脈絡が無いと思うんだが……
 柄咲はいろいろ思うこともあったが、あえて沈黙を保つ事にした。
 矛先がこちらに向かってきたりしようものなら厄介この上ないからだ。
「故に私にかかれば全ての真実は白日の元にさらされるのよッ!」
「他人の迷惑を考えろぉぉおおぉぉおぉっ!!!」
 好き勝手な事を喋りつづける三枝に対し、絶叫をもって反論する高岡。
「甘いわね!全ては知的好奇心の為よッ!」
 疲れ果てた様子で、がっくりと肩を落とす高岡。
「……お前……友達無くすぞ……」
 ぽつり、とそれだけ呟く。
「まあ、それはどうでもいいとして……」
 場をとりなすように、柄咲が言葉を挟む。

    ……キ―ンコーンカーンコーン……

「チャイムが鳴るぞ」
「もう鳴ったって……」
 苦笑でもって答える高岡。
「未羅!本はしまっといた方がいいぞ!」
 耳元で忠告する。
 ……ふつうに言っても反応が無いのだ。未羅の場合は。
「……うん……」
 気の無い返事を返して、未羅は机の上の絵本3冊を机の中へ押しこんだ。
 ……ちなみに、今読んでいたのは『アリババと四十人の盗賊』だったようだ。
「これ、読む?」
 ひょい、と一冊の絵本を差し出す未羅。
「おもしろいよ?」
「……読まねーよ」


 六時間目の古典も終わると、各々帰り支度を始めた。
 教室に残って、クラスメートと雑談に興じる者達の姿も見える。
 今週は掃除当番では無いし……
 柄咲は早々に帰る事に決めた。
「よ、帰宅部はどぉすんだい?涼野ぉ♪」
「帰るに決まってんだろ」
「杏里は……さっかー部?だったよね」
 何処か浮世離れしたような声は、未羅の声だ。
 杏里はサッカー部所属だ。
「ああ、レギュラーだしな……。それで、未羅ちゃんは?どぉする?」
「うん……ボクも楽しんで帰る」
 ……………………………………
 場がほんのゼロコンマ数秒凍り付く。
 未羅が一人称を「ボク」と言ったことによる違和感もある。
 そして、その言葉の内容。思い出される3日前の会話。
「俺の言った事を本気にしてるのか? 未羅……」
「何が?」
 真顔で問い返す未羅。
「いや、楽しんで帰るって……」
「たのしんで帰っちゃいけないの……? きたくぶって」
「…………」
 杏里の頬に一筋の汗が伝っている。
「帰宅部っていうのは……ただ単に、部活をやってない連中の事をそう言う風にいうだけだ」
 柄咲が素早くフォローを入れた。
 未羅の方は、
「ふーん……」
 と、呟きつつ、納得するように、でも納得してないような顔でこくこくと頷いている。
 不意に、その顔を上げて一言。
「……柄咲、嘘吐き」
「あんなのを真に受けるヤツが居ると思うかっ!」
「あはははははははっ」
 杏里は思いっきり笑っている。
「ははは未羅ちゃんははは可愛い……ははは……♪」
「ただの天然ボケだろ……」
 ……っつーか、常識はずれの無知。
「ね……ねぇ、未羅ちゃんっ、一緒に帰ろうよ」
 場を取り成すように、三枝が提案する。
「あれ……?美紀、しんぶん部は?」
「うん、あるよ。だから昇降口までだけどさっ」
「うん、分かった。一緒に帰ろう」
 小さく表情を綻ばせて、未羅は笑う。
 元が良いゆえか、それだけでも随分と彼女を彩ってみせる。
「柄咲も行こう」
「…………ああ」
 そこで何故にいちいち俺に振るんだ……
 杏里と三枝が、肩を震わせて必死に笑いを堪えていた。
「三枝……」
「なによ…………」
「……校内新聞には載せるなよ……」
 柄咲はそのまま去っていった。


「だからさ、今度一緒に買い物に行かない?」
「うん、行こう」
 廊下の前を歩きながら話し続ける、未羅と三枝の二人を尻目に、柄咲はぼんやりと物思いに耽っていた。
 すっ、と柄咲の横を誰かが通り過ぎる。
「?……」
 背丈が低い……小学生?いや、違う……
 ……清掃用のロボットだな。
 表面的には人間に似せて作られた、清掃用のロボットだ。
 授業で言っていた『介護設備』のマイナーチェンジバージョンだと考えれば手っ取り早い。
 ちゃんと話しかければ言葉も返ってくる。
 身長は120cm程度……小回りが効く方が動きやすいから……というのが小型化の理由らしい。
 実際の話、ここまでヒトに似せる必要も無いのだろうが……ロボットロボットした……例えば昔の映画とかに出て来るようなロボットでは精神衛生上悪いから……と言う事らしい。
 あの無表情さえ無ければ、……最近増えている……少女趣味のある連中には受けそうな感じだ。


「…………」
 立ち止まっていると、杏里が話しかけてきた。
「?……どしたの?涼野君……」
「いや、別に……あのロボットが……いや……大したコトじゃない」

            無表情?

「そこの清掃ロボットの女の子ぉ♪君名前は?」
「……高岡おまえ……女のカタチしてれば何でも良いのか……」
「え?あの……いやその……失礼な!」
「私は、テクニカルライフルーツコーポレーション製、エイチ、エー、の、エフ、さん、さん、ぜろ、いち、清掃専用タイプです。なにか、ごよう、が、ありますか?」
 非常にゆっくりとした声、だが音そのものは自然きわまりない。
 前世紀の漫画ではだいたいロボットの台詞がすべてカタカナだったがそんな不自然さは、このHA-F3301清掃タイプにはまったく当てはまらないようだ。
 むしろとても澄んだ、非常にきれいな声……いや……鈴を転がすような声……というのはこういう声の事を言うのかもしれない……
「いや、掃除がんばって……くれ……な。ごくろうさまっ」
 自然と杏里の声もゆっくりになっていく
「ありがとうございます。がんばります」
 ロボットはそう言うと、にこやかな微笑を返した。
 完璧すぎる笑顔は、妙な不自然さに彩られていた……。
 そこに、なぜか俺は悲しさを覚えた。

 ……前にも、こんな……
         こんな感じがあったような……

「いやー柄咲。ロボットとはいえ、可愛かったよな。あのコ」
「まあ、そうだな」
 否定はしない。
 見てくれが愛らしいのは……事実だから。
「ロボットだからこそ、あんだけ可愛いのかもしれねぇよな」
 けらけら笑って、杏里が口にした言葉。
 ……そう……そうかもしれない……
 その言葉を口に出すよりも早く、柄咲は歩き始めていた。
 ……深い意味なんて無い。
 …………無い筈……なんだ。


 なにか……何かが……何だろう……この感じ……


既視感

            前にも見たカンジ。


 アメリカ ニューヨーク
 『ライフ・ルーツ・コーポレーション』社長、クリストファー新條。
 ここは本社ビル社長室の扉の前だ。
 がしゃああああっん  ガン ガッ ガタガタ
 派手な音。
 続いて怒鳴り声が聞こえる。

 その女……秘書……は、一瞬だけノックをしようとした手を躊躇させた。
 が、それも一瞬。

 コンコン
 無機質な音が響く。
 さながら、何事も無かったかのように。

「社長」
 扉を開いて、彼女は中へ足を踏み入れた。
「…………ラミア君……」
 これが彼女…秘書の名前だった。
「日本のHA研究所からの『プロジェクト フェミニニティ』の資料報告です」
 淡々と言う。
「それと……」
「何だ」

 地面に転がるモノは
         人を模したヒトで無いモノ……
 どろりとした液体が床を濡らしている。
 首を引き裂かれて、無残に転がる、ロボット。
 死んではいない。
 動かなくなった…………
             だけ、のコト。

「……清掃にはHA-M4042を配備させます」
「勝手にしてくれ……」
「また暴走ですか」
「いや、ただの憂さ晴らしだ」

  部 屋。大きな。
  ニューヨーク。アメリカ。
  一面ガラスの窓から
  修復された自由の女神が遙か遠くに見える

腰掛ける男
       煙草に火をつけて……

やがて 夕焼け。

 あかい ひざし が へや を あか く そめる。

ブラインドを下げて……
モニターを見れば そこにはテクニカル ライフ ルーツの資産総額や売り上げが表示されている。


 青 い 絨毯 に 赤 い 液体


 ……その部屋に、血の臭いはなかった。


 150階建てのビル。
 最上階にあるのは社長室
 エレベーターで下って行くに連れて、そこには人の数が増えて行く。
 ……社員専用の職場スペースだ。
 五階ごとに、人工の碧をあしらった公園設備が整えられている。
 立体CGで塗り固められた空から降り注ぐ光、
 メンタルヘルスを図る為の、擬似の自然。
 ストレスから逃げるための、作り物。
 たまに『公園』を訪れて気分を変えて……人々は仕事を続けている。
 ある人は電話を受け、またある人は退屈な雑務をこなし……、ある人はロボットではできない細かい部分の清掃を……

 オフィス。

        響く。

   計器の音

        キーを叩く音

   声

        コエ                   ヒトの……

   無機質の中に響く声

 何処か 虚しくなってしまう……


 さらに下ると、多くの『作品』が並べられている。
 ……ショールーム。
 今までに作られた製品がずらりと並べられている。
 一階がフロントだ。
 ホールとなった一階の床には、テクニカル ライフ ルーツ コーポレーション社のシンボルマークが、大きくタイルで描かれている。
 地下は居住スペース……最下層の地下50階には、サブウェイ(地下鉄)の駅がある。
 地上150階建て、
 周囲のビルと比較したら、どちらかと言えば小さい方だ。
 真上から見ればほぼ正六角形を描く形のビル。
 下から見れば、細長いピラミッドに見えなくもない。
 見上げるような高さ。
 ニューヨークではもはや常識レベルの話。


 …………そこが、
                テクニカル・ライフ・ルーツ・コーポレーション…………

 

 俺は高岡と別れると、帰路についた。
 夕暮れの商店街
 なんだか、最近前にもたびたび同じ事を経験したような気になる。
 既視感、という奴だ……
 だが、たとえそう感じても……
 たとえ同じ事の繰り返しでも……
 商店街にいくと、八百屋が大声で呼び込みをする声が聞こえたり、活気があって俺は好きだったりする……
 別に八百屋がある必然性はない。
 一時期は無人のマーケットが流行ったりもした。
 だが、結局人は人とのふれあいを求めたんだ。
 皆、わざわざ無駄なことを……している。それも、必要なことだから。
 俺にはない価値観がある……ここには。
 ゲームセンター……
               ……また、行くか……

 いつもみたいに自動ドアを抜けて いつものゲーセンにいく。

 すると、白衣の男が目に付いた。
 医者か?何だ……?
 むちゃくちゃに目立つ。
 「くそぅ……、またしても失敗か……」
 ……
 白衣だったから判らなかったが、奴は先日の人に間違いない。
 ……『未羅の父親』がゲームをやっていた。
 ロボットハンドを外から遠隔操作して商品をつり上げる、クレーンゲームという奴だ。
 あれが取れそうで取れないんだよな……
 実は、俺のこととは関係なしによくこのゲーセンに来るのかもしれない。
 それとも俺の待ち伏せ?
 そんな訳がない。俺の考えすぎだ。
 いちいちあんな奴のことで頭を使うのがばかばかしい。頭に来る。
 だいたいゲーセンに白衣で来ないで欲しい……俺の大っ嫌いな理科の木塚みたいな格好しやがって……

 そうこうしているうちに、また『未羅の父親』がぬいぐるみを落としている。
 ……ぽろっ「あぁ~……」 ぽろっ「あ~……」 ぽろっ「あぅ~……」 ぽろっ「はぁ~……」 ぽろっ「ぅあぁ~……」 ……ぽろっ「にぁ~……」 ぽろっ「ふが~……」 ぽろっ「はぅっ……」

 ……おもしろい反応を示す男だ……

 しかもすでに1000円は使っているぞ。
 俺の来る何分前からやっていたんだろう……
 しかも相手は全くこっちに気がついていない。
 それとも奴は大人だから、財力に物を言わせているのだろうか。
 ………しかし、いったい何を狙っているんだ……?
 俺はそっと横から商品を除いてみることにした。あくまでさりげなく……
 クレーンの内側に張ってあるサービスカードによると……
『あなたのHaertをいとめちゃう! みっふうぃぃぃぃちゃん だっこ専用ぬいぐるみ 非売品』

 ……………………………………
 ……か、変わった親父だ……。
 お、台を変えたぞ
「……この、ダレぱんだ まくら用ぬいぐるみもいいかもしれん……」
 ……つくづく変わった親父だと思う。
 そのダレぱんだぬいぐるみ、どう見てもとれないところにある。
 ……こりゃ駄目だ……
 ……ぽろっ ぽろっ ぽろっ ぽろっ  ぽろぽろぽろぽろぽろぽろぽろぽろぽろぽろぽろぽろぽろぽろ……
「ぐぅ……何故……何故なんだ……何故取れない……」
 中のぬいぐるみを凝視して、ぶつぶつとなにごとか呟きつづけている。
 ……下手だ……はっきり言って下手すぎる……
 そもそも読み間違えている……台を。
「式は完璧なはずなのに……」
 よく見えないがなにやらメモ帳に「クレーン操作 ボタンを押してからの反応までの時間=0.3秒+加速度Q ― 空気抵抗 ― 機械抵抗 目的地座標X1、Y1 現在座標X2、Y2 バネの強さBを考慮に入れて中心重心点を……」 などと書かれているように見える。
 なにやら難しい記号などがたくさん使用されていて解らない。
 これは……何なんだ……?
 ……いや、オッサンもおかしいがこれだけやってもとれない店の設定もちょっとおかしいのかも……
 俺がゲーセンに入ってからかれこれ30分が経過しようとしていた。
 一生懸命にクレーンを操作するいい年の男。
 一種異様な空気の前に、誰も何も言えない。
 俺はしびれを切らして、『未羅の父親』に話しかけてみた。
「どうも。おっさん……この前『未羅の父親』だって言ってた……」
「ああ、いかにも私は未羅の父親の月沢神持ですが君は……」
「偶然ですね」
 …………
 ………………?
「誰だ?」
 …………脱力。
「やだなあ。ほら……そこの……格闘ゲームで。対戦して……俺も一回戦は負けたじゃないですか」
 全く向こうから話しかけておいて、今度は忘れているとは失礼な奴だ。
「ああ。君か。柄咲君……すまないな……娘……未羅にこれを取ってあげたくて、つい夢中になってしまったようだ……」
「知ってます。見てましたから」
 数秒の沈黙。
「ホントか? それは……」
「ええ、30分以上前から」
「……はは、恥ずかしいところを見られてしまったな……」
 少し照れて、頬を軽く掻く。
「ここのゲームセンター、よく来るんですか?」
「いや。たまたまなんだ。つい……前を通りかかったら娘が好きになりそうなぬいぐるみが見えたのだ……」
『すきになりそうな』という回りくどい言い方が気になったが、続ける。
「……でも、この台はきっととれないと思いますよ」
「なぜだ?」
「だって。どう見てもこれは……」
 その台はぬいぐるみがかなり重なっているものの、とれそうな位置のぬいぐるみはすべて無くなっていた。
「この式通りにやれば……理論的には、どんなぬいぐるみでもとれるはずなんだが……」
「こういうのは理論じゃないんですよ」
 そう。頭で考えたことがそのまま通用するようなもんではないのだ。大事なのは感覚。
「むむ……」
「じゃあ、俺がやってみますから……みててください」
 といって、さっきまでおっさんがやっていた『みっふぃぃぃちゃん巨大ぬいぐるみ』の台に行って100円を投入した。
 このぬいぐるみは大きいから、重心をつかんでもクレーンのつかむ部分やバネによっては意味がない。
 ということをおっさんにいって
「だから、まず、商品が落ちる近くのところを狙った方がいいです」
 などといい、
「そして、このぬいぐるみには、ひもがあるのでそいつに引っかけた方が、この場合は取りやすいです」
 と説明すると、しきりに感心していた。
 ……そして、慣れたもので難なくぬいぐるみを取ることに成功した。
 ……詳しい事情は割愛するが、要するに俺はぬいぐるみが増えすぎるのを嫌ってクレーンゲームをやらなくなったんだ。
「どうぞ」
「いいのかい。もらっちゃって」
「いいです。どうせ家にはぬいぐるみが腐るくらいありますから」
「ありがとう。……君は未羅が言うのと同じだな」
「え?」
「一見無愛想だけど 実はすごく優しくて……ってな」
「…え? え?」
「いいひとだ……っていってたよ。未羅は」
「…………未羅……が?」
 あの……未羅が……?
 そんなことを言う奴にはどこをどう考えても見えない。
「……君のこと、好きだっていっていたぞ」
「……………………」
 不思議と胸がときめかなかった。
 ……すごく恥ずかしいは変わらないのだけど。
 というか、それはおっさんの勝手な思い込みか空耳だったんじゃないか、とさえ思える。
 俺は何も言えなくなってしまった。
「そうだ。これをあげよう。ぬいぐるみのせめてものお返しだ」
 そういって、月沢が俺に手渡した物は。定期券サイズのカード……ICカードだった。
 『TLR-J Central Lab.”通行許可証” No 9f12a-c』
 カードには、そう書いてあった。
「うちの研究所へ 自由に出入りできるうえに、食事がタダになる権限Cのカードだ。」
「食事がタダ……ですか」
「「研究所はこの近くにある。交番のマップシステムに訊けばすぐ解るし、商店街で働いているウチのメイドロボなら場所しっている」
「はあ……」
「いろいろあるし、飽きないと思うぞ。……何せ一般人は立ち入りすらできないんだからな……」
「そうですか……じゃあ腹が減ったら遠慮なく行かせてもらいますけど」
「そうそう。デザートもあるから、好きなだけ食べるといい。一応君の市民IDをそこに書き込んで置いたから、まあ日曜日とか暇なときにでもきてくれ」
 俺は一番気になっていた事を聞いた。
「……なんでこれを……俺に?」
「……君のことが、気に入ったから、だな」
「……そんなに簡単に俺のことを信用して良いんですか?」
 精一杯意地悪く笑って、探るように言ってやる。
「信用するさ。仮にも娘が好きだって言ってる男だしな」
 何の衒(ためら)いも無く言って、目元を綻ばせる。
 そして、一人呟くように紡(つむ)いだ言葉……。
「あの子なりに……ではあるがな」
 店の時計に目をやって、月沢は沈黙した。

「も……もぉこんな時間なのか……?すまない!これで失礼するよ!」
 月沢は、慌てて巨大みっふぃぃぃぃちゃんのぬいぐるみを抱え込んだ。
「ど……どぉしたんです?」
「未羅に夕食作ってやらないと……な!」
 言って、月沢は駆け出した。

 時計を見ると 七時を回っていた。
 雰囲気のころころ変わるおっさんだった。


 俺はふと思い出した。
 未羅の行動……

 ”絵本を読む”というコト

   そうだ……彼女は何も知らない
   ……やけに子供っぽい……
   俺は、怒鳴った。突っ込んだ。

 今日、彼女に絵本のことで怒鳴ったのは実は照れ隠しだったかもしれない。
 日々の戯れ言。
 ずっとくだらないと思ってた。馴れ合い。
       だけどそれが、本当は……

 本当は欲しかったのかもしれない。
 軽視していた、それこそが、
 俺に足らないものだったのかも、しれない。

 それともやっぱり、未羅のことが、ただ心配だっただけかもしれない。
 俺みたいなやつでも……誰か傍についていなかったら…………
 こいつはどうなっちゃううんだろうか。と。
 勝手に兄貴気取りをしていたのかもしれない。
 どちらにしても、それは俺の自尊心を崩す。
 どちらにしても、それを認めるのは俺に取ってつらいことだった。
 自分を、信じていた自分が否定される、そういうことだった。

 思い出す。

 ……清掃用ロボットの完璧すぎるその笑顔 作り物だからこその美しさを。

 人は……醜い物を生み出したがらない。
 なぜなら、きっと、人間の本質は醜いから……
 多分……カタチだけでも美しいものにあこがれるのだろう……

 そう、形の上だけでも。

2000 2/18 Compleate 3/24 Revison

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