教義と複素平面について
実数、虚数、複素平面の話をしました。
教義との関連性を、
記事で扱いたいと思いましたが、
文章のみで簡潔にしようとすると、
厳しいところがあります。
とは言え、当たり前ですが、
正確な内容は教義を読めばわかることです。
ですから私は、
理解を易しくする、簡単にまとめる、
ということに注力して、
記事を作成しようかと思います。
⇒⇒⇒ -3 -2 -1 0 1 2 3 ⇒⇒⇒
このように、
直線に数字が並んでいるとします。
1に-1をかけると、答えは-1です。
直線において、0を原点とすると、
1と-1は、原点に対して、
対象の位置に移動していることがわかります。
そして、さらに-1をかけると、1に戻ります。
また、2に-1をかけると、答えは-2です。
さらに-1をかけると、2に戻りますので、
同じことが言えます。
このように、-1をかけることは、
「原点を中心とした180度の回転」
として見ることができます。
ここで、虚数の登場です。
i×i= -1です。
ですから、iをかけることは、
90度の回転と見ることができます。
1にiをかけるとi、
iにiをかけると-1、
-1にiをかけると-i、
-iにiをかけると1、
iをかけることで、原点を中心として、
90度ずつ回転していることがわかります。
また、大雑把ではありますが、
複素平面はこのような形でできています。
では、ここから、
教義の話に繋げていきます。
認識の基本として、
中心軸かららせんを認識することで、
私たちの世界は成立しています。
また、中心軸とらせんは、
立場を交互に入れ替えます。
両者はあくまでも相対的な関係であり、
どちらに視点を置くかで、
中心軸とらせんの立場は変わるのです。
例えば、Aという中心軸から、
Bというらせん回転を見るとします。
しかしこの時、Bの目線に立つと、
らせん回転をしているように見えるのは、
Aということになります。
このように、見る目線によって、
どちらもらせんとなり、
中心軸となる、ということが言えます。
また、中心軸とらせんによる立場の入れ替えは、
限りなく繰り返されているようです。
つまり、
「中心軸の周りを回転するらせん」
の周りに、
「さらに小さならせんが回転する」
といった構造が無限に続きます。
らせん階段で例えるなら、
階段部分の周囲に、
小さな階段が回っていて、
その階段部分の周囲には、
さらに小さな階段が回っている、
といった構造が際限なく続くことになります。
では、らせん階段を、
真上から見た図を想像して下さい。
中心軸の周りに、らせん状の階段があります。
認識の入れ替えをするためには、
中心軸と階段部分を、
入れ替えなくてはなりません。
ですから、中心軸から、階段部分に、
意識が移動します。
らせん階段を上から見ていますので、
中心軸は一本道のように見えますよね。
なので、周囲の階段部分に移動する際は、
直角に、すなわち90度の方向に、
曲がっていることになります。
ここで、1度目の90度回転です。
階段部分に意識が移動すると、
階段は中心軸となり、
中心軸は階段となります。
さらに、意識の方向は逆転します。
つまり、真上ではなく、真下から、
らせん階段を見ることになります。
初めの中心軸から、
一度、直角に曲がり、
更にもう一度、
直角に曲がるということです。
ここで、2度目の90度回転をしていることがわかります。
結果として、真上から真下へと、
180度の回転をしました。
また、同じことを繰り返すと、
元の状態に戻ることがわかります。
私たちは、霊界を見ることはできません。
なぜならそれは、
意識の向きを90度回転させた時に、
認識できる世界だからです。
目で見えないために、ご存知の通り、
しかしそれは、確実に存在しています。
なぜなら、世界の認識において、
認識する側、認識される側、
このどちらも必要不可欠だからです。
また、意識の方向性を理解する上で、
実数、虚数、複素平面は必須です。
数学として扱われていた複素平面は、
世界の成り立ちを表現するために、
必要な存在だったのです。
できる限り簡単な言葉でまとめてみましたが、いかがでしょうか。
多くの方が、輝の会に興味を持っていただけることを、心よりお祈り申し上げます。
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