教義について(過去に書いた内容2)
私たちが見ているこの世界は、
認識される側の世界として、
ひとくくりに考えられるようです。
自分の体だけでなく、
他者の体、
自然物や建築物など、
全てが同じ扱いです。
そしてもう一つ、
認識する側の世界が存在します。
この存在を明らかにできていないことが、
霊や死後の世界など、
いわゆるオカルトと呼ばれる分野が、
明らかになっていないことに、
繋がるようです。
認識する側の世界というのは、
当然、私たちは認識することができません。
私たちが、
普段の生活で見ることができるのは、
認識される側の世界に限られるからです。
また、私たちに自覚はありませんが、
認識する側と、認識される側は、
交互に入れ替わっているようです。
この辺りを理解するにあたって、
中心軸とらせんの構造が、
とても重要になりますので、
先にご説明させていただきます。
中心軸とは、名前の通り、
中心となる一本の軸です。
らせんは、
その周りを回転しながら、
回転面に垂直の方向へ、
移動する曲線です。
らせん階段などがわかりやすいですね。
中心軸とらせんの形状において、
両者に絶対的な関係はない、
ということがポイントになります。
どちらも、見方によっては、
中心軸になり、らせんになる、
ということです。
中心軸をA、
らせんとBとします。
これは、
AからBを見た場合に成立します。
反対に、BからAを見ると、
らせん回転しているように見えるのは、
Aということになります。
A、Bのどちらも、
中心軸とらせんの立場を、
持っているわけです。
ここで、初めに書いた、
認識する側と、認識される側の話を、
繋げていきますと、
認識の定点をAからBに移すことで、
認識する側と、認識される側が、
入れ替わるということが、
おわかりいただけるかと思います。
もう少し噛み砕くと、
ふたつある意識の、
視点をどちらに置くかで、
見る側と、見られる側は、
入れ替わりますよね。
このように、単純な話です。
認識の定点を入れ替えることにより、
認識される側が、
認識する側になります。
結果として、
普段の生活において、
私たちが認識できない、
もうひとつの世界が、
認識できることになります。
この際、
中心軸とらせんの関係において、
中心軸はらせんに変化して、
らせんは中心軸に変化する、
といった表現でもいいかもしれません。
しかしながら、
より正確な表現をすると、
らせんを軸にした、
もうひとつの小さならせんが存在する、
となるようです。
もうひとつの小さならせんは、
中心軸をらせんとして見た形です。
もう少し噛み砕いて、
中心軸をAとして、
らせんをBとします。
Aの周りを、Bが回転しており、
Bの回転を軸に、
さらに小さなAが回転している、
ということです。
Aは、中心軸であり、
らせんでもあるからです。
もちろんこれは、
Bにも同じことが言えます。
Bの周りを、Aが回転して、
Aの周りを、Bが回転するといった、
らせんを軸に、
更に小さならせんが回転する構造が、
続くことになります。
このように、
認識の定点を入れ替える分だけ、
らせんが存在することになります。
長くなりますが、もう少し、
書かせていただきます。
太陽周りの惑星を含めて、
太陽系と呼びます。
原子核周りの電子を含めて、
原子と呼びます。
太陽系の惑星軌道は、
認識する側であり、
私たちは見ることができません。
また、原子の内部も同様に、
認識する側ですから、
私たちは見ることができません。
惑星軌道を、
認識する側とし、
私たちの世界を、
認識される側として、
この世界は成り立っています。
認識の定点を入れ替えることで、
見える世界は逆転します。
普段、私たちが見ている世界は、
認識することができなくなります。
反対に、
認識することができるのは、
惑星軌道であり、電子軌道です。
中心軸である惑星軌道を、
らせんとして認識したものが、
電子軌道とも言えます。
前に書いた通り、
中心軸と小さならせんは、
見方を変えただけの、
同じ物ですので、
太陽系と原子は、
同じ物であることがわかります。
また、
認識する側と、認識される側の、
ふたつに分かれた意識において、
私たちの生活環境のように、
認識される側は、
重力など、様々な制限を受けます。
しかし、認識する側には、
速さなどの限度がないようです。
光速は秒速30万キロで一定というのは、
認識される側の世界における話であって、
認識する側には、
そのような制限はないということです。
認識する側の意識が、
全ての方向に、限りない速さで、
認識を行います。
そして、私たちの生活環境を、
認識される側として見ています。
この際、特殊相対性理論により、
対象物は小さく見えることになります。
高速で動きながら、
静止している物を見ると、
短縮するという話は有名ですよね。
原子から太陽系までを、
意識が光速で動くと、
原子が短縮されて見えます。
反対に、
太陽系から原子までを、
意識が光速で動くと、
太陽系が短縮されて見えます。
意識の方向により、
大小関係が逆転するということです。
太陽系より外側の宇宙空間は、
太陽系を小さいものとして認識し、
原子を大きいものとして認識した、
認識の定点を入れ替えた世界を、
映し出しているだけのようです。
ですから、私たちは、
太陽系より外側の宇宙空間に、
いくことができないことになります。
私たちの生活に当てはめた表現をすると、
太陽系より外側は、観測はできても、
実在はしない、とも言えます。
なぜならそれは、
認識する側の世界だからです。
ですから、
原子から太陽系の果てと、
太陽系から宇宙の果ては、
同じ物を、
大小関係を逆転して見ているだけ、
ということになります。
原子が大きい世界では、
太陽系は小さな点であり、
外側から見ている状態です。
いずれ、認識の方向が変わり、
原子が小さい世界になれば、
太陽系を大きな空間として、
内側から見ることになります。
私たちの世界において、
原子の内側は未来を意味しています。
ですから、
他者を大切にすることは、
自分の未来を、
大切にすることになります。
また、
私たちが認識できる全ての存在は、
本来は自分自身の一部となります。
今の私たちの常識が、
どれだけかけ離れているかわかります。
多くの方は、
本来の自分を忘れているのかもしれません。
確かに、宗教というだけで、
否定的な方も多くおられるかと思います。
それだけの歴史的背景があるのも事実です。
何が正しいのか、
自分で考え、感じることが、
大切ではないでしょうか。
お金儲けや、戦争など、
これらは本当に正しいでしょうか。
人を傷つけてはいけない理由を、
理論的に説明できない今の常識は、
本当に正しいと言えるのでしょうか。
輝の会の教義を、より多くの方に知っていただく必要があると考えます。
よろしくお願い申し上げます。
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