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14 鬼

2月3日。五年ほど前よりこの日に私は鬼と化すのである。

その日、私は仕事から帰ると、物音を立てずに外で鬼の姿に変身する。

着ている服を脱ぎ捨て、黒いヒートテックの上下に、ドンキホーテで購入した鬼のパンツとお面、赤いアフロヘアーのカツラを被り、完全なる赤鬼の姿へと変貌して玄関前に立ち、インターホンを押す。

冬の夜に閑静な住宅街の一角で、インターホンのカメラに向かってクネクネと踊る赤鬼。不審極まりない異様な姿に、通行人や近所の住人からの視線と、吹き抜ける冷気が容赦無く私に突き刺さる。早く玄関を開けてくれという一心で、赤鬼は滑稽に踊り続けるのだ。

扉が開くと赤鬼は奇声を上げながら、子供達が待ち受けるリビングへと勢いよく駆け込む。突然の出来事に固まる四歳の次男とは対照的に、七歳の長男は落ち着いた様子で、準備した落花生を赤鬼に向けて渾身の力を込めて投げつける。

長男の冷静で気迫のこもった姿に、赤鬼こと私は一瞬たじろいでしまう。その様は、昨年までの恐怖を必死に堪えて、叫び逃げ惑いながら豆を投げて、どうにか鬼を追い払おうとしていた姿とはまるで違う。

これまでの経験をもって恐怖に打ち勝ち、しっかりと鬼の姿を見据えて、冷静に対峙する長男の様子に、気が付けばこんなにも強く逞しく成長した事を実感させられて感慨深いものがが込み上げて来る。

長男の気迫に押されて、例年の執拗さを見せずに、そそくさと落花生を背後に浴びながら赤鬼は退散する。逃げながら子供の成長を感じると同時に、その分だけ我が身の衰えをも感じて感傷的になる赤鬼なのである。

落花生の集中砲火から命かながら逃げ延びた赤鬼は音も立てずに、今度は朝に家を出た時と同じ状態の私に姿を戻し、何食わぬ顔でたった今、仕事から帰って来た体を装い家に入る。

そこには自らの手で鬼を追い払ったという自信と達成感に満ち溢れ、得意げな表情をした長男と、私が帰って来て安心したからか、緊張の糸が解けて泣きじゃくる次男の姿があった。

さすがに毎度、鬼が来る時に父親である私が家にいない事を、長男は訝しく思っている様で、来年の節分は我が家に鬼が来るか否かは難しい所である。


鬼とは何なのか。私が思うにだが、それは「恐怖心」を具現化した存在だと考える。道徳観や倫理観であったりの規範から外れる行いであったり、危険な場所や物事から子供を「恐怖心」を持ってして遠ざける為の存在なのである。

人間は理解が及ばないものに対して恐怖心を抱く。初めて我が家に鬼が来た時の二歳だった長男は、あまりの恐怖に投げつける筈の豆を思わず食べてしまっていた。そんな彼もこの数年で、様々な経験と学びによって多くの事を理解する様になり、遂には鬼という恐怖に打ち勝つまでに至った。

恐怖心を乗り越える術は理解する事であると、長男の成長した姿を見て教わった気がして嬉しい次第である。

これからも彼らが様々な物事を理解していく上において、私が何らかの形で力になって行ければと切に思う。


しかしながら、我が家に来る赤鬼の引退は間近であると感じてならない今日この頃である。








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